Month: January 2019

ロゴジュスク公国 – Wikipedia

ロゴジュスク(ロゴイスク)公国(ベラルーシ語: Лагожское (Лагойскае) княства、ロシア語: Логожское (Логойское) княжество)とは、12世紀後半のルーシ西部に位置した分領公国である。ロゴジュスク(現ベラルーシ・ラホイスク)を首都とした。 ロゴジュスク公国は12世紀後半にイジャスラヴリ公国から分離した[1]。しかし他公国との国境線は詳しくは不明である。『イパーチー年代記』には、1180年のロゴジュスク公フセスラフ・ミクリチは、イジャスラヴリ公、ヴィテプスク公と同盟を結んでいたという記述がみられる[2]。また『ラヴレンチー年代記』には、1186年に、ミンスク公家出身のロゴジュスク公ヴァシリコ・ヴォロダレヴィチ(be)が、ノヴゴロド公・スモレンスク公・ドルツク公と共に、ポロツク公国を攻めたという記述がある[2]。 その後ロゴジュスク公国は、スキルガイラ、ヴィータウタス、Andrejus(be)[注 1]等のゲディミナス朝の諸公の所領となった。この時期にはロゴジュスク公国は、ロゴイスク、ガインスク、ホレツクの3領域からなっていた[注 2]。 注釈[編集] ^ 「Andrejus」はリトアニア語表記による。 ^ 「ロゴイスク」「ガインスク」「ホレツク」はロシア語の形容詞形からの転写による。よって名詞形、またベラルーシ語・リトアニア語に基づく表記では異なる名称となる可能性があることに留意されたし。 出典[編集] ^ Алексеев Л.

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瀬居町 – Wikipedia

瀬居町(せいちょう)は、香川県坂出市北部の町丁である。町域は、かつての離島であった場所であり、1968年以降は埋め立てによって四国と陸続きになった瀬居島の部分と、無人島の小瀬居島から成る。どちらも塩飽諸島に属する島であり、坂出市本土部分とは異なる旧仲多度郡(那珂郡)であった。 旧瀬居島部分の南半分及び小瀬居島の全域は、瀬戸内らしい風光明媚な景観を成すとして瀬戸内海国立公園の一部に指定されている。なお、この瀬戸内海国立公園が日本初の国立公園である[2]。ただし、小瀬居島の陸地部分は特別地域、同島の周囲と旧瀬居島の南半分は普通地域と区分が異なる。 瀬居島の部分[編集] 四国と陸続きになった部分は、瀬戸内海に面した坂出港に半島状に突き出しており、番の州臨海工業団地の東突端に当たる。この部分の瀬居町の区域は、ほぼ瀬居島を範囲を継承しているため、町域は以前の島の形である円形をしている。なお、埋め立て前の瀬居島は、周囲4.4 km・面積は1 km2弱であった。時計回りに北に竹浦集落、東に本浦集落、南に西浦集落、西に北浦集落が存在し、埋め立てによって西浦集落の全部と、本浦集落及び北浦集落の各一部分の海岸線が、四国と繋がった。 小瀬居島の部分[編集] 小瀬居島は無人の離島であり、瀬居島の部分から北に約1.5 kmに位置する。 隣接する町丁[編集] 瀬居町の半島部分に居住しているのは、2010年国勢調査によると、人口は763人(男性357人・女性406人)、世帯数は242世帯であった[1]。この部分の面積は0.8411494 km2、したがって、人口密度は907.1 (人/km2)と算出された[1]。 教育[編集] 公立小学校・中学校の校区は、小学校が坂出小学校に属し、中学校が瀬居中学校に属している。中学校は瀬居町内の本浦集落の南に隣接した埋め立て地部分に立地している。 2020年度までは瀬居小学校が瀬居町内の西浦集落の北にあったが、過疎化のあおりを受け、閉校となった。 交通[編集] 香川県道192号瀬居坂出港線は、坂出市中心部から番の州臨海工業団地を経由して、瀬居町に至る路線である。香川県道192号は、瀬居町の半島部分の南部の埋め立て地部分を東進した後、本浦集落内に入り、半島の東側を回り込む形で竹浦集落の北端に至る。香川県道192号は、埋め立て地に立地する工業団地内を通るという立地の性格上、両側4〜6車線の大規模な幹線道路として整備されてきた。しかし、瀬居町の本浦集落に入ると2車線に、竹浦集落内では1車線に幅員が狭まり、事実上、竹浦漁港の臨港道路として機能する。 なお、半島の西側に当たる西浦集落及び北浦集落を、香川県道192号は通らないものの、埋め立て地に面した両集落では、海側に新たに造成された土地に2車線の市道が通っている。 公共交通機関としては坂出市営バスがコミュニティバスを運行し、町内5ヶ所(近接1ヶ所を含む)にある停留所から旧沙弥島、番の州臨海工業団地を経由して、31分間かけて坂出駅に至る路線を、1日5往復運行している。 港湾[編集] 本浦漁港 竹浦漁港 西浦漁港 信仰・観光[編集]

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累積分布関数 – Wikipedia

累積分布関数(るいせきぶんぷかんすう、英: cumulative distribution function, CDF)や分布関数(ぶんぷかんすう、英: distribution function)とは、確率論において、実数値確率変数 X が x 以下になる確率の関数のこと。連続型確率変数では、負の無限大から x まで確率密度関数を定積分したもの。 累積分布関数は同時確率分布でも条件付き確率分布でも定義される。 実数値確率変数 X の累積分布関数は以下で定義される[1]:p. 77。この確率は下側確率 (lower-tail probability)

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トゲアリトゲナシトゲトゲ (テレビ番組) – Wikipedia

2021年 回 放送日 サブタイトル ゲスト 備考 1 03月30日 ひとまず3人の距離を詰める夜[6] 2 04月06日 人の名言をあたかも自分の言葉かのようにバレずに語る夜[7] 3 04月13日 その時、何が正解だったのか考察する夜[8] 森田哲矢(さらば青春の光) 4 04月20日 ヤバい仕事を上手にこなす夜[9] 5

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市丸博司 – Wikipedia

市丸 博司(いちまる ひろし、1959年 – )は競馬評論家、パソコンライター、有限会社レイヤード代表取締役社長。佐賀県藤津郡嬉野町(現在の嬉野市)出身。東京都在住。早稲田大学教育学部卒。既婚。2013年1月男の子誕生。 リクルートでの会社員経験を経て、編集プロダクションを設立する。同社在職中に社内表彰を何度か受賞するなどクリエイターとして実績もある。 競馬予想家として、『競馬予想TV!』(フジテレビTWO)では最古参の予想家として登場し、唯一の三冠のタイトルを2度手にしている。またユーモアのある性格であり、番組のムードメーカーとしても活躍している。また、『夕刊フジ』の土日版では、メインレースなどの一部のレースの予想とコラムが掲載されている。 その予想方法は、かつては西田和彦による「西田式スピード指数」を用いていたが、現在は西田式を基に斤量やペース等の概念を取り入れた「TF(タイムフィルター)指数」を編み出し提唱している。これによって「自分の予想に責任が持てた。」と後に語っている。ただし、地方競馬のレースは反映されていない。 自他共に認める薄毛であるが、それをコミカルなキャラクターとして活かしている。競馬関係の著書を何冊か執筆しているが、1995年には『頭髪メンテナンスカタログ』という育毛に関する著書も出版した。また「パソコン競馬ライター」の自称通りパソコンに強いことから、現在JRA-VAN公式サイトにおいて「競馬ソフト作者インタビュー」を連載中。 2010年にはJRAが電話投票会員向けに開催している「IPAT馬券道場」にて最高の栄誉である「名人位」を獲得。「馬券道場」には毎年1万人以上が参加するが、この年名人位を獲得したのは市丸を含めわずか16人であった。 エピソード[編集] 旅打ちが趣味であり、海外競馬(香港・ドバイなど)や、中央競馬・地方競馬を問わず、競馬場等にもしばしば出かけている。また、「いちまる組」というオフ会を開催するためのコミュニティを主催し、競馬ファンとの交流を大切にしている。 番組で共演している太組不二雄には、収録後毎に、ご馳走をしており、太組は周囲に「土曜の夜は何でも食べられる!!」という発言をしている(阿佐ヶ谷ロフトでのPOGイベントより)。なお、自身はそのことを語っておらず、男気のあるところを見せている。 個性的な出演陣が多い同番組の中で良心的なポジションである。 本人は特に言及はしていないが、ダートの短距離のレースでの的中率が高い傾向がある。シンプルに競走馬のスピード能力が要求されるのが要因と推測される。 新馬券WIN5にて、最後のレースで自身の本命馬が勝ったにも関わらず一億の配当を逃している。理由は一番人気馬が2頭勝つケースの馬券を買い目から除いているため。 「市丸博司とレーシングプログラム」というバンドを結成しており、年に1回程度であるがライブを開催している。 海外競馬の大レースに日本馬が出走するときはかなりの確率で現地へ観戦に行く。その際は、『競馬予想TV!』への出演を見合わせる。翌週に、番組アシスタントにだけお土産を購入するのがお約束になっている。 出演番組[編集] 外部リンク[編集]

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氷点下 – Wikipedia

−8 °Cを示す温度計 氷点下(ひょうてんか)は、氷点(水の凝固点・氷の融点)よりも低い温度である。 常圧での水の融点は 273.152519 K、すなわち 0.002519 °C であり(水の性質を参照)、この温度以下を零下(れいか)とも呼ぶ。実用上は0 °Cをもって融点とし、「マイナス」を「氷点下」に置き換えて、例えば「−10 °C」を「氷点下10度」のように言う。華氏度においては、32°Fが氷の融点となることから、32°Fから華氏度の値を引いて、例えば「22°F」を「氷点下10度」(10 degrees of frost)のように言う。 氷点は水に含まれる不純物の種類や量によって容易に変化することから、広義では単に水が凝固する温度点の意味で用いられる。 水が液体から固体へ状態変化する温度の境界線より低い状態であり、この境界を跨いで温度が変化することで水分の多い地球上の自然現象や生態系に様々な影響を及ぼすことから、ひとつの温度の指標として重要なものとなっている。 氷点下での現象[編集] 地球[編集] 自然界では、氷点下での環境は緯度が高い地域で寒冷期に実現する。特に緯度が高い場合は一年を通して氷点下を維持し続けることから、このような地域の大地は半永久的に凍結した状態にあり、永久凍土と呼ばれる。 氷点下では地球表面の多くを覆う水が凍結するため、空気中の水分が凍結して乱舞するダイヤモンドダストは氷点下特有の現象である。また海の表面が凍結して巨大な氷の塊である氷山が発生する現象も、海水温度が氷点下になることにより見られる現象である。このように、氷点下に特有な現象というのが数多く存在し、地球環境に大きく左右されることになる。 生物[編集] 氷点下での環境は生物にとって過酷な条件であることが多く、冷酷な地域での活動に特化した生物でない場合、長時間いると体温が奪われて凍死してしまう。そのため適切な寒さ対策が必要であり、寒冷な地域での生活が可能な生物は体の表面が毛皮に覆われている。人間も本来、氷点下での生活は不可能であるものの、寒さ対策が行われることにより生活できるようになっている。

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イナズマクロス – Wikipedia

イナズマクロス(Inazuma Cross[1]、1988年4月3日 – 2013年12月23日[2])は日本の競走馬。主な勝ち鞍は1991年のクイーンステークス。同年のエリザベス女王杯にも出走し4着であった。 繁殖牝馬としては重賞勝ち馬を出せなかったものの、産駒のイナズマラムがイナズマアマリリスを産んだ。 競走成績[編集] 以下の内容は、netkeiba.comの情報[3]に基づく。 競走日 競馬場 競走名 格 距離(馬場) 頭数 枠番 馬番 オッズ(人気) 着順 タイム(上り3F) 着差 騎手

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チャイルド オブ ライト – Wikipedia

『チャイルド オブ ライト』(Child of Light)は、ユービーアイソフトから発売されたRPG。 プレイヤーは横スクロール型のフィールドで主人公とその相棒を操り、仕掛けを解いたり敵と戦ったりしながらゲームを進めていく。敵との戦闘はシンボルエンカウント方式とターン制のコマンドバトルが採用されている[1]。 鉛筆と水彩で描かれた絵本のようなグラフィクスが特徴。ゲームエンジンには、『レイマン オリジン(英語版)』等の近年のレイマンシリーズと同じくUbiArt Framework(英語版)が用いられている[2]。 『Far Cry 3』のクリエイティブ・ディレクターで、本作の開発を手掛けたPatrick Plourdeによれば、本作はスタジオジブリ・天野喜孝・『ベイグラントストーリー』・『ファイナルファンタジーVIII』・『LIMBO』のスタイルに強くインスパイアされているという[2]。 日本でのPlayStation 4・PlayStation 3版の発売に際しては、ゲームソフト本編のプロダクトコードと、天野喜孝の描き下ろしポスター、24ページから成るアートブック、ボーナスダウンロードコンテンツをセットにした限定生産のパッケージ版が販売された[3]。PlayStation 4版とPlayStation 3版はクロスバイであり、一度PlayStation Storeで購入するとどちらのプラットフォームでもプレイすることができる。 日本でのPlayStation

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ビクトル・ゴメス – Wikipedia

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はゴメス、第二姓(母方の姓)はペレアです。(Template:スペイン語圏の姓名) ビクトル・ゴメス 名前 本名 ビクトル・ゴメス・ペレアVíctor Gómez Perea ラテン文字 Víctor Gómez 基本情報 国籍 スペイン 生年月日 (2000-04-01) 2000年4月1日(22歳) 出身地 オレサ・デ・モントセラート 身長 169cm

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瀧安寺 – Wikipedia

瀧安寺(りゅうあんじ)は、大阪府箕面市箕面公園にある本山修験宗の寺院。山号は箕面山(みのおさん)。宝くじの起源である富籤(くじ)発祥の地とされている。お金ではなく、お守りを配る古式に則った富籤を2009年に復活させ、毎年10月10日に行っている[1]。 寺伝によれば658年(一説には650年)に役小角が箕面滝の下に堂を建設し、本尊の弁財天像を安置し、「箕面寺」と命名したのが始まりである。平安時代に後白河天皇が編纂したとされる『梁塵秘抄』に「聖のすみかは何処何処ぞ、箕面よ勝尾よ」と歌われている。後醍醐天皇が隠岐に島流しになった際には、護良親王が当寺に帰還祈祷を依頼したという。その後「瀧安寺」という寺号を賜ったとされる。その他にも、山岳霊場として栄え、空海や日蓮、蓮如が修行したほか、現在も護摩法要が行われている。 山門は光格天皇が1809年(文化6年)に京都御所から移築したものである。また、弁財天本堂は後水尾天皇の勅命により1656年(明暦2年)に建てられた。この弁財天は日本四弁財天に数えられる。通路側にある鳳凰閣は昭和時代初期の建築物である。 室町時代末期に織田信長によって焼失し、江戸時代になって後水尾天皇の援助によって現在地に再建された。また天正3年(1575年)に「富会」を挙行した。これを日本の宝くじ発祥とする見方もある。祈願の目的とした瀧安寺の「箕面富」の記録は後述のように、更に平安時代まで遡る。 弁財天を祀っている所から、芸能の寺としても知られ、近松門左衛門・坂田藤十郎[要曖昧さ回避]ら上方歌舞伎関係者が大般若経を奉納している。 鎌倉時代編纂の『夫木和歌抄』に収録された藤原兼隆(平安時代中期の公卿)の歌に、瀧安寺で行われていた「箕面富」について記されている。これによると、約950年前より古くから富籤の原型があったことになる。金銭を配るのではなく、当籤した者は「大福御守」が授けられたという。 戦国時代の1575年(天正3年)には「富会」が始まり、江戸時代に刊行された『摂津名所図会』にも、箕面富の賑わいが描かれている。明治時代初期に中止となり、「万人講くじ」と名称・形を変えて、2009年に箕面富が復活した。 現在行われている宝くじの源流とされる江戸時代の富籤は、この箕面富が発祥と考えられている。寺社が修繕資金を集めるため番号が入った富札を発売し、同じ番号の木札を箱に入れて、期日に錐で突いて選び当籤者を決めた。 本堂・伽藍[編集] 本堂(弁天堂):後水尾天皇の寄進で、奥殿と拝殿から成る神社形式になっている。本尊に弁財天像、脇尊に毘沙門天像と大黒天像を安置する。 行者堂(開山堂):本堂同様に、奥殿と拝殿から成る。主尊に役小角像、脇尊に不動明王像と蔵王権現像を安置する。 観音堂:2002年再建。中央に如意輪観音像(重要文化財)、左右に阿弥陀如来像、弘法大師像を安置する。 祭事・年中行事[編集] 4月15日の開山忌、7月7日と11月7日の行者堂法要には、採燈大護摩供と山伏大行列が行われる。 毎月7日の月次祭には護摩供と、周辺商店街では「箕面山七日市」』と称する門前市が催される。 辨財天秋まつり「箕面富」(10月10日)。 重要文化財(国指定)[編集] 大阪府指定有形民俗文化財[編集] 箕面市指定有形文化財[編集] 瀧安寺文書(中世24点・近世157点)

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