西尾忠尚 – Wikipedia

西尾 忠尚(にしお ただなお)は、江戸時代中期の大名。遠江横須賀藩の第2代藩主。横須賀藩西尾家5代。

元禄2年(1689年)、初代藩主西尾忠成の四男として生まれる。元禄9年(1696年)9月21日に世子となる。元禄16年12月21日(1704年)に従五位下、播磨守に叙任する。正徳3年(1713年)7月23日、父の隠居により家督を継ぎ、8月7日に隠岐守に転任する。

享保17年(1732年)3月15日、奏者番と寺社奉行を兼任という形で任命された。享保19年(1734年)9月25日に若年寄に任じられる。延享2年(1745年)9月1日、遠江国において5000石を加増され、9月28日に従四位下に昇叙した。延享3年(1746年)5月15日から延享4年(1747年)まで老中を務めた。延享3年(1746年)9月1日には侍従に叙任される。

寛延2年(1749年)12月15日、遠江において5000石を加増され、横須賀藩は3万5000石の大名となる。

宝暦元年(1751年)からも老中を務めたが、在職中の宝暦10年(1760年)3月2日に病に倒れ、回復することなく3月10日に江戸辰の口にて死去した。享年72。跡を養子の忠需が継いだ。

静岡県掛川市横須賀で4月第1週に行われる祭礼である遠州横須賀三熊野神社大祭は、幕府の要職を歴任して江戸暮らしが長かった忠尚が、江戸の文化を横須賀に伝えて始まったものである。