太上老君 – Wikipedia

太上老君(たいじょうろうくん、だじょうろうくん)は、道教の神の一人。別名道徳天尊(どうとくてんそん)、混元老君(こんげんろうくん)、降生天尊(ごうせいてんそん、こうせいてんそん)、太清大帝(たいせいたいてい)とも言う。道教の始祖とみなされる老子が神格化されたもので、道教の最高神格である三清の一柱。元始天尊の応身の神格とされ、あるいは、その十号の一つに数えられる。

地上では崑崙山、天上では道教における天上界の最高天のひとつ、太清境(たいせいきょう)に住するとされる。『抱朴子』の記述によれば、その姿は、口がカラスに類し、耳の長さは7寸あり、額には縦筋が3本あったとされ、神仙の風貌で描かれている。『雲笈七籤』に収録された「道蔵三洞経」では、老君の妻は素女で、黄衣を着る[1]

道家の祖として老荘思想を説いた老子が、道教の神となったのは、五斗米道の開祖である張陵の時であるとされる。また、後漢の于吉のもとに現れて啓示を与えたのに始まり、六朝から唐代にかけては、盛んに顕現するようになった。

梁の陶弘景が著した『真霊位業図』では、その第四級の中心に表されている。また、太上老君説とされる道経が盛んに作られたのも、この時代であり、それは、唐室が同姓の老子を宗室の祖として尊崇したことから、ピークを迎えたが、以後は、次第に衰えていく。

太上老君を主題とする文芸作品[編集]

関連項目[編集]