Month: February 2021

コオニヤンマ – Wikipedia

コオニヤンマ(小鬼蜻蜓、学名:Sieboldius albardae Sélys, 1886)は、蜻蛉目サナエトンボ科に分類されるトンボの一種。東アジアの温帯域に分布する大型のトンボである。 和名は「小型のオニヤンマ」の意であり、「ヤンマ」の名がつくが、分類上はヤンマ科でもオニヤンマ科でもない。学名の属 Sieboldius は日本の文化や生物を研究したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトへの献名、種名 albardae も昆虫研究家 Albarda への献名である。 なお、記載者のエドモン・ド・セリ・ロンシャンは、日本産コオニヤンマの標本と、よく似たボルネオ産同属種の標本とを取り違えていたため、日本に分布しないはずのボルネオ産のものが「日本の」を意味する種名 S. japponicus Sélys, 1854 として記載され、日本産のコオニヤンマが日本と関係ない種名 S. albardae Sélys, 1886

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ライトノベルのドラマCD化作品一覧 – Wikipedia

ライトノベルのドラマCD化作品一覧(ライトノベルのドラマCDかさくひんいちらん)では、ドラマCD化されたライトノベル作品を、時系列順に並べるものとする。ラジオドラマとして放送されただけであったり、音声データのみの配信であるなど、形の残らない媒体は含まない。 ドラマCDの続編・シリーズについては、第一作目のデータのみを記載する。(ラジオCD・DJCDはカウントしていない。) よって最初に発売されたメーカーと次作とでは異なる場合があるが、最初のメーカーを優先する。 詳細を知りたい場合には、リンク先の作品ページを参照のこと。 イメージアルバムのうちサウンドトラックおよびソングCDは入力しない。 少女小説レーベルのボーイズラブ(以下BL)CDは表に青色で記載。(詳細は#女性向け作品を参照。) 原作やそのコミカライズや画集に付属するものは記述しているが、アニメの購入特典または雑誌付録については触れない。 小説のオリジナルストーリーとして発表されたノベライズも掲載している。 CD以外の物理メディアに収録された作品も参考までに加えている。(#ドラマCD以外の音声物理メディアを参照。) 男性向け作品[編集] 角川スニーカー文庫[編集] 富士見ファンタジア文庫[編集] スーパーファンタジー文庫[編集] 電撃文庫[編集] ジャンプ ジェイ ブックス[編集] トクマ・ノベルズedge[編集] ハヤカワ文庫[編集] ソノラマ文庫[編集]

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劉仁軌 – Wikipedia

劉 仁軌(りゅう じんき、拼音:Liú Rénguĭ、仁寿2年(602年) – 垂拱元年1月22日(685年3月2日)は、中国の唐の軍人。字は正則。汴州尉氏県の出身。 隋の仁寿2年(602年)に生まれる。若い頃は貧しく、学問好きであったという。唐の建国後、武徳年間に息州参軍となり、のち陳倉県尉に転ずる。折衝都尉の魯寧なる者が横暴であったため、これを鞭打って殺害した。太宗に詰問されると、「臣(私)が辱められたために殺しました」と臆せずに答えたことから、かえって太宗に気に入られ、咸陽県丞に任ぜられた。給事中にまで昇るが、ために権臣の李義府に憎まれるようになり、青州刺史に左遷される。 さらに顕慶5年(660年)の遼東征伐において漕運に失敗した罪を着せられ、59歳にして一兵卒に落とされた。この年、蘇定方率いる唐軍が百済の都の泗沘城を攻め、配下の劉仁願[1]が義慈王を捕らえる功績を挙げ、百済を滅亡させる。しかし、龍朔元年(661年)に百済の遺臣鬼室福信らが泗沘城の奪還を試み、守将の劉仁願を包囲した。この際、劉仁軌は自ら志願して検校帯方州刺史を拝して援軍に赴く。 龍朔3年(663年)9月、百済残党を支援する倭(日本)の水軍を白村江で迎撃し、400余隻の軍船を焼き払って大勝する(白村江の戦い)。さらに百済故地の諸城を平定し、屯田を営み庶民を安心させたという。麟徳2年(665年)高宗が泰山で封禅を行った際には、新羅・百済・耽羅・倭4国の首領を率いて参加し、大司憲を拝し、右相兼検校太子左中護に進み、楽城県男に封ぜられた。 総章元年(668年)には熊津道安撫大使兼浿江道総管となり、李勣に従って高句麗を平定。金紫光禄大夫を拝し、太子左庶子同中書門下三品に進んだ。上元元年(674年)には鶏林道大総管に任ぜられ、新羅の文武王を討って(唐・新羅戦争)大勝し、上元2年(675年)には左僕射となって朝政に参画した。光宅元年(684年)、楽城郡公に封ぜられた。垂拱元年(685年)正月、文昌左相同鳳閣鸞台三品として在職中に没した。享年84。諡は文献。死後、開府儀同三司・并州大都督を贈られ、高宗の陵墓である乾陵に陪葬された。 子に劉滔・劉濬があった。 ^ 名前は劉仁軌と似ているが、血縁関係はない。 伝記史料[編集] 参考文献[編集] 『東洋歴史大辞典 下巻』(1941年、縮刷復刻版、臨川書店、ISBN 4653014728)1018ページ「劉仁軌」(執筆:清水文行) 『アジア歴史事典 9』(平凡社、1984年)275ページ「劉仁軌」(執筆:古賀登)

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それゆけ! ぶるにゃんマン – Wikipedia

それゆけ!ぶるにゃんマンHARDCORE!!!それゆけ!ぶるにゃんマンPortableそれゆけ!ぶるにゃんマンえくすたしー!!! ジャンル 横スクロールゆるキャラSTG[1] 発売元 Digital Cute(HARDCORE[1],えくすたしー)アルケミスト(Portable) 発売日 2012年1月27日(HARDCORE)[1]2012年8月2日(Portable)2013年6月6日(Portable廉価版)2014年6月27日(えくすたしー) レイティング 18禁(HARDCORE,えくすたしー)CERO:D(17才以上対象)(Portable) メディア ダウンロード販売(HARDCORE)UMD(Portable) テンプレートを表示 『それゆけ!ぶるにゃんマン』とは、2008年12月19日にDigital Cuteより発売されたアダルトゲーム『むすめーかー』内に収録されたミニゲームおよび、それを基にしたゲームのシリーズである。 本項では続篇や移植版についても解説する。 本作は、アダルトゲーム『むすめーかー』において、ある条件を満たすと解放されるミニゲームであり、横スクロールゆるキャラシューティングゲームというジャンルが銘打たれている[2]。萌え擬人化された猫を自機とし、やはり萌えキャラとなった鼠たちと戦う。 基本的な操作体系はキャラの移動・ショット・ボムである。敵弾が自機をかすることで「アドレナリンMAX」となり、ショットがパワーアップするとともにボーナススコアが入る[3]。さらに難易度設定をEASYまたはNORMALにすると、敵弾がかすった際に一瞬ゲームスピードが落ちる「止まって見えるぜ!」が発動するため、初心者でも遊べるようになっている[3][4]。 ステージ最後のボス戦は大きな見どころであり、画面の半分ほどを覆う巨大な姿をした鼠が襲ってくる[1]。意表を突く攻撃を仕掛けてくるため、初見ではまず避けられない[4]。 ボスキャラクターは体力が一定値を下回ると攻撃方法が変化するという特徴を持っている[5]。

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熊谷眞一 – Wikipedia

くまがい しんいち 熊谷 眞一 生誕 1941年山形県大江町 死没 2021年2月8日山形県山形市 出身校 山形市立商業高等学校 職業 実業家 熊谷 眞一(くまがい しんいち、1941年(昭和16年) – 2021年(令和3年)2月8日)は、日本の実業家。シベール創業者。 人物・来歴[編集] 山形県大江町に生まれる[1]。 山形市立商業高等学校卒業後、仙台市、新潟県三条市、東京での菓子職人の修行を経て、父親が営む和菓子店「松月堂」に入る[1]。1966年25歳の時、山形市緑町に県内では初となる洋菓子専門店「シベール」を開業し[1]、市内や仙台市等に店舗網を広げていった。

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姫路ラーメン – Wikipedia

ラーメン > 姫路ラーメン らーめん八角の姫路ラーメン。海苔が姫路城をイメージしている例。 姫路ラーメン(ひめじらーめん)とは、兵庫県姫路市を中心に加古川市、播磨地域のご当地ラーメンである[1][2]。 目次 1 概要 2 姫路ラーメンの歴史 3 現在の動き 4 脚注 5 関連項目 6 外部リンク 播磨地域の昔からの地場産業である醤油をベースに鶏ガラ、豚骨、野菜で炊き上げたスープをベースとしたラーメンで、「醤油ベースに生姜をトッピング」が定義だが、共通したレシピはなく醤油の濃度には濃淡がある。ねぎ、もやし、チャーシュー、のりなどに加え生姜を乗せるのが一般的[3]。同じ兵庫県西脇市を中心とする播州ラーメンとの共通項も多い[4][1][2]。 姫路ラーメンの歴史[編集] 姫路では1946年(昭和21年)に開業した東来春がその始めと言われ、多くの姫路ラーメンの店では中ストレート麺を使用している。

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浅野直人 – Wikipedia

浅野 直人(あさの なおひと、1943年 – )は、日本の法学者。専門は民法、環境法。福岡大学名誉教授。環境省中央環境審議会会長、環境科学会会長、環境アセスメント学会会長等を歴任した。 人物・経歴[編集] 愛知県名古屋市生まれ[1]。山口県立宇部高等学校在学中は生徒会長を務め、1962年に卒業。1966年九州大学法学部卒業[2]。1968年九州大学大学院法学研究科修士課程修了[3]。1972年九州大学大学院法学研究科博士課程中退[4]。九州大学法学部助手を経て[2]、1972年から福岡大学法学部専任講師(民法)。1980年福岡大学法学部教授。1987年福岡大学大学院法学研究科教授併任[5]。 1991年大宰府市環境審議会会長[2]。1993年中央環境審議会委員[1]。1996年環境保全功労者・環境庁長官・大臣表彰受賞。1997年学校法人福岡大学理事・法学部長[5]。1998年福岡市環境審議会会長[2]。2004年から福岡県環境審議会会長、北九州市環境審議会会長[2]。2005年環境科学会賞受賞[3]。 2013年中央環境審議会会長代理[6]。2014年福岡大学法科大学院特任教授[5]、福岡大学名誉教授[2]。2015年中央環境審議会会長[1]。2017年に中央環境審議会会長を任期満了退任後も、中央環境審議会臨時委員として、地球環境部会カーボンプライシングの活用に関する小委員会、フロン小委員会等の委員長を務めた。この間、環境科学会会長、環境アセスメント学会会長[2]、環境法政策学会理事長代理、日本交通法学会理事、日本計画行政学会九州支部長・本部理事、産業構造審議会臨時委員なども歴任した[3]。 『環境・防災法』(共著)ぎょうせい 1986年 『中国民法の研究』(野村好弘と共編著)学陽書房 1987年 『環境影響評価の制度と法 : 環境管理システムの構築のために』信山社出版 1998年 『環境法』(柳憲一郎と共編)法学書院 2010年 ^ a

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三菱重工業長崎造船所 – Wikipedia

三菱重工業長崎造船所 本工場全景 長崎造船所本館(右上の白い建物) 地図 三菱重工業長崎造船所(みつびしじゅうこうぎょう ながさきぞうせんじょ)は、長崎県長崎市と諫早市にある三菱重工業の造船所・工場。正式名称は三菱重工業株式会社長崎造船所。略称長船(ながせん)。三菱重工業下関造船所、三菱重工業神戸造船所と共に三菱重工業の主力工場・造船所の1つ。長崎造船所のうち、小菅修船場跡、第三船渠、ジャイアント・カンチレバークレーン、旧木型場(現在は史料館)、占勝閣の5資産が世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(全23資産)の構成資産となっている。 長崎県長崎市にある本工場(長崎造船所)、香焼工場、幸町工場と、諫早市の諫早工場からなる。 大型客船や大型タンカー、LPG船等の船舶のほか、発電プラント、環境保全設備、海水淡水化プラント等、多岐にわたる製品を製造している。 本工場(長崎造船所)は、1857年(安政4年)に日本初の艦船修理工場「長崎鎔鉄所」として誕生し、江戸幕府から明治政府に管理が移った後、1887年(明治20年)三菱に払い下げ、以後民営の造船所として多数の艦船を建造した[1]。戦艦武蔵を建造したことでも有名である。 戦後、三菱重工は3社に分割されるなど経営母体は紆余曲折したが、本工場は賠償撤去指定工場を免れ存続する。 一時期は受注も途絶え小型の漁船を細々と建造する有様であったが、1950年(昭和25年)の朝鮮戦争前後よりその高い造船技術を評価され 、以後オイルショック頃まで大型タンカー受注が続いた[2]。 現在は民間船舶の他海上自衛隊の護衛艦も多数建造している。1950年代には後甲板の傾斜に特徴的な設計を持つ護衛艦を多く建造し、護衛艦における「オランダ坂」の名前の由来となった。 飽の浦本工場内には三菱重工業長崎造船所史料館が開館されている。 長崎鎔鉄所(1860年) 三菱重工業長崎造船所飽浦製鑵工場(明治時代) 1857年(安政4年) 江戸幕府直営「長崎鎔鉄所」の建設着手。 1860年(万延元年)

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