ER1形(ロシア語: ЭР1)[1]は、ソ連運輸通信省(МПС СССР, Министерство путей сообщения СССР)が1957年から導入した直流電化区間用電車(エレクトリーチカ)である。 ソビエト連邦では1920年代後半から電化路線における通勤・近郊運用に用いる電車の開発が始まり、1929年からその第一世代であるS形電車が運用を開始した。しかし、S形の最高速度(85km/h)や起動加速度(1.45km/h/s=0.45m/sq)では次第に乗客増加に対応出来なくなった事から、1954年からは新型モーターやサスペンション式のボギー台車を採用し、最高速度を130km/hに引き上げたSN形電車の製造が行われた。だが、これらの電車のMT比は1:2(1M2T、もしくは2M4T)と低く、加速度や編成重量が大きな課題となっていた[2]。 そこでリガ車両製作工場は、リガ電動機製造工場やディナモ電機工場と協力し、これらの欠点を改善した新型車両・ER1形を開発した。1957年に試作車である10両が製造され試験運転が行われた後、1958年からSN形電車に代わって量産が開始され、1962年までに10両編成259本および先頭車4両が製造された[2]。なお1959年以降の製造車両のうち、付随車や制御車についてはトヴェリ車両工場で製造が行われた[2]。 ER1形は制御車+電動車、もしくは付随車+電動車のMT比が1:1となる2両1ユニットを基本としており、最短6両、最長12両まで編成を組む事が可能となっている。編成内の電動車の比率が増加した事で、加速度は2.16km/h/s(0.6m/sq)、営業最高速度110km/h、設計最高速度は130km/hと大幅な速度向上が実現した[3]。車体についてもSN形電車から300mm程長くなっているがモノコック構造を採用した事から10%の軽量化が行われている[4]。 扉は高床式プラットフォームに適した構造になっていたが、低床式ホームへの対応に難があった事から1962年以降に製造されたER2形電車では双方に対応した扉部の構造に変更されている[3]。 10両編成時の編成表(画像はER2形) 形式[編集] 形式名の「ER1」(ЭР1)は、「リガ車両製作工場(Р)で製造された第1世代の電車(Э)」と言う意味である。 また、これとは別にリガ車両製作工場では62-11と言う番号で呼ばれていた他、車種によって以下の形式番号が付けられている。 62-12 – 中間電動車(Мп)。日本国有鉄道における電車の形式称号で言う「モハ」に該当する。 62-13 –
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