伊豆箱根鉄道コデ66形電車 – Wikipedia

伊豆箱根鉄道コデ66形電車(いずはこねてつどうコデ66がたでんしゃ)は、伊豆箱根鉄道大雄山線において、かつて機関車代用として使用された工事用電車である。

1982年の全般検査時の改造

この車両は、もともとは1933年製造の国鉄クモハ12000(←鉄道省モハ34001)である。晩年は美濃赤坂支線等で使用された後、1969年に伊豆箱根鉄道が譲り受け、モハ66となった。当初は駿豆線でモハ51・サハ81・モハ66の編成で使用されていた(一時期、急行運用もあった)が、大雄山線の1500V昇圧後、1977年に転入した。

大雄山線では、1976年11月25日の昇圧直前はモハ46が唯一の両運転台車であり、通常時はクハ26とペアを組み旅客車として使用していたが、工事列車・大場工場への車両輸送列車には機関車代用(牽引車)として使われていた。しかし、昇圧の際に廃車となったため、機関車代用車を補うために駿豆線から入線したのがモハ66である。

大雄山線では両運転台車という特徴を生かして、機関車代用として使用されることもあり、大雄山線の車両が大場工場へ入場する際には、牽引車として使用された。旅客車としては大雄山方の先頭車として使用されており、駿豆線からの入線後しばらくは、(小田原方)助士席側の乗務員扉が残っており、半室運転台で助士席側とは仕切り棒で仕切られていた。その後1982年の全般検査時に、小田原方の助士席側乗務員扉は埋められて運転台は片隅式となり、助士席跡にはロングシートが設置された。乗務員扉跡には800mm幅の側窓が設置され、小田原駅で東海道線ホームから見る側面は、片運転台車と同様の外観であった。なお、台車はクモハ12000当時のDT12ではなく、他車と共通のTR14Aであった。

大雄山方の前面は非貫通の三枚窓(Hゴム固定)で、運転台も全室式であったが、小田原方の前面は、原型に近いものであった。また、旅客運用時には小田原方の貫通扉は取り外しており、機関車代用として運用する時のみ取り付けられていた。

編成を組んでいたモハ51とサハ81が廃車になった後、1992年にはモハからコデに形式が変更され、正式に機関車として使用されることになった。
その後、(小田原方)電気連結器撤去、幌枠撤去、マスコン変更、自動連結器化、小田原方ATS取り付け等の工事を大雄山分工場で行っている。

工事用電車コデ66になってからも、夜間工事用列車としてバラストを積載したトム1形(自社所有の工事用貨車)を牽引する仕業が頻繁に見られたが、車体の老朽化が進んできたため、モハ165を改造したコデ165で代替されることになった。車籍上は1927年製造とコデ66よりも古かったが、相模鉄道在籍時に車体更新を受けていたためにモハ165の方が状態は良かったのである。

コデ66最後の仕業は、軌道試験で深夜、飯田岡-穴部間での試運転と鉄道建設公団から購入した軌道用モーターカー・バラスト散布車(ほくほく線・敷設工事で使用されていた車両で大雄山線搬入時はグリーン色)を搬入時、飯田岡から大雄山までの回送運転だった。旧形国電に詳しい鉄道趣味者には貴重な車両として知られていたが、1997年に廃車解体となった。

なお、この時に導入された軌道用モーターカー・バラスト散布車の使用開始にともない、後継のコデ165における夜間工事用列車としての仕業は、JRチキ6000形2両編成又は4両編成でのレール運搬と、トム1形(自社所有の工事用貨車)の定期検査時の試運転(大雄山-相模沼田間)以外はなくなっている。

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