カール=マルクス=シュタット県 – Wikipedia

カール=マルクス=シュタット県(Bezirk Karl-Marx-Stadt)は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)を構成していた14の県の一つ。県都はカール=マルクス=シュタット(現ケムニッツ)。1952年に設置された当初はケムニッツ県(Bezirk Chemnitz)と呼ばれていたが、翌1953年にケムニッツがカール=マルクス=シュタットに改名されたのに伴い県名も変更された。

東ドイツにおいて最も人口が多く、かつ人口密度が高い県であった。

東ドイツの最南部に位置する県であった。西から時計回りにゲーラ県、ライプツィヒ県、ドレスデン県と接していた。また南西部は西ドイツのバイエルン州との、南部はチェコスロバキア(当時、現チェコ)との国境となっていた。

またカール=マルクス=シュタット県は東ドイツで最も標高が高い地域であった。東ドイツの最高峰であったフィヒテル山(標高1214.6 m)や、ドイツで最も高所にある街オーバーヴィーゼンタール(標高914 m)はいずれもエルツ山地のドイツ側、カール=マルクス=シュタット県内にある。

1952年、ドイツ社会主義統一党による事実上の一党独裁下において、計画経済を推進するためそれまでの州は廃止され、東ベルリンを除く全土を14の県に分割して統治が行われた。このとき旧ザクセン州は3県に分割されたが、その南西部に置かれたのがケムニッツ県であった。1953年5月10日にケムニッツがカール=マルクス=シュタットと改名されると、県名も同時にカール=マルクス=シュタット県と改められた。

1990年にベルリンの壁が崩壊し東西ドイツが統一されると、旧東ドイツの県は連邦制をとるドイツ連邦共和国(旧西ドイツ)の政治体制に沿うよう再編された。カール=マルクス=シュタット県は解体され、再びザクセン州の一部となり、ほぼ同じ領域にケムニッツ行政管区(Regierungsbezirk Chemnitz,「県」とも訳される)が新たに設けられたが、これは単なる行政上の地域区分であり、東ドイツ時代のような地方自治体としての権能は有していない。2012年にはこの行政管区も廃止された。なお、カール=マルクス=シュタットは1990年4月23日に行なわれた住民投票により、市名がケムニッツに戻された。