いわしげ孝 – Wikipedia

いわしげ 孝
本名 岩重 孝
生誕 1954年(昭和29年)12月31日
鹿児島県鹿児島市
死没 (2013-03-06) 2013年3月6日(58歳没)
国籍 日本
職業 漫画家
活動期間 1970年 – (学業専念のため一時中断)
1978年 – 2012年
ジャンル 人情劇画
代表作 『ぼっけもん』
受賞 第31回小学館漫画賞(1986年)
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いわしげ 孝(いわしげ たかし、1954年12月31日[1] – 2013年3月6日[2])は、日本の漫画家。鹿児島県鹿児島市出身[1]。鹿児島県立鹿児島工業高等学校[3]を経て二松學舍大学卒。血液型AB型[1]。デビューから十数年は本名の岩重孝(読みは同じ)で活動していた[1]

高校時代の1970年(昭和45年)に『週刊少年ジャンプ』(集英社)の第5回新人漫画賞で「小さな命」が入選、審査員である本宮ひろ志から「彼の作品は生命が感じられるね」と評価された。この作品が翌1971年の同誌正月号に掲載され、デビューを果たす。

当時のいわしげは意欲的に漫画を描いており、同じ年に「スクラップ」も同誌の上期手塚賞で佳作に選ばれたほか、続く下期手塚賞でも「ブルースを歌う少女」が佳作に選ばれている。ただ、当時まだ高校生だったいわしげは、絵柄の荒々しさなど漫画の技術に未熟さを感じていたという。以降しばらくは学業に専念する。

高校卒業後、大学入学のために上京、書店でアルバイトをする傍ら漫画を描いた。

大学卒業後、『ビッグコミック』(小学館)に投稿を開始する。1978年に「忘れ雪」が第2回小学館新人コミック大賞で入選し、本格的にデビューする[1]

1980年(昭和55年)の梅雨時に、『ビッグコミック』の縁ではるき悦巳と知り合い、そのアシスタントとなる[4]。同期にさかもと瓢作(坂本瓢作)がおり、はるきの作品である『じゃりン子チエ』の補助作業もさかもとと共に行った。並行していわしげは『ぼっけもん』を『ビッグコミックスピリッツ』で連載し、同作は1986年(昭和61年)に第31回小学館漫画賞に選ばれている。

1988年(昭和63年)から『ビッグコミックスピリッツ』にて『ジパング少年』を連載、同時にペンネームを本名の岩重孝からいわしげ孝に変更した。 

以降は『週刊ヤングサンデー』『ビッグコミックスペリオール』(共に小学館)に移り、『花マル伝』などを連載した。その後『モーニング』(講談社)での『まっすぐな道でさみしい』の連載などを経て、『ビッグコミック』にて『単身花日』を2006年から2008年4月まで連載、同年のうちに引き続き同誌にて『上京花日』の連載を開始した。

2013年(平成25年)3月6日、病気のために死去した[2][5]。58歳没。遺作となった『上京花日』は、2010年より病気療養に入って休載し、2011年秋にいったん再開したものの、未完のまま2012年2月25日号掲載分が絶筆となった[2]

作品リスト[編集]

岩重孝名義

  • ぼっけもん(ビッグコミックスピリッツ)
  • うち、若葉!(ビッグコミックスピリッツ)
  • 二匹のブル(原作:瀬叩龍、ビッグコミックスピリッツ)

いわしげ孝名義

  • ジパング少年(ビッグコミックスピリッツ)
  • ざっぺら(ビッグコミックスペリオール)
  • ばんえい駆ける(ビッグコミックスペリオール)
  • 花マル伝(ヤングサンデー)
    主人公の花マルのクラスメートの杉矢は『単身花日』など、後の作品のモブシーンにもたびたび登場する。
  • 怪人百面相(ビッグコミックスペリオール)
  • 新・花マル伝 (週刊ヤングサンデー)
  • まっすぐな道でさみしい -種田山頭火外伝- (モーニング)
  • 青春の門 -筑豊編-(原作:五木寛之、モーニング)
  • 単身花日(ビッグコミック)
  • 上京花日(ビッグコミック、未完)
[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e 『Fusion Product 創刊号』ふゅーじょんぷろだくと、1981年7月。PP140-141。
  2. ^ a b c “「上京花日」のいわしげ孝が逝去、58歳”. コミックナタリー. (2013年3月22日). http://natalie.mu/comic/news/87219 2013年3月23日閲覧。 
  3. ^ 南日本新聞社373ニュースドットコム
  4. ^ 『ガチャバイ』下巻(1998年)、あとがきより。
  5. ^ 「ぼっけもん」漫画家・いわしげ孝さんが死去、58歳 スポーツニッポン 2013年3月23日閲覧

外部リンク[編集]