新党さきがけ – Wikipedia

新党さきがけ(しんとうさきがけ、英語: New Party Sakigake)は、かつて存在した日本の政党。略称および1998年10月以降の党名はさきがけ、英語略称はNPS

1988年9月2日に武村正義、鳩山由紀夫ら自民党の一年生議員を中心として結成された政策勉強会「ユートピア政治研究会」[7]を母体とする。ユートピア政治研究会はリクルート事件をきっかけに生まれ、政界浄化やリベラルな政治改革を訴えていた。

1993年4月、武村と田中秀征は新党結成を決断。両者をあわせた計10人の議員、武村、田中、鳩山由紀夫、三原朝彦、佐藤謙一郎、渡海紀三朗、園田博之、岩屋毅、簗瀬進、井出正一は同年6月18日の宮澤内閣への内閣不信任決議可決に伴う衆議院解散の直後に離党。6月21日に「新党さきがけ」を結成した[11][4]

なお、不信任決議案については研究会のメンバーの多くは反対票を投じていた。他方で不信任案に賛成していた小沢一郎らは当初離党の意志はなく、党内で改革運動を継続するつもりであったが、不信任に反対した武村らが率先して離党したことから、自身も離党を決心したとされる。したがって、さきがけの結党は非自民政権誕生に至る政界再編の引き金を引くことになった。

続く第40回衆議院議員総選挙を経て成立した非自民・非共産勢力による細川内閣に参加後、羽田内閣では閣外協力に転じたものの、自民党が政権復帰した村山内閣に参加し、続く橋本内閣まで政権の一角を担った。中心メンバーは自民党単独政権以降、非自民連立政権、自さ社村山政権、同橋本政権と、性質の異なるいくつもの政権にほぼ一貫して与党として参加していたことになり、小政党ながら巧みな政界遊泳で政界再編期に強い存在感を放った。途中日本新党親さきがけ派(反小沢派)など各会派の合流を受け入れて党勢を拡大させたが、1996年頃からメンバーの離脱が相次ぎ、2002年、みどりの会議への名称変更という形で正式に解党した。

なお、この離脱過程で、多くの旧所属議員は旧民主党に参加した。結党時の民主党は旧社会党出身者が大半だったが、その多くがベテラン議員だったこともあり、中堅・若手の多いさきがけ出身者が中枢を担った。旧民主党が他会派を吸収する形で1998年に結党された新民主党においてもその傾向は続いた。したがって、新党さきがけは実質的に後の民主党の母体と見ることもできる。これらさきがけ出身者(鳩山由紀夫、菅直人、前原誠司、玄葉光一郎、枝野幸男、荒井聰、小沢鋭仁など)は2009年に誕生した民主党政権においても中心的な人材として政権を担い、2人の内閣総理大臣(鳩山、菅)を輩出した。

政治理念[編集]

新党さきがけの政治理念は田中秀征が原案をつくり、結成議員全員で討議して決めたという。田中は五項目の政治理念を所属していた宏池会の政治姿勢を念頭に置き、保守本流のバトンを引き継いでいくという意識が強く持ちながら起草したという。

  1. 私たちは日本国憲法を尊重する。憲法がわが国の平和と繁栄に寄与してきたことを高く評価するとともに、時代の要請に応じた見直しの努力も傾け、憲法の理念の積極的な展開を図る。
  2. 私たちは、再び侵略戦争を繰り返さない固い決意を確認し、政治的軍事的大国主義を目指すことなく、世界の平和と繁栄に積極的に貢献する。
  3. 地球環境は深刻な危機に直面している。私たちは美しい日本列島、美しい地球を将来世代に継承させるため、内外政策の展開に当たっては、より積極的な役割を果たす。
  4. 私たちはわが国の文化と伝統の拠り所である皇室を尊重するとともに、いかなる全体主義の進出も許さず、政治の抜本的改革を実現して健全な議会政治の確立を目指す。
  5. 私たちは、新しい時代に臨んで、自立と責任を時代精神に捉え、社会的公正が貫かれた質の高い実のある国家、「質実国家」を目指す。

「質実国家」という用語は、昭和元年12月28日の昭和天皇の践祚後朝見式ノ勅語にある一節「それ浮華を斥け質実を尚び・・・」が由来である。田中はこれについて、「昭和をこういう時代にしたいという昭和天皇の夢であり、浮華を退けては虚飾を排してという意味と捉えて」書いたと述べている。また、「背伸びせず内容本位で自然体」と説明している。行財政改革の推進や環境重視の姿勢を全面に打ち出して、皇室や日本国憲法第9条を尊重する「尊憲」を掲げ、保守政党でありながら、ゆるやかなリベラルとでも言うべき色彩を有していた。こうした特色は、後の民主党に色濃く受け継がれていった。

1990年代の政党の離合集散

1993年6月21日、宮澤内閣不信任案が可決したことを契機に、派閥横断の勉強会「ユートピア政治研究会」所属衆院議員10人が自民党を離党、新党さきがけを結成[11]。代表は武村正義。名称発案者は同不信任案に10人中唯一賛成した簗瀬進[注釈 1]

7月18日、第40回衆議院議員総選挙で13議席を獲得。自民党過半数割れ。翌19日、日本新党と衆院会派「さきがけ日本新党」結成。8月9日非自民・非共産7党による細川護熙内閣発足。1人入閣。

1994年4月8日、細川が首相辞意を表明。日本新党が衆院会派「さきがけ日本新党」から離脱。15日、次期政権での閣外協力を表明。

25日、細川内閣総辞職。28日に羽田内閣発足。

5月9日、日本新党反小沢系の「グループ青雲」(3名)と統一会派「さきがけ・青雲」結成。30日、「民主の風」(4名)と統一会派「さきがけ・青雲・民主の風」結成。

6月25日、羽田内閣総辞職。30日 – 自社さ連立政権の村山内閣が発足。2人入閣。

7月5日、衆院会派も党名の「新党さきがけ」に改称。

1995年4月の第13回統一地方選挙では、1995年東京都知事選挙「官権政治から民権政治への転換」を党是としていながら自治事務次官や内閣官房副長官を経験した与野党相乗りの石原信雄を支持したが、青島幸男に敗北。同じく1995年北海道知事選挙では社会党を除名された自民党・自由連合が推薦する伊東秀子を支持したが、社会党・新進党・公明・民社協会推薦の横路孝弘知事時代の副知事堀達也に敗北。道府県議会議員選挙では9議席、指定市議会議員選挙では3議席を得た。

7月23日の第17回参議院議員通常選挙で3議席を獲得した。8月8日、村山改造内閣発足

1996年1月11日、第1次橋本内閣が発足。同年8月28日、社会・さきがけ2党による新党(社さ新党)の結成を武村と日本社会党委員長から社会民主党初代党首となった村山が試みる。ところが鳩山由紀夫らの反対により断念。同年8月30日、鳩山は新党旗揚げの宣言をするとともに、さきがけを離党。同日、武村が代表を辞任し、後継代表に井出正一が就任した。

9月28日、菅直人・鳩山由紀夫らが社民党離党者や市民リーグと共に旧民主党を結成。

10月20日、第41回衆議院議員総選挙で2議席獲得にとどまり、井出が代表辞意を表明した。22日井出が代表辞任。議員団座長に堂本暁子。新政権での閣外協力を決定した。

1998年2月、財政・金融分離問題で意見の対立した田中秀征が離党し、唯一の党友となる。

5月31日、第1回党大会開催。武村が代表就任。6月、自民党との連立を解消。環境政党としての再出発を表明。

7月、第18回参議院議員通常選挙で当選者を出せなかった。

10月20日に党名を「さきがけ」に改称。この際に所属国会議員のうち、園田、堂本、水野誠一が離党し、所属国会議員は武村と幹事長の奥村展三の2名となる。

2000年6月25日、第42回衆議院議員総選挙で武村と奥村が共に落選。所属国会議員が0人となったが、同日に参議院議員の中村敦夫が入党(復党)し、政党として存続することとなった。7月3日に中村が代表就任。

2001年3月10日、武村・奥村が所属していたさきがけ滋賀(事実上、唯一の地方組織)が民主党と合併。

3月16日、堂本の千葉県知事選挙出馬による辞職に伴い黒岩秩子が繰上当選。4月13日、黒岩が離党。

2001年の第19回参議院議員通常選挙には候補者を擁立しなかった。選挙後の7月29日、政党助成法上の政党要件を失った[15]

2002年1月16日、「みどりの会議」に政党名を変更。「さきがけ」解党。

歴代の常任幹事会代表・議員団座長(党首)[編集]

  • Green-Up-Arrow.svg は新党さきがけが政権入りした時点での代表。
  • RedDownArrow.svg は新党さきがけが連立内閣及び閣外協力を離脱した時点での代表。

なお、武村の代表復帰まで井出を代表者として総務省(旧自治省)に登録していた。

歴代の常任幹事会・執行部役員表[編集]

新党さきがけ常任幹事会
(1993 – 1996)
代表 代表代行 代表幹事 総務会長 政策調査会長 院内幹事 参議院
議員会長
武村正義 田中秀征 園田博之 鳩山由紀夫 簗瀬進 井出正一
武村正義 田中秀征 園田博之 井出正一 菅直人 渡海紀三朗 堂本暁子
武村正義 田中秀征 鳩山由紀夫 園田博之 菅直人 渡海紀三朗 堂本暁子
武村正義 田中秀征 鳩山由紀夫 園田博之 渡海紀三朗 三原朝彦 堂本暁子
新党さきがけ常任幹事会
(1996)
代表 副代表 代表幹事 総務会長 政策調査会長 院内幹事 参議院
議員会長
井出正一 菅直人 園田博之 三原朝彦 渡海紀三朗 三原朝彦 堂本暁子
井出正一 園田博之 園田博之(兼) 三原朝彦 渡海紀三朗 三原朝彦(兼) 堂本暁子
新党さきがけ常任幹事会
(1996 – 2002)
代表 議員団座長 幹事長 総務会長 政策調査会長 院内幹事 参議院
議員会長
堂本暁子 園田博之 堂本暁子(兼) 水野誠一 奥村展三 堂本暁子(兼)
武村正義 奥村展三 堂本暁子 中村敦夫 奥村展三(兼) 奥村展三(兼)
中村敦夫 黒岩秩子

閣僚経験者等[編集]

()内は入閣直前の党役職
細川内閣
内閣官房長官:武村正義(常任幹事会代表)
内閣官房副長官   :鳩山由紀夫
内閣総理大臣特別補佐:田中秀征
村山内閣
大蔵大臣:武村正義(常任幹事会代表)
厚生大臣:井出正一(総務会長)
内閣官房副長官 :園田博之(常任幹事会代表幹事)
建設政務次官  :簗瀬進
内閣総理大臣補佐:錦織淳
村山改造内閣
大蔵大臣:武村正義(常任幹事会代表)
内閣官房副長官:園田博之
第1次橋本内閣
厚生大臣   :菅直人(政策調査会長)
経済企画庁長官:田中秀征(常任幹事会副代表)
農林水産政務次官:小平忠正
環境政務次官  :中島章夫

党勢の推移[編集]

衆議院[編集]

参議院[編集]

(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)

新党さきがけ議員一覧[編集]

衆議院議員[編集]

結党時(10名)
ユートピア政治研究会のメンバーであった宮澤派の鈴木恒夫(神奈川1区)も参加を予定していたが、河野洋平の側近であったため、当時の内閣官房長官だった河野の説得を受け、参加を断念した。そのため、武村と田中は、鈴木の代わりとして岩屋を勧誘し、結成メンバーに加えた。また、研究会のメンバーでなかった渡辺派の新井将敬は、参加を希望したが断られた。
第40回衆議院議員総選挙(13名)
無所属で初当選していた高市早苗も公認申請していたが前出の新井同様に断られた。しかし新井と共に翌春柿沢自由党翌夏自由改革連合の結成や翌年末の新進党結党に参加。
落選
日本新党から移籍(グループ青雲、民主の風)
社民連より合流
平和・市民より合流
新進党から移籍

参議院議員[編集]

社会党から移籍(1名)
第17回参議院議員通常選挙(3名)
平和・市民より合流

さきがけ分裂[編集]

1996年9月に旧・民主党が結成されて党が分裂する直前の時点における党勢は、27名(衆院23名、参院4名)であった(上記の議員の内、佐藤謙一郎、石田勝之は、既に離党)。内、15名が旧・民主党に参加した。

さきがけ後の動向[編集]

民主党にも自民党にも移籍せず
自民党復党
民主党へ
民主党→民進党へ

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ Ido, Masanobu (2014). Economic Crises and Policy Regimes: The Dynamics of Policy Innovation and Paradigmatic Change. Edward Elgar Publishing. p. 247. ISBN 978-1-78254-992-5. OCLC 1036733892. https://books.google.com/books?id=uuoyAwAAQBAJ&pg=PT247 2021年9月20日閲覧. “The original DPJ was established in 1996 after Yukio Hatoyama, of the small centre party Sakigake, called for a new party, which led to the participation of politicians form both Sakigake and the JSP.” 
  2. ^ Kamikubo, Masato (2019). Globalizing welfare: an evolving Asian-European dialogue. Edward Elgar Publishing. p. 91. ISBN 978-1-78897-584-1. OCLC 1119625016. https://books.google.com/books?id=OD6tDwAAQBAJ&pg=PT1 2021年9月20日閲覧. “It consisted of the former Socialist Party of Japan (SPJ) group (left wing), former Japan New Party and the New Party Sakigake (centre left) and the former New Frontier Party (conservative, consisting of a former Democratic Socialist Party group and a former LDP group) (Takenaka 2005).” 
  3. ^ デジタル大辞泉
  4. ^ a b ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
  5. ^ a b c 日本大百科全書(ニッポニカ)
  6. ^ 百科事典マイペディア
  7. ^ 『朝日新聞』1988年9月3日付朝刊、2総、2面、「『政治家とカネ』の勉強会 自民若手で発足」。
  8. ^ a b 政治改革の軌跡 1993年~1994年”. 21世紀臨調オフィシャルホームページ. 新しい日本をつくる国民会議. 2021年12月21日閲覧。
  9. ^ “政党助成法に基づく政党の届出(平成13年7月30日現在)の概要” (プレスリリース), 総務省, (2001年9月19日), https://www.soumu.go.jp/senkyo/seiji_s/data_seitou/2001/0918.html 

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]