日野自動車 – Wikipedia

日野自動車株式会社(ひのじどうしゃ、英: Hino Motors, Ltd.)は、主にトラック・バスといった商用車を製造する日本の自動車メーカーである。通称「日野」、ローマ字表記は「HINO」。トヨタ自動車の連結子会社でトヨタグループ16社のうちの一つ。
日本のトラック・バス業界大手。日経平均株価及びJPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ。

左はブルーリボンシティ、右は2代目ポンチョ

主にトラックやバスなどの商用車の生産を手がけ、トヨタブランドの小型乗用車や小型、普通トラック、SUVなどの受託生産も行っている。親会社のトヨタが陸上自衛隊へ納入する73式中型トラックやトヨタ向けディーゼルエンジンの生産、あるいは軍用ハイブリッドシステムも共同開発している。

2004年3月期に、連結決算で売上高が1兆円を超えた。2019年も1兆9,813億円で過去最高益を更新している。日本国内の大型・中型トラックで2021年現在、48年連続で販売台数が1位、大型トラック顧客満足度調査で11年連続で1位、小型トラックも6年連続で1位である。2007年に海外向け販売台数が国内向けを上回り、現在は総販売台数の7割以上を海外向けが占めている。世界93カ国で販売しており、台湾やタイ、インドネシア、マレーシア、パキスタン、ペルー等では市場シェアが首位である。2013年に世界で初めてハイブリッドトラック・バスのグローバルでの累計販売台数が1万台を超えた。全世界の大型トラック製造メーカーの中でも毎年生産台数トップ10にランクしている。

1966年にトヨタ自動車の傘下に入り、2001年にトヨタが株式の過半数を取得して子会社化した。合理化のためにバス部門はいすゞ自動車と経営統合して2004年10月に日野自動車・いすゞ自動車共同出資の新会社(ジェイ・バス)に移行し、いすゞと共通の車両がジェイ・バスから供給されている。日野は観光バス、いすゞは路線バスを開発して相互供給する。いすゞは日野の母体になった会社で、2006年から2018年までトヨタ自動車との資本提携関係にあったため、日野との関係も深い。同時に、西日本車体工業(西工)へのシャシー供給を取りやめている。2006年から一部の路線車に限り、西工へのシャシー供給が再開したが、それも2010年西工の解散と共に終了した。また、2018年4月には商用バス・トラックの分野でドイツのフォルクスワーゲンと包括提携することが発表されている[1]

東京都八王子市の日野自動車21世紀センター内にトラック主体の企業博物館である日野オートプラザが設けられている。

東京瓦斯電気工業株式会社(瓦斯電:がすでん)が今日の日野自動車の母体とされている。

東京瓦斯電気工業はその名の通り、明治時代末期から大正時代にかけて、普及期にあったガス・電気器具を生産した。第一次世界大戦時には海外から薬莢の大量受注などにより業績を伸ばし、航空機用国産エンジン「神風」なども生産している。「TGE」(Tokyo Gas Electric Engineering Co. の頭字語)のブランドで、日本でも初期の自動車量産に取り組んだ。

1930年代、大型車両生産を強化する国策により、東京瓦斯電気工業株式会社の自動車部と自動車工業株式会社、および共同国産自動車株式会社とが合併し、ヂーゼル自動車工業(現・いすゞ自動車、設立当初は東京自動車工業株式会社)を設立した。その後、戦時体制下の国策により、総合車両メーカーのヂーゼル自動車工業から特殊車両製造部門の日野製造所が分離独立されて、日野自動車の元となる日野重工業が設立され、九七式中戦車などの軍需車両の製造を行わせた。

企業系譜としてはいすゞ自動車の分派ではあるが、日野製造所が星子勇ら瓦斯電系出身の技術者を主軸とした製造拠点であったことから、日野自動車では自社のルーツを瓦斯電に求めている。そのほか、瓦斯電を母体とした会社にはトキコ、小松ゼノアなどがある。

終戦後の1946年には民需転換により日野産業に改称。ディーゼルエンジン技術を生かして当時としては異例の超大型トレーラートラック・バスを開発、次いで1950年以降は通常シャーシ(単車)の大型ディーゼルトラック・バスの生産も開始して、母体企業のいすゞと競合する大型車両業界の有力メーカーとなった。

1953年には、フランスのルノーの技術供与を受け、小型乗用車ルノー・4CVのノックダウン生産を行い、後に完全国産化を果たした。その後自社開発のリアエンジン(RR駆動)小型乗用車「コンテッサ」、ピックアップトラック「ブリスカ」、前輪駆動で4輪独立懸架のワンボックスカー「コンマース」など、先進的な自動車を開発・生産していたが、1966年のトヨタ自動車との提携以後は、再びトラック・バスの開発・生産に特化して現在に至る。

年表[編集]

歴代社長[編集]

氏名 就任日 退任日 備考
日野重工業
1 松井命 1942年5月1日 1945年11月
日野産業
2 大久保正二 1946年 1948年
日野ヂーゼル工業
3 大久保正二 1948年 1959年
日野自動車工業
4 大久保正二 1959年 1961年
5 松方正信 1961年5月4日
6 荒川政司 1974年5月30日
7 深澤俊勇 1983年6月
8 二見富雄 1987年6月 1997年
9 湯浅浩 1997年6月 1999年 社名改称
日野自動車
9 湯浅浩 1999年 2001年
10 蛇川忠暉 2001年 2004年
11 近藤詔治 2004年6月 2008年6月
12 白井芳夫 2008年6月 2013年6月
13 市橋保彦 2013年6月 2017年
14 下義生 2017年 2021年6月
15 小木曽聡 2021年6月 現職

生産拠点[編集]

海外拠点[編集]

  • 海外拠点26カ所(北米3、中南米6、ヨーロッパ2、中東2、オセアニア1、アジア12)

古河工場[編集]

古河工場(2018年12月撮影)

2010年12月22日、茨城県開発公社より茨城県古河市名崎4112番1外の古河名崎工業団地(旧NTT名崎無線送信所跡地、古河市立名崎小学校南側)を約59億円で取得した(2009年1月に予約していた)。2012年〜2020年にかけて、新工場を建設する。まずは海外輸出のKD工場を2012年まで移管する予定である[13]。最終的には2020年までに日野工場の全ての機能を古河新工場に移管して、日野工場を閉鎖する予定[5]

車種一覧[編集]

現行の車種・製品[編集]

トラック[編集]

バス[編集]

バスについては、トヨタ自動車・いすゞ自動車からのOEM車種もあるが、ジェイ・バスから日野自動車・いすゞ自動車の両社に同一製品が供給される統合車種に移行が進んでいる。

いすゞ自動車から供給されている車種

その他[編集]

産業用ディーゼルエンジン[編集]

クレーン、杭打ち機、フォークリフト、ロードローラー、プレジャーボート用小型船舶エンジン、コンプレッサー、発電機用として国内外各社にエンジンを供給している。

型式 内径×行程(mm) 排気量 出力(PS)
W04C-T 104×113 3,839 50 – 81
W04D 104×118 4,009 35 – 63
W04D-T 104×118 4,009 50 – 85
W04D-TI 104×118 4,009 69 – 118
型式 内径×行程(mm) 排気量 出力(PS)
J08C 114×118 7,961 74 – 129
J08C-T 114×118 7,961 119 – 173
J08C-TI 114×118 7,961 118 – 177
  • K系 – 直列6気筒エンジン
型式 内径×行程(mm) 排気量 出力(PS)
K13C-T 135×150 12,882 189 – 239
K13C-TI 135×150 12,882 231 – 278
K13D 137×150 13,267 127 – 177
K13D-T 137×150 13,267 160 – 199

世界各国向け製品[編集]

北米向けについては、北米工場におけるエンジン認証の遅れにより、2021年10月から600シリーズはカミンズ製エンジンを搭載して販売を再開する他、小型トラックに関してもいすゞ自動車からのOEM供給が決定している[14][15]

  • 700シリーズ – 基本的にはプロフィアであるが、地域特性に合わせ、日本では見られないものもある。
  • 600シリーズ – 北米に特化して生産されているボンネットトラック
  • 500シリーズ – 基本的にはレンジャーであるが、地域特性に合わせ、日本では見られないものもある。
  • 300シリーズ – デュトロ。
いすゞ自動車から供給されている車種
海外バスシャーシ(台灣)[編集]

出荷停止中の車種・製品[編集]

トラック[編集]

バス[編集]

過去の生産車種・製品[編集]

トラック[編集]

  • トレーラートラックT10型・T20型
  • 大型トラックTH型(4X2)
  • 大型トラックTE型(4X2)
  • 大型トラックWD型(前1軸・後1軸 4X4)
  • 大型トラックZC型(前1軸・後2軸 6X6)
  • 大型トラックTC型(前2軸・後1軸 6X2)
  • 大型トラックZM型(前1軸・後2軸 6X4)
  • 大型トラックKF型(前1軸・後2軸 6X2)
  • 大型トラックKS型(前2軸・後2軸 8X4)
  • 大型トラックKB型(4X2)
  • 大型トラクタHE型(4X2)
  • 大型トラクタHH型(前1軸・後2軸 6X4)
  • 構内専用ダンプWP型(前1軸・後2軸 6X4)
  • 重ダンプZG型(前1軸・後1軸 4X2)
  • レンジャー2
  • スーパードルフィン
  • スーパードルフィン プロフィア
  • 輸出仕様車では1995年まで「エコノディーゼル(ECONO DIESEL)」シリーズとして販売していた。

バス[編集]

廃止された型式および車名を示す。

乗用車[編集]

商用車[編集]

オート三輪[編集]

オート三輪は三井精機工業製で1960年代初頭まで日野で販売された。

  • オリエント
  • ハンビー
  • ハスラー

産業用ディーゼルエンジン[編集]

  • P系 – P09-TD・P09C-TD
  • EP系 – EP100-T

その他[編集]

販売会社[編集]

  • 北海道日野自動車(札幌・札幌北・旭川・室蘭・苫小牧・千歳・空知・小樽・岩見沢)
  • 函館日野自動車(函館)- 函館トヨペットグループ
  • 東北海道日野自動車(釧路・帯広・北見・網走・中標津・紋別)
  • 青森日野自動車(青森・八戸・弘前・十和田・むつ)
  • 岩手日野自動車(盛岡・花北・水沢・一関・宮古・大船渡)
  • 宮城日野自動車(仙台・石巻・古川・大河原)
  • 西東北日野自動車(秋田・山形・庄内・横手・大館・能代・米沢・新庄)
  • 福島日野自動車(福島・いわき・郡山・会津・相双・白河)
  • 茨城日野自動車(土浦・つくば・茨城・ひたちなか・守谷・古河・岩瀬・鹿島)
  • 栃木日野自動車(宇都宮・那須・足利・小山・真岡)
  • 群馬日野自動車(前橋・高崎・太田・上武・吉岡)
  • 南関東日野自動車(大宮・熊谷・川越・足立・八王子・江戸川・瑞穂・六郷・板橋・新狭山・朝霞・松伏・岩槻・千葉・習志野・成田・柏・市原・木更津・長沼・銚子・横浜・川崎・湘南・相模原・瀬谷・厚木・港北)
  • 山梨日野自動車(甲府・田富・笛吹)
  • 新潟日野自動車(新潟・新発田・長岡・上越・糸魚川・六日町)- 新潟トヨタグループ
  • 富山日野自動車(富山・高岡・入善・砺波)
  • 石川日野自動車(金沢・七尾・小松)
  • 長野日野自動車(長野・松本・小諸・飯田)
  • 福井日野自動車(福井・敦賀・)
  • 岐阜日野自動車(岐阜・各務原・本巣・大垣・多治見・美濃加茂・高山) – 西濃運輸グループで、以前は株式上場(名証二部)していた。
  • 静岡日野自動車(静岡・沼津・富士・藤枝・袋井・浜松・清水・御殿場)
  • 愛知日野自動車(名古屋・港・半田・豊橋・岡崎・豊田・小牧・一宮)
  • 三重日野自動車(四日市・津・伊勢・上野・尾鷲・桑名)
  • 滋賀日野自動車(栗東・彦根・長浜)
  • 京都日野自動車(京都・舞鶴)
  • 大阪日野自動車(大阪・東大阪・南大阪・中央・寝屋川・臨海)
  • 神戸日野自動車(神戸・姫路・尼崎・明石・小野・淡路・但馬)
  • 奈良日野自動車(奈良)
  • 和歌山日野自動車(和歌山・田辺・新宮)
  • 島根日野自動車(松江・米子・鳥取・出雲・石見・益田)
  • 岡山日野自動車(岡山・岡山西・岡山東・倉敷・津山)
  • 広島日野自動車(坂・西条・福山西・福山東・呉・三次・西風新都・廿日市・本郷)
  • 山口日野自動車(山口・下関・岩国・宇部・周南・萩出)
  • 徳島日野自動車(徳島)
  • 香川日野自動車(高松・丸亀)
  • 愛媛日野自動車(松山) – 伊予鉄グループ
  • 高知日野自動車(高知・中村)
  • 九州日野自動車(福岡・古賀・糸島・北九州・久留米・筑豊・佐賀・長崎・佐世保・大分・中津)
  • 熊本日野自動車(熊本・大津・八代)
  • 南九州日野自動車(宮崎・鹿児島・鹿児島南・川内・鹿屋・都城・日向)- 鹿児島トヨタ自動車グループ
  • 沖縄日野自動車(豊見城・中部・北部)

子会社・関連会社[編集]

子会社[編集]

  • 日野エンジニアリングアネックス
  • 日野ロジスパック
  • 日野ヒューテック
  • 日野テクニカルサービス
  • 日野トレーディング
  • 日野リトラックス
  • 日野コンピューターシステム
  • 日野ハーモニー
  • 日野セールスサポート
  • 福島製鋼
  • 理研鍛造
  • ソーシン
  • 武部鉄工所
  • トランテックス
  • 明友機工
  • 埼玉鋳造工業
  • 吉沢鉄工所
  • セリオ
  • 日車物流

関連会社[編集]

モータースポーツ[編集]

1960年代の乗用車を開発していた頃は、「日野プロト」「日野GTP」などと呼ばれるプロトタイプレーシングカーを開発してレースに参戦していた。

1990年以降日本国内の大型車メーカーでは唯一、ダカール・ラリーに「日野・レンジャー」で参戦している。オペレーションはダカール出場のギネス記録を保持する菅原義正とその息子菅原照仁のチームである「チームスガワラ」で、ワークス支援のなかった1993~1995年、1998年~2005年もプライベーターとして日野のマシンで参戦し続けるほど関わりが深い。1997年のダカール・ラリーではトラック部門総合では史上初となる1・2・3位を独占という歴史的な記録を収めている。その後設定された排気量10リッター未満クラスにおいては、2022年大会までで12連覇・31回連続完走を達成している[16]。2019年には、専任のチーフエンジニアや車両開発の最先端にいる技術者を結集させた「新生チームダカール」を社内にも発足させ、さらなる活動の強化を図っている。また2020年にはAT(オートマチックトランスミッション)、2022年にはレーシングハイブリッドシステム(蓄電池はキャパシタ)を採用するなど、新技術の開発にも活かしている。

なお1999~2002年のダカールでは、ラリーの最後尾を走り選手の安全を確保するスイパートラックとしてプロフィアが採用されていた[17]

2000年代にインディカー・シリーズの強豪チームであるチーム・ペンスキーとスポンサーシップ契約を締結していたこともある[18]

宣伝・広告[編集]

1980年代前半の「風のレンジャー」と称されたレンジャーのCMに桂歌丸、佳那晃子、ジャンボ鶴田の3人を起用した。続く1986年発売のレンジャー+5 のCMには「日野」つながりで日野皓正の曲をBGMに使用した。1989年のレンジャーフルモデルチェンジの際には、トラックのイメージ一新を狙い、ダイアン・レインを起用した。また1990年代前半にはスーパードルフィンのCMにケニー・Gの曲にイルカのCGイラストが流れるもの、1992年のモデルチェンジ時には役所広司出演のCMも流れた。1990年代後半のデュトロ発売当時はともさかりえがCMに出演していた。2004年以降はポパイが同CMに起用されており、「日野ダイナミックスコープ→日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲」の影響があってか文化放送で比較的多く(1日中)流れていた。近年はTBSラジオやニッポン放送でもCMを流す。かつて放送されていたABCラジオの近鉄バファローズアワーでは試合中継の際にスポンサーとなっていた。これは大阪近鉄バファローズの親会社であった近畿日本鉄道(近鉄バス)との関係が深いためである。

2010年代は「トントントントン日野の二トン」という軽快なキャッチフレーズと対照的な、堤真一とリリー・フランキーの繰り広げるシュールギャグのCMが人気を集めている。

トラックだけでなく、バスのCMも流す事もあった。モデルチェンジ時に制作され、セレガ(初代)のCMはバブル期の1990年ということもあり、大々的な宣伝活動を行っていた。

テレビCMは、フジテレビの「ご存知 女ねずみ小僧」・「新・座頭市」・「大空港」・「裸の街」・「欽ちゃんの9時テレビ」・「江戸の用心棒」・「超潜入!リアルスコープハイパー」・「ボクらの時代」・「おじゃマップ」・「VS嵐」・「フジテレビ水10ドラマ」・「FNSの日」、関西テレビの「にじいろジーン」、TBSの「ドラマチック22」・「ブロードキャスター」・「さんまのSUPERからくりTV」、日本テレビ火曜8時枠時代劇、24時間テレビ 「愛は地球を救う」のスポンサーも務めていたが、「踊る!さんま御殿!!」の番組途中で降板するも、2011年10月にテレビ東京系列の「乃木坂って、どこ?」(テレビ愛知制作)、ミニ番組「ひるパパ」で久々にテレビ番組のスポンサーになった(提供コメントでは「日野・デュトロ」と読み上げている。沖縄での日本テレビ火曜20時枠でのCMは沖縄テレビで放送された)。また、2013年4月にTBSの「水曜プレミアシネマ」に1992年以来のスポンサーとして提供するようになった。

JFN系列土曜もしくは日曜5:00 – 13:00の時報CMにも起用されている。

書籍・雑誌ではバスラマ・インターナショナルに書籍広告を出している。バブル期には漫画ゴラクに広告を出していた。

1995年1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)発生時は近畿地方のテレビ・ラジオのCMを自粛する処理で対応し、それ以外のエリアでは通常通りCMを流していたが、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、未曾有の災害と東京電力・福島第一原子力発電所での事故などの被害を受けて3月15日 – 4月21日まで全てのラジオCMを自粛した。4月22日にラジオCMを再開するも当面は企業CMや緊急災害時のトラック運転に対する心構え、燃料の節約に関するお願いなど「日野自動車が今、何かできること」を宣伝していた。7月1日より主力トラックのデュトロの新CMを制作、放送すると同時にイメージタレントに佐々木蔵之介、柳沢慎吾、新山千春を起用したテレビCMスポットとラジオCMを流している。この3人には実家が自営業であるという共通点があり、特に佐々木の実家佐々木酒造は実際にデュトロハイブリッドのユーザーでもある。また、ブランドCMとして、ダカールラリーへの挑戦「明日を止めないために」を放送している。

キャッチフレーズ[編集]

  • ディーゼル車は日野(1970年代〜1980年代)
  • 新しい時代はいつも日野から始まる(1980年〜1986年頃)
  • 夢はいつでも地球サイズ(1990年代前半、CI採用前まで使用)
  • 性能は、環境のために(1994年〜2006年頃)

日野工業高等学園[編集]

日野工業高等学園は、日野自動車株式会社が職業能力開発促進法に基づき運営する認定職業訓練による職業能力開発校で、東京都日野市にある。もとは1951年4月に、労働基準法に基づき、中学校卒業後入社した社員を対象とした3カ年教育の技能者養成所で、事業内職業訓練施設として認定される。これを1959年6月に「日野自動車工業高等学園」と改称。1962年11月から、学校教育法に基づき文部大臣の指定を受けて指定技能教育施設となり、東京都立八王子工業高等学校との連携を開始。1964年4月には、科学技術学園高等学校と連携を開始した。1970年代後半から1980年代にはしばらく休止していたが、1991年3月に「日野工業高等学園」として機械科と板金科の2科で再開、また、4月には専修コースを設置した。その後自動車整備科、電気制御回路組立科を追加した。2003年に専修コースの募集は休止したが、2022年現在は、機械加工科、塑性加工科、製造設備科、自動車製造科の4科で運営されている。

注釈[編集]

出典[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]