東急8500系電車 – Wikipedia

東急8500系電車(とうきゅう8500けいでんしゃ)は、1975年(昭和50年)に登場した東急電鉄の通勤形電車。

本項ではインドネシアの鉄道会社であるPT. Kereta Api、PT KAI Commuter Jabodetabekに売却された車両についても記述する。

東急では、1969年(昭和44年)から当時建設していた地下鉄「新玉川線」(現在の田園都市線渋谷駅 – 二子玉川駅間)向け車両として地下線火災対策基準「A-A基準」を満たした8000系を東横線に順次導入した。

その後、渋谷駅から都心方面に直通運転を行う予定の地下鉄半蔵門線への乗り入れにあたって、東急・帝都高速度交通営団(現在の東京地下鉄)共通の車両規格が作成された。この規格に合致させるため、路線識別用の赤帯の貼付、機器取り扱いの変更、および電動車比率の向上による先頭車の電動車化などのマイナーチェンジを図った本形式を新玉川線・半蔵門線向けとして1975年から導入することになった。

本系列は8000系のマイナーチェンジ車両であるため、登場時は8000系の一部として扱われていたが、その後増備が進むにつれて8500系と呼ばれるようになった。現在でも広義の8000系と呼ばれるグループに含まれる。1991年までに400両が導入され、東急の系列として最大の両数を占めていた。

1976年(昭和51年)に、東急としては初めて鉄道友の会ローレル賞を受賞した。8630F以前の各編成には、受賞記念プレートが設置されている。

車両概説[編集]

車体[編集]

8000系とほぼ同一のオールステンレス車体で、1981年(昭和56年)度分として導入した車両(13次車)からはバッド社の技術を元に東急車輛が独自に開発した軽量ステンレス車体を採用して軽量化を図った。この車両は8631F以降の全車両と8630F以前の一部の中間車にも組み込まれている。

前面は8000系より150 mm高い高運転台構造となり、正面窓が小さくなったほか、行先表示幕の左側に種別表示幕、右側に運行番号表示幕をそれぞれ設置した。また、半蔵門線乗り入れ規格に基づく路線識別帯として、東急のステンレス車では初めて先頭車の前面に東急のシンボルカラーと警戒色を兼ねた赤帯を入れて登場した。この赤帯はそれ以降に登場した同社の新造車両にも普及し、従来車も1989年(平成元年)以降導入されるようになった。

当初は小田急9000形電車に似た前面デザインも計画され、模型まで製作された。だが、「切妻以外は考えるな」という東急の方針により、前面が平らな切妻の形状になった。なお、当初は「9000系」が仮の形式称号だった[2]

デハ8700・8800形は、8799・8899号の次が0700-・0800-と変則的な番号が付与されている。これは東急の車両管理システムでは車両番号を4桁で管理しており、5桁への対応は大規模な改修が必要になるため、それを避けるためこの付番になっている。

主要機器[編集]

8000系の電動車 (M) と付随車 (T) の構成(MT比)は6両編成時で4M2T(起動加速度3.2 km/h/s)であり、旧新玉川線には対応していたが、半蔵門線の急曲線・急勾配区間において故障した先行列車を救援するには電動車比率を向上させる必要があったため、本系列は5両編成時に4M1T、6両編成時に5M1T、8両編成時に6M2T、10両編成時に8M2Tとされた。

電動車比率向上および半蔵門線で使用される誘導無線 (IR) アンテナを設置する中間付随車が必要とされたため、制御車(先頭車)を8000系の付随車(クハ8000形)から本系列では電動車(デハ8500形・デハ8600形)に変更し、中間付随車(サハ8900形)を新たに設定した。中間電動車は8000系のデハ8100形、デハ8200形にそれぞれ相当するデハ8700形と、デハ8800形とした。

電動車のうちデハ8500形およびデハ8700形に制御装置を搭載し、対となるように隣接して連結したデハ8600形またはデハ8800形も一緒に制御する。ただし、編成の都合で電動車の両数が奇数となる場合はデハ8500形および8700形が単独で連結された。

8000系と同じ界磁チョッパ制御車だが、1989年(平成元年)に計画していた本系列のVVVFインバータ制御への更新および増発用の新型車両導入(2000系)に向けた試作車として、同年に2両(デハ8799・0802号)がVVVFインバータ制御に改造された。

その後、1991年度増備車のうち2両はVVVFインバータ制御(量産型)が採用され、8642Fに組み込まれた。8642Fには界磁チョッパ、試作型のVVVFインバータ、量産型のVVVFインバータと1編成で3つの異なる制御装置を搭載している。なお、2003年から本系列の東武線乗り入れが始まったが、8642Fは東武での乗務員教習の手間を少なくするため東武線へは乗り入れなかった。このため、前面には東武乗り入れ非対応編成であることを示すKマークが貼付されていた。

電動台車は8000系と同じTS-807形を採用した。また、付随台車は同系列ではパイオニアIII系のTS-708形であったが、ばね下重量の軽減のため、本系列では電動台車をベースとしたTS-815形を採用した。

東武乗り入れ非対応の車両の無線アンテナは2本、乗り入れ対応車両は無線アンテナが3本装着されている。

種別・行先表示器[編集]

種別・行先表示器は、落成当初とは違うものになっている。落成当初は字幕式で日本語表記のみであったが、1990年(平成2年)の半蔵門線水天宮前駅延伸時に水天宮前行のみ英字表記が追加された。また、一部編成で英字併記に変更されている。当時の英字は大文字+小文字で表記された。

1994年(平成6年)より8603Fを皮切りにLED式への改造が施工され、先述の英字併記に交換された編成にも施工された。このフォントは当初は明朝体であったが、2003年3月19日の半蔵門線押上開業と東武線乗り入れに伴い表示器のROMを交換した際にフォントを視認性の良いゴシック体へ変更し[3]、同時期に字幕式で残存していた8606F・8607F・8610Fは英字を大文字表記とした新幕へ変更した。また、側面にも英字表記が入るようになった。

8616Fは行先表示器が2005年(平成17年)3月26日より、その後8634F – 8636F・8638F – 8641Fが従来の3色LEDからフルカラーLEDに変更されている。ただし、8616F・8634F – 8636Fは3色LEDに戻されている(8616F・8634Fの側面表示を除く)。

8606Fは8500系の中では最後まで字幕式行先表示器を装備していた編成。この他に8607F・8610Fが廃車時まで字幕式で残存していた。

8638F – 8641Fは大井町線用であり、前述した半蔵門線延伸などには関係がなく、ROMの交換を行わなかった。したがって3色LED式行先表示器のフォントは明朝体であった。このうち8640Fと8641Fは前面のみ幕式で、側面はLED式であったが、田園都市線直通急行に対応するため、検査入場した際に前面もLED化して出場した。現在では、大井町線の8500系にはフルカラーLEDが採用されており、同線を走る全車両での各停(青色・緑色)表示化と視認性を向上させたゴシック体への変更が完了している。

内装[編集]

8000系と同一の客室であり、腰掛は8人掛けでエンジ色、ベージュ系の化粧板、床材、天井は冷房機と扇風機がある。

登場時より冷房装置(冷房能力8,000 kcal/h×4台)を搭載するが、地下鉄新玉川線用に新造された一部の車両は冷房準備車として冷房を搭載せずに登場し(屋根に外キセのみ載せた形態で外観は区別がつかない)、後に冷房化された。8608Fには、米・旧バッド社の協定プレートが取り付けられている。

1981年(昭和56年)の増備車より8090系の改良点を取り入れ、座席を7人掛けに短縮、仕切りパイプの形状を変更、荷棚がパイプ状から網状となった。網棚については従前の車両も後に網状へ改造された。8636Fまではこれらの増備車が必ず含まれる(4・5号車ユニットは1983年以降に竣工)。

1986年(昭和61年)以降に登場した8637F以降の編成単位で導入された車両では、9000系に準じて天井に補助送風機としてスイープファンを設置、冷房装置の能力を10,000 kcal/hに増大、7人掛けの腰掛へ中仕切りを追加、腰掛の2色化(ブラウン・オレンジ)、電動ワイパ・電子ホーンの新設など、仕様が変更されている。

腰掛の2色化は1988年(昭和63年)ごろ従来の車両に対しても行なわれた。従来の車両には中仕切りがないため、マルーン・オレンジとコントラストを抑えた配色が使用された。

8639Fは補助送風機が試験的に改良品に交換され、8642F・9000系9002F以降で本格的に採用された。

  • 8,000 kcal/h×4台の車両の一部は、冷房装置を9,000 kcal/hのタイプに交換している。
    • なお、その後の2009年末時点の資料[4]では1両に9,000 kcal/hタイプを1台、さらなる能力向上形の10,500 kcal/h(RPU-3016形)[5]3台とあり[4]、1両あたりの能力は40,500 kcal/h(48.09 kW)となっている[4]
  • 8637F・8642Fの一部の冷房装置は、後年になりさらに大容量 (12,500 kcal/h) のものに交換された[6]。キセ(カバー)もステンレス製となっている。これは9000系にも施行されている。
  • 運転室と客室の仕切り部はATC機器設置のために両側は壁となり、中央に窓入りの仕切り扉があった[注 1]。8635F以降ではATC装置の小型化により車掌台側に窓を新設、在来車もATC機器更新時に車掌台側に窓を新設した。

車体装飾[編集]

TOQ-BOX虹色装飾(1980年代 – 2010年?)
8634Fが施していた。側面にも赤帯が廻り、前面と戸袋の部分に虹と楽器・音符のイラストが描かれていた。2005年12月にドア鴨居部にLED案内表示器を千鳥配置で設置するとともに車外の行先表示器をフルカラーLED式に交換したが、2008年11月には前面のみ3色LEDに戻された。その後、2010年6月頃には赤帯以外のステッカーが全て撤去された。なおこの編成はTOQ-BOXの2代目編成であり、初代編成は8635Fであった。最初から8634FがTOQ-BOX号ではなかったのは、1986年当時東横線で7両編成で暫定運用に入っていたためである。
田園都市線開通20周年記念列車(1986年)
8635Fが施していた。落成当初は通常の赤帯であったが、イベント開始に合わせて装飾を施した。前面においては、車両番号部分に20周年のイラスト(黄色地に斜め虹が入り、20の0の間から8500系が飛び出している)が描かれ、尾灯下部には「田園都市線 祝 開通20周年」と赤文字が表示されていた。側面はコルゲートに赤と緑の帯が入り、側扉下部に20周年の記念イラストが描かれていた。なお、イベント終了後は初代TOQ-BOX号として運行された。
TOQ-BOX青帯装飾(1987年 – 2008年)
8637Fがこの装飾を施している。落成当初は通常の赤帯であったが、翌年よりこの装飾となった。最大の特徴は帯色が青いことで、それが側面にも廻っており、先頭車には7色のシャボン玉が描かれていた。途中で帯や装飾を貼り替えているので、貫通扉枠部の帯の有無や装飾の色や位置が変わっている。一時は東急ケーブルテレビジョン(現在のイッツ・コミュニケーションズ)の広告電車に、2000年にはグランベリーモールの広告車としても運用された。この編成は、1991年に8642Fが田園都市線に転用される時に同編成に連結されていた中間車3両(0808・0711・8980、いずれも1987年製)と8637Fに連結されていた0802・8799・8974(いずれも1986年製)が交換された。前述の通り、この編成は扇風機を廃止して補助送風機としてスイープファンを採用し、座席に4:3の仕切りを設置するなど、東横線の9000系に準じた車内仕様となっている。また、後年になってドア鴨居部にLED案内表示器を千鳥配置で設置する改造が行われたが、他の8500系後期車に見られたような車外の行先表示器のフルカラーLED式への交換は施工されていない。2008年12月7日には先頭車の側面に貼付されていたシャボン玉が全て撤去されたが、青帯はその後も残されている。
伊豆のなつ号(2006年-)
2006年(平成18年)夏に8614Fが車体広告編成「伊豆のなつ号」に使用され、ハワイアンブルーの帯が巻かれた。「伊豆のなつ号」終了後もハワイアンブルーの帯は存置されている。伊豆急行の8000系を再現。詳細は伊豆のなつ号を参照。
玉電開通100周年・新玉川線開通30周年記念列車(2007年)
8615Fは、2007年2月26日から同年9月9日まで玉電開業100周年および新玉川線開業30周年を記念したステッカー式ヘッドマークを先頭車の前面に貼付するとともに、車体にも玉電および新玉川線建設に関するステッ カーが貼付された。なお、2006年11月からしばらくの間300系310Fにも同じものが貼付されていた。
新玉川線35周年記念列車(2012年)
2012年(平成24年)4月7日から6月30日の間、8616Fに新玉川線開業35周年を記念したステッカー式ヘッドマークを先頭車の前面に貼付して運行された。ヘッドマークには渋谷ヒカリエ・二子玉川ライズのイラストと、旧新玉川線区間途中駅のラインカラーによる虹が描かれている。また、記念入場券の販売や途中駅でのメモリアル写真展開催が併せて企画された。
田園都市線50周年記念列車(2016年)
2016年(平成28年)に田園都市線の溝の口駅 – 長津田駅間の開業から50周年を迎えたため、8606Fに田園都市線50周年を記念したステッカー式ヘッドマークを先頭車の前面に貼り付けて運行されていた。ヘッドマークには5000系を模したイラストの周りに「DENENTOSHI LINE 50th ANNIVERSARY」と書かれており、同様のヘッドマークが5000系の5002編成にも貼り付けられていた。
Bunkamura号(2018年)
8637FはTOQ-BOXの装飾除去後も青帯が遺されていたが、2018年(平成30年)3月には扉にカラー(中央林間方から順に青、黄、緑、赤)の装飾が施され、更にその後Bunkamuraのロゴや施設写真が追加され、Bunkamura号となった[7][8]。車内は広告をジャックして、施設や公演に関する情報を発信している。

田園都市線

← 南栗橋・久喜・押上・渋谷

中央林間 →

デハ8600 デハ8700 サハ8900 デハ8800 デハ8700 デハ8800 デハ8700 サハ8900 デハ8800 デハ8500

大井町線

← 大井町

二子玉川・溝の口・鷺沼

デハ8600 デハ8700 サハ8900 デハ8800 デハ8500

所属は全車長津田検車区である[9]

編成表[編集]

東急8500系電車/編成表を参照。

田園都市線への投入[編集]

1975年に当時の田園都市線(大井町駅 – すずかけ台駅間)に4両×10本 (8601F – 8610F) が投入された。この時の編成は3M1Tとなっていた(編成表)。

後に8500系の中間車が増備されると中間に組み込まれていた8000系は東横線などに戻り、1987年(昭和62年)に混成編成は解消した。

翌1976年に増備された編成 (8611F – 8616F) は、サハ8900形に代わりM2車であるデハ8800形が連結された全電動車の4両編成となった。これはサハ8900形に搭載する大容量静止形インバータ (SIV) の開発が間に合わず、補器を搭載したデハ8800形を組み込んだためである(編成表)。

その後、同年に実施された田園都市線の5両化に伴い同線で使用された編成は全て5両とされた。この時に増備された一部の中間車は8000系の編成に入っていた(編成表)。

なお、5連化された編成は、編成替えなども含めて1977年開業の新玉川線系統とは別の運用に就いていた[注 2]

1979年8月12日以降の半蔵門線・新玉川線(当時)と田園都市線の運行系統一本化により、現在の大井町線区間にあたる大井町駅 – 二子玉川園駅(現在の二子玉川駅)間には入らなくなり、新玉川線・田園都市線向けに大半の編成が6・8両化され、一部の編成が東横線に移籍した。

営団地下鉄への貸出[編集]

8500系は1978年から1988年頃まで営団半蔵門線(当時)に貸し出された。外見上の区別がつかないが、車内のドア上にある路線図が営団のメトロネットワークだったことと、車内広告に営団地下鉄の広告が採用されていた[10]点で区別ができた。

東横線への投入[編集]

東横線で運用されていた8642F。側面方向幕が使用されている。
(1988年8月 新丸子駅 – 多摩川園駅間)

東横線には、先行して新玉川線開業用の車両(6両×2本)が導入された。その後、同線開業用車両はさらに増備され、1977年4月7日の同線開業まで暫定的に東横線で使用されることとなる。

この時に本系列のみでは必要車両数を確保できなかったため、1976年から8000系に前述の車両規格に対応させる改造を施した。これらを本系列の中間に組み込むことにより必要車両数を確保した。

なお、これらの中には中間車の代用として8000系の先頭車に幌を装着したものが登場した[注 3]。中間車代用の先頭車については1982年の中頃に解消されているが、8000系の中間車は1988年頃まで使用されていた。

新玉川線開業用以外のもので東横線が新製時配属になっている編成は、以下の編成になる。

  • 8630F(6連)・8634F(7連)・8642F(8連)

東横線系統では、主に急行運用で使用された。ただし、6連で在籍していた車両は、1980年の急行7連化に伴い各停運用が中心となった。1982年の急行8両化以降に在籍していた車両は、8連口は主に急行で使用されたが、各駅停車が8連に増強された後は各駅停車でも運用された。また、1985年に7連で増備された8634Fは各駅停車のみ運用していた。

田園都市線で使用した側面方向幕は、各停運用は未使用、急行運用は「急行」表示しかされておらず行き先は表示されなかった。8500系として最後に製造された8642Fは田園都市線ではなく東横線に新製投入されており、東横線系統の側面方向幕を用意して使用された。

9000系が登場以降は転属が進み、1989年までに8500系は東横線から撤退している。

編成表は東横線に在籍していた編成の編成表を参照。

新玉川線への投入[編集]

1977年4月7日の新玉川線開業時に東横線から6連11本が転用された。ほとんど地下区間での運用となることから、大半の編成が冷房準備車だった(編成表)。

田園都市線と大井町線の予備車共通運用[編集]

1986年に投入された8638F+8639F・8640F+8641Fは、田園都市線と大井町線で予備車を共用できるよう5両編成+5両編成で製造され、しばらくの間大井町線でも使用された。そのため、この4編成の乗務員室ドアは普通の編成と違う仕様になっている。

大井町線運用には主に8640F+8641Fを充当し、大井町線用方向幕、戸越公園駅[注 4]・九品仏駅の両駅で使用するドア非扱いスイッチを装備している他、田園都市線のATC化後も東急形ATSを存置した。

なお、大井町線運用の他にこどもの国線用7000系ワンマン運転対応車が検査入場した際にもツーマン運転で代走することもあった。

東武線直通による廃車開始と大井町線転籍[編集]

2003年3月19日には半蔵門線水天宮前駅 – 押上駅間延伸および同線と東武伊勢崎線・日光線の相互直通運転が開始された。田園都市線と半蔵門線は従来から相互直通運転を行っているため、田園都市線所属の8500系は田園都市線から半蔵門線・東武伊勢崎線を介して東武日光線の南栗橋駅まで乗り入れるようになった。また、2006年3月18日からは伊勢崎線の久喜駅まで乗り入れるようになった。

この東武線直通に際しては、当初8500系全車に東武線用保安装置の追設で賄う予定だった。しかし、その後バリアフリー対応を推進していく方針となったため、2002年5月2日から2003年2月21日にかけて新型車両の5000系が投入されることとなった。これにより8601F・8602Fが廃車、5両編成+5両編成の8638F+8639F・8640F+8641Fが5両編成ずつに分割の上で大井町線に転籍した。

大井町線に転籍した8638F+8639F・8640F+8641Fは8000系の8045F – 8051Fを置き換えた。また、同線転籍時には先頭車の貫通幌と営団ATCを撤去した。パンタグラフは当初、菱形(PT43形)のままだったが、後にシングルアーム化された。

田園都市線に引き続き残った車両は、改修費を抑えるため、8603F – 8614FおよびVVVFインバータ制御装置を搭載した8642Fを除いた8615F – 8637Fに東武線直通対応の改修を行い、相互直通運転開始に備えた。その後、5000系6ドア車導入による車両不足を補うため、2004年度には8613Fと8614Fも東武線直通対応とされた。改修対象から外され、東武線直通非対応となった編成は識別のため非常扉に丸囲みの「K」のシールが貼付された。

東武線非乗り入れ運用減少と田園都市線 – 大井町線直通急行[編集]

大井町線所属車両に貼り付けられた
誤乗防止用ステッカー

2006年3月18日のダイヤ改正からは伊勢崎線久喜駅までも乗り入れが行われるようになった。また、このダイヤ改正から東武線非対応編成は平日の朝ラッシュ時のみの運用となり、日中運用は僅かとなった。しかし、精算運転の絡みで土曜・休日の押上行または清澄白河行として東武線対応編成に代わって運用に入ることもある。その機会は昼間より夜間の方が多く、運転本数は1往復程度だったが、2008年3月28日のダイヤ改正から土曜・休日の東武非乗り入れ編成の運用が復活 (36K – 38K) し、36K・37Kは朝のみで38Kのみ終日運用が組まれていた。

なお、2009年6月6日のダイヤ改正以降、土休日ダイヤでの東武線非直通運用は朝のA34Kと、夜のP35Kのみとなっており、終日運用の東武線非直通は平日の44Kのみとなった。

大井町線所属の5両編成は、2006年3月18日から土曜・休日の大井町線 – 田園都市線直通急行に使用されるようになった。この直通急行設定に際し、誤乗防止策として、正面の帯色を赤色から赤色→黄色のグラデーションに変更し、同時に貫通扉の帯の下部に大井町線を表す認識ステッカーが貼付された。なお、大井町線内での急行運転は2008年3月28日のダイヤ改正より開始され、大井町線直通急行も全て大井町線の急行用車両である新6000系で運行されるようになった。
なお、大井町線所属8500系は8638Fを最後に運用から退いた。

更新工事[編集]

1997年から2001年にかけて老朽化した車両の車体・車内更新工事が施行されたが、その後は5000系による車両の置き換え計画が発表されたため、全車に施工されることなく工事は中止された。本系列は、8000系のように編成単位での施工ではなく、編成中で軽量構体化される前の12次車までが対象だった(ただし13次車以降でも8841のみ更新工事が施工されている)。

工事内容[編集]

一部車両は車体・車内更新を同時に施工したものも存在している。

  • 車体・車内更新(一部メニューが異なるが、ほぼ同一)
    • 車内化粧板の張り替え[注 5]
    • 床材(ロンリウム)の張り替え
    • 屋根の再塗装
    • 車椅子スペースの設置[注 6]
    • 車体老朽化部分の修繕
    • 行先設定器の更新…ダイヤル式からボタン選択式に。東武線乗り入れ改造時に更新(8613F-8637Fのみ施工)
    • 行先表示器のLED化…8601F – 8610Fを除く。前述した通り、その後劣化・視認性の低下などから8616F・8634F – 8636FがフルカラーLEDに更新されたが、2008年11月には前面と8635F・8636Fの側面が再度3色LEDに戻された。取り外したフルカラーLEDは大井町線用車に取り付けられた。
    • 側面窓サッシの取り替え
    • 腰掛けの取り替えと7人掛け化、バケットシート化[注 7]・仕切り部へのスタンションポール(握り棒)の取り付け
    • ドア脇の立客スペース設置[注 8]

      LEDの車内案内装置(2000年)

また、更新工事とは別に、交通バリアフリー法対応の関係で工事を施された編成も存在する。

  • 自動放送装置・LED式車内表示器の取り付け(自動放送装置とドア開閉灯は千鳥配置、8634F・8637F、直通先2社にも対応している)

更新工事施工時期以外には以下の改良が行われた。

  • 車内冷房カバーを改良
    • 従来からあった吹き出し口の他に、カバーに穴を開けてその直下にも冷風が吹き出すように改良された。パンタグラフ直下では扇風機の区画を廃し、冷風吹き出し口を設けたり、補助送風機をラインデリア化する工事も行われた。

その他にも機器の部分的な更新が行われている(更新工事と直接関係ない)。

  • 主電動機の電機子絶縁更新
  • 主制御器の駆動部交換

前面スカート装着[編集]

東武鉄道への直通営業開始を前にして、2002年末期から2005年度にかけて一部の編成を対象に先頭車前面下部に排障器(スカート)の設置工事が施工された。設置工事の施工時期の違いなどにより、後述のような仕様の変更がみられる。

2002年度[編集]

  • 8623Fの上り方先頭車(デハ8623)で試行され、その後下り方先頭車 (デハ8523) でも正式に採用された。
  • 8615F – 8619F

2003年度[編集]

いずれも編成単位で両先頭車同時に施行された。

  • 8620F・8621F・8622F・8624F – 8627F・8629F・8630F
  • ★8633F・8634F・8636F…2003年夏期にスカートを装着した。一時期取り外されたが、2004年初頭に復元された。
  • ☆8628F・8631F・8632F・8635F・8637F…最後にスカートを装着した。施工時期が★のグループのスカート復元期と重なる。

2004年度[編集]

必ずしも東武線への直通を意図しないものとなった。また、スカートの形状が変更されている。

  • ○8613F・8614F…東武線ATSを設置した。
  • ●8609F・8611F・8612F・8642F…東武線ATSは設置されなかった。

2005年度[編集]

大井町線用の編成にも装着した。

  • 8638F・8639F・8640F・8641F

2007年8月から下り方先頭車のスカートの右上部が切り取られた編成が登場した。これはジャンパ栓の形状が変更されたためであり、8613F以外の全てのスカート装備編成が切り取られた。

その他の更新工事の施行計画[編集]

2007年1月15日付のニュースリリース[11]では、5000系35編成250両の導入による置き換えから軽量構体化車体の上に使用年数が浅い理由で除かれた8631F – 8642Fは、5000系の導入がほぼ完了次第、車内化粧板の張り替え・車椅子スペースの設置・行先表示器のフルカラーLED化・バケットシート化・車内案内表示器(自動放送装置・ドア開閉灯の千鳥)設置・スタンションポールの設置に加え、IGBT-VVVF化の更新工事を施工した上で残存する計画であったが、5000系35編成250両の導入中断、7700系・7600系の置き換え、9000系の副都心線直通に伴う改造計画も然り、リーマン・ブラザーズ・ホールディングスや日本航空の経営再建時の破綻処理といった金融危機のあおりを受けた倒産が相次ぎ、それに続く形で東日本大震災の影響が経営に直撃(JALは2004年まで、東急が航空業界にて唯一勢力を伸ばしていたJASの筆頭株主であったが、財務体質がなくバブル崩壊後に経営が逼迫のため、JALとの経営を統合。合併後もJALの経営破綻まで東急は大株主であった関係)、経営状況が芳しくない動静が長続きのため計画は見送られた。

防犯カメラ設置工事[編集]

2019年頃より、車内の防犯カメラ設置が行われており、本系列では、車内照明と一体型の防犯カメラが採用されている。なお、既存の車内照明は蛍光灯のままだが、防犯カメラ一体型の物のみLED照明である[12]

置き換えと廃車[編集]

5000系による置き換え[編集]

5000系の導入や8590系の転属により、2003年(平成15年)から置き換えが開始された。廃車時期は以下の通り。

  • 2003年度…8601F・8602F
  • 2005年度…8603F
  • 2006年度…8605F・8604F・8608F・8611F
  • 2007年度…8607F・8610F・8613F[13][注 9]
  • 2008年度…8612F・8609F・8618F・8624F

5000系は田園都市線に35編成が導入される予定だったが[14]、18編成で導入は打ち切られ、当形式は38編成中24編成が引き続き残存する事となった。

2020系による置き換え[編集]

2017年(平成29年)3月、東急電鉄は田園都市線に新型車両2020系を導入することを発表した[15][16][17]。これに伴って、当形式の残存24編成も2022年度までに置き換えられることとなり[18]、2019年(平成31年・令和元年)より廃車が発生している。現在までに運用を離脱した編成と時期は以下の通り。

  • 2019年度…8620F・8642F・8632F・8633F・8621F・8623F・8625F
  • 2020年度…8606F[注 10]・8626F・8614F・8615F・8627F

大井町線で運用されていた編成も、田園都市線への2020系導入に伴う2000系(→9020番台)の転属によって、以下の通り廃車された。

  • 2018年度…8639F・8640F・8641F
  • 2019年度…8638F
  • なお、廃車予定の8622Fと8630Fは部品および車両単体での一般販売を行う[19]

組み替え[編集]

離脱した編成の経年の浅い車両を他編成に組み込む組成変更が行われた。

  • ☆8601Fのデハ0704号…8617Fのデハ8723号を捻出
  • 8601Fのデハ8895 – 8791号…8620Fのデハ8726・8848号を捻出
  • 8602Fのデハ8896 – 8792号…8620Fのデハ8857 – 8755号を捻出
  • ☆8603Fのデハ8897 – 8793号…8628Fのデハ8840 – 8740号を捻出
  • 8605Fのデハ8899 – 8795号…8615Fのデハ8836 – 8747号を捻出
  • 8604Fのデハ8898 – 8794号…8627Fのデハ8839 – 8734号を捻出

なお、☆の3両は更新車と同様に座席の中央にスタンションポール(つかみ棒)が取り付けられた。

他鉄道事業者への譲渡[編集]

2005年から廃車になった車両の譲渡が行われている。

長野電鉄譲渡車[編集]

長野線を走る8500系、一部の編成は中間車の先頭車化が行われた。
(2019年12月10日)

2005年度に6両(3両編成2本)+部品取り車2両の計8両、2006年度に6両(3両編成2本)、2008年度に6両(3両編成2本)がそれぞれ長野電鉄に譲渡され、同社の8500系として使用されている。譲渡先に合わせて起動加速度は低めに設定されている。なお、譲渡は2011年度まで行われる予定であったが、諸般の事情により中断された。

  • デハ8500形:8501・8502・8503・8505・8524(8505・8524を8504・8505に改番)
  • デハ8600形:8601・8602・8603・8605・8624(8511・8512・8513・8514・8515に改番)
  • デハ8700形:8718(部品取り車)・8730(先頭車化しデハ8506に改番)
  • デハ8800形:8824(同上)・8841(先頭車化しデハ8516に改番)
  • サハ8900形:8903・8905・8908・8910・8920・8944(8551・8553・8552・8554・8555・8556に改番)

今後の予定[編集]

信濃毎日新聞によると、長野電鉄は2022年2月25日、同社で運行する”通勤電車”を”2028年度までに”3000系などの”省電力車両に置き換える方針を明らかにした。長野電鉄が設定した主要KPI(重要業績評価指標)によれば、現時点(2022年2月26日)にて保有する全45両に占める省電力型の割合を20%から、2028年度までに73%に達成することを目標とした。数字にしっくりと近づけるにあたって、置き換えられる予定の3500系2連2本、省電力20%を補う新形式の3000系3連3本、特急電車の1000系4連2本、2100系3連2本を省き、残りの在籍数を18両とした場合、8500系3連6本全車両を置き換えられることが示唆されている[20]

伊豆急行譲渡車[編集]

2005年度に伊豆急行へ1両が譲渡され、同社の8000系として使用されている。同系全45両中唯一の元東急8500系であるが、これは8000系のクハ8049と組んで2両編成化の試作車として2004年11月に先行改造されていたものを2005年に追加改造を施工したものである。

  • デハ8700形:8723(8152に改番)

秩父鉄道譲渡車[編集]

秩父鉄道に譲渡された8500系。中間車の先頭車化が行われた編成も存在する。
(2009年5月5日)

2008年度に秩父鉄道へ8両が譲渡され、このうち6両(3両編成2本)が同社の7000系として使用されている(残り2両は部品取り車)。

  • デハ8500形:8509(デハ7001に改番)
  • デハ8600形:8609(デハ7201に改番)
  • デハ8700形:8709(先頭車両化しデハ7002に改番)・8745(部品取り車)
  • デハ8800形:8809(先頭車両化しデハ7202に改番)・8830(部品取り車)
  • サハ8900形:8926(サハ7102に改番)・8950(サハ7101に改番)

インドネシアへの譲渡車[編集]

2006年度に8両編成3本(8604F・8608F・8611Fのうち8両×3本の24両)、2007年度に8両編成2本(8607F・8610Fのうち8両×2本の16両)、2008年度に8両編成2本(8612F・8618Fのうち8両×2本の16両)、2009年度に8両編成1本(8613Fのうち8両)がインドネシアの鉄道会社であるPT. Kereta Api、PT Kereta Commuter Indonesia(以降PT KCI)に譲渡された。KCI管内での冷房付各駅停車「Commuter Line」に使用されている。改番は行われていない。2009年に譲渡した8613FのみPT. Kereta Apiの通勤鉄道事業を分社化したPT KCI導入となっており「JALITA」という愛称が付けられている。なお、譲渡後不具合を起こし、長い間休車になっていた8613Fは休車の間に部品取りが進み復旧が困難になったため、2014年9月に廃車となった。現在、老朽化で一部編成が廃車に発生している中、現存車は全てKCI所属となっている。

2020年(令和2年)5月に廃車となったデハ8606・8506が東急テクノシステムで静態保存されている[21]。今後は研修や技術伝承を目的とした利用がなされる予定となっている[21]

映像収録[編集]

  • テレビドラマ「私鉄沿線97分署」のオープニングに登場。
  • ゲーム「Train Simulator+電車でGO! 東京急行編」の田園都市線の映像を収録するため8604F(2006年PT. Kereta Apiへ譲渡)が使用された[注 11]
  • 電車とバスの博物館の8090系シミュレータ改修時、田園都市線(上り・中央林間駅 – 二子玉川駅間)の映像を収録するため8639F(大井町線)が使用された。
  • インドネシアのPT. Kereta Apiに譲渡された車両がインドネシアのホラー映画の撮影に使用された。

注釈[編集]

  1. ^ 小田急9000形と類似した構造。
  2. ^ ただし、同年11月から運行された渋谷駅 – 長津田駅間の直通快速には、これら5両編成も運用に就いていた。
  3. ^ クハ8033 – 8044が該当し、特徴としては幌枠に幌を取り付けたボルトとIRアンテナの撤去跡がある。ただし8043・8044は8601・8602Fの8両化時に6号車へ組み込まれたためIRアンテナは装備せず、1997年に更新された際に幌枠のボルトも撤去し改修された。
  4. ^ 2013年2月24日に戸越公園駅でのドアカットは解消されている。
  5. ^ 東京メトロ02系(方南町支線用80番台およびB修工事施工済車を除く)と類似したものに交換した。
  6. ^ 未更新車にも施工されている。
  7. ^ 8841を除く。
  8. ^ 既に設けられていた後期車を除く。
  9. ^ 8613Fのデハ8834 – 8737号以外の8両は緊急予備車両扱いとなっている。
  10. ^ 東急で最後まで残った方向幕車。この編成の廃車をもって、東急電鉄から方向幕を装備する車両は消滅した。廃車後は静態保存されている(後述)。
  11. ^ なお、東横・大井町線の収録は事業用車デヤ7200系を使用した。

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 市村昇一「東京急行電鉄49年度新造車デハ8000形系の概要」『鉄道ピクトリアル』第305号、鉄道図書刊行会、1975年4月。
  • 駒村雅裕「新車ガイド 東急・地下乗り入れ用8500形」『鉄道ファン』、交友社、1975年5月。
  • 荻原俊夫「東急8000系グループのすべて」『鉄道ファン』、交友社、1979年11月。
  • 荻原俊夫「東京急行電鉄8000系15次車」、「特集 新車年鑑1984年版」、『鉄道ピクトリアル』第438号、鉄道図書刊行会、1984年10月。
  • 東京急行電鉄『新玉川線建設史』東京急行電鉄、1980年、865-914頁。
  • 川口雄二「東京急行電鉄デハ8799・0802(VVVF改造車)」、「特集 新車年鑑1990年版」、『鉄道ピクトリアル』第534号、鉄道図書刊行会、1990年10月。
  • 土岐實光「ある車両技術者の回想3 ワンハンドル運転台のできるまで」『鉄道ファン』第377号、交友社、1992年9月。
  • 土岐實光「ある車両技術者の回想10 軽量ステンレス車両開発の苦心談」『鉄道ファン』第384号、交友社、1993年4月。
  • 電気車研究会「特集 東京急行電鉄」『鉄道ピクトリアル』第600号、鉄道図書刊行会、1994年12月。
  • 高橋英樹「東京急行8000系グループ形態解析1」『鉄道ピクトリアル』第693号、鉄道図書刊行会、2000年11月。
  • 高橋英樹「東京急行8000系グループ形態解析2」『鉄道ピクトリアル』第697号、鉄道図書刊行会、2001年2月。
  • 高橋英樹「東京急行8000系グループ形態解析3」『鉄道ピクトリアル』第699号、鉄道図書刊行会、2001年4月。
  • 高橋英樹「東京急行8000系グループ形態解析4」『鉄道ピクトリアル』第710号、鉄道図書刊行会、2001年12月。
  • 神尾純一「車両総説」、「特集 東京急行電鉄」、『鉄道ピクトリアル』第749号、鉄道図書刊行会、2004年7月。
  • 宮田道一「東急8000系ファミリーの記録1」『鉄道ファン』第544号、交友社、2006年8月。
  • 荻原俊夫「東急8000系ファミリーの記録2」『鉄道ファン』第545号、交友社、2006年9月。
  • 荻原俊夫「東急8000系ファミリーの記録3」『鉄道ファン』第547号、交友社、2006年11月。
  • 『鉄道ファン』、交友社、2008年9月。
  • 「大手私鉄 車両ファイル2009」『鉄道ファン』第581号、交友社、2009年9月。、付録。
  • 「特集 東京急行電鉄」『とれいん』、エリエイ、2010年1月。
  • 「MODELERS FILE「秩父鉄道7800系電車」」『とれいん』、エリエイ、2013年5月。

関連項目[編集]