喜連 – Wikipedia
喜連(きれ)は、大阪府大阪市平野区にある地区および町名。現行行政地名は喜連一丁目から喜連七丁目。なお、この項では、町名の喜連について述べる。
平野区の西部に位置し、東に喜連東、西に喜連西、南に瓜破、北の西側に流町、東側に平野南と接している。
沿革[編集]
喜連村として成立したが、1620年に中喜連村・西喜連村・東喜連村に分割。1624年に中喜連村が幕府直轄領、1704年に西喜連村と東喜連村が古河藩領(本多中務家)と定められた。[5]
村には三箇所の池があり、特に南西部にあった大きな池は西池と呼ばれた。現在でも大阪シティバス喜連西池前停留場や交差点名にその名を残すが、池自体は既に埋め立てられて姿を消している。
1974年(昭和49年)、大阪市東住吉区喜連町・瓜破西佃町・今林町・瓜破狭川町・瓜破東之町・瓜破東佃町の各一部より、平野区喜連1 – 7丁目成立。
世帯数と人口[編集]
2019年(令和元年)9月30日現在(大阪市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
喜連一丁目 | 877世帯 | 1,748人 |
喜連二丁目 | 1,369世帯 | 2,737人 |
喜連三丁目 | 582世帯 | 1,325人 |
喜連四丁目 | 1,180世帯 | 2,263人 |
喜連五丁目 | 1,069世帯 | 2,555人 |
喜連六丁目 | 345世帯 | 759人 |
喜連七丁目 | 575世帯 | 1,259人 |
計 | 5,997世帯 | 12,646人 |
人口の変遷[編集]
国勢調査による人口の推移。
世帯数の変遷[編集]
国勢調査による世帯数の推移。
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[12]。なお、小学校・中学校入学時に学校選択制度を導入しており、通学区域以外に通学区域に隣接している小学校・平野区内にある中学校から選択することも可能[13]。
丁目 | 番 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
喜連一丁目 | 全域 | 大阪市立喜連北小学校 | 大阪市立喜連中学校 |
喜連二丁目 | 全域 | 大阪市立喜連小学校 | |
喜連三丁目 | 全域 | 大阪市立喜連北小学校 | |
喜連四丁目 | 1~3番、5番 6番1〜2号 6番13~37号 7~11番 13番、17番 |
大阪市立喜連小学校 | |
4番 6番3~12号 |
大阪市立喜連北小学校 | ||
喜連五丁目 | 全域 | ||
喜連六丁目 | 1番1~7号 1番41~51号 |
||
1番8~40号 2~7番 |
大阪市立喜連小学校 | ||
喜連七丁目 | 全域 |
2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[14]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
喜連一丁目 | 40事業所 | 424人 |
喜連二丁目 | 92事業所 | 816人 |
喜連三丁目 | 27事業所 | 112人 |
喜連四丁目 | 82事業所 | 343人 |
喜連五丁目 | 51事業所 | 334人 |
喜連六丁目 | 32事業所 | 161人 |
喜連七丁目 | 21事業所 | 122人 |
計 | 345事業所 | 2,312人 |
鉄道[編集]
バス[編集]
2020年4月現在
道路[編集]
日本郵便[編集]
参考文献[編集]
関連項目[編集]
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