竜崎遼児 – Wikipedia

竜崎 遼児(りゅうざき りょうじ、1953年9月14日[1] – )は、日本の漫画家。長崎県五島市出身[1]。血液型はB型[1]

中学生のころ横山光輝の『伊賀の影丸』、さいとうたかをの劇画を読み影響を受ける。その後、手塚治虫、ちばてつやの漫画にも感動して漫画家を目指す。高橋わたる、新岡勲、荘司としおのアシスタントを経て[2]、1972年、『漫画ホット』(秋田書店)に掲載の「番格流れ者」でデビュー[1]。『炎の巨人』『どぐされ球団』と野球漫画を続けてヒットさせる。その後も『ウォー・クライ』(ラグビー)、『ばっくれ一平!』(野球)、『雷電王』(相撲)などといったスポーツ漫画や『闘翔ボーイ』などといった格闘技漫画を発表した。

初期は少年誌で活動していたが、後に青年誌でも執筆するようになった。

落語家の柳家喬太郎のファン。

  • 1972年 – 「番格流れ者」によりデビュー。
  • 1974年 – 「炎の巨人」の連載を開始。
  • 1976年 – 『月刊少年ジャンプ』で「どぐされ球団」の連載を開始。
  • 1986年 – 『週刊少年サンデー』で「闘翔ボーイ」の連載を開始。
  • 2002年 – 『週刊パーゴルフ』で「インパクト」の連載を開始。

作品リスト[編集]

  • 炎の巨人 – 『週刊少年ジャンプ』(1974年 – 1975年)、原作:三枝四郎
  • プロレス対柔道 – 週刊少年ジャンプ(1976年)、原作:桜井康雄
  • 実録 巨人軍物語 – 週刊少年ジャンプ(1976年)、原作:吉田憲生
  • どぐされ球団 – 『月刊少年ジャンプ』(1978年 – 1982年)
  • ウォー・クライ – 『少年ビッグコミック』(1980年 – 1981年)
    高校ラグビーを扱ったもので、不良少年を集めて作られたチームが舞台。
  • 甲子園の狼 – 『週刊少年ジャンプ』(1981年36号 – 39号)
  • 19番ホールの鷹 – 『月刊少年ジャンプ』(1984年)
  • 弾アライブ – 『少年ビッグコミック』(1985年)
  • おれがHERO – 『マガジンSPECIAL』(1985年8号 – 1986年)
  • ストリートファイター – 『月刊少年ジャンプ』(1985年)
    喧嘩屋「海燕のジョー」こと伊波譲児の物語。
  • BE WILD ユウ – 『週刊少年マガジン』(1986年2・3号 – 18号)
  • 闘翔ボーイ – 『週刊少年サンデー』(1987年 – 1988年)
  • ばっくれ一平! – 『週刊少年サンデー』(1989年 – 1990年)
  • ARHAN(アラハン) – 『月刊少年マガジン』(1991年)
  • 雷電王 – 『コミックバーガー』(1991年 – 1994年)原作:M.A.T.
  • ナック – 『月刊コミックジャングル』(1992年、ワニブックス)
  • 湾 – 『ビジネスジャンプ』(1994年3号 – 1994年20号)
  • J・BOY – 『少年マガジン』(1994年 – 、月刊マガジンKC)
  • インパクト – 『週刊パーゴルフ』(2002年 – 2019年)、原作:坂田信弘

アシスタント[編集]

  • 中川カ〜ル
[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d 『漫画家人名事典』p424 日外アソシエーツ
  2. ^ 竜崎遼児先生インタビュー/2006年7月号:日本漫画学院Web

外部リンク[編集]