都城駅(みやこのじょうえき)は、宮崎県都城市栄町にある、九州旅客鉄道(JR九州)の駅である[1]。事務管コードは▲940511[3]。 本稿では、駅周辺にある日本貨物鉄道(JR貨物)の施設である都城オフレールステーションについても記述する。 宮崎県南部の主要都市である都城市の代表駅[4]で、全列車が停車する。日豊本線を所属線とし[5]、当駅が終点である吉都線を加えた2路線が乗り入れている。日豊本線の普通列車のうち、主に鹿児島中央駅方面からの一部列車が当駅折り返しで運行されている。2021年3月12日までは特急「きりしま」のうち下り1本が当駅終着で運行されていた。 なお都城市の中心部には隣の西都城駅の方が近く、宮崎駅方面からの普通列車も大半が西都城駅折り返しとなっている。 また、2021年3月13日より九州地方ではもっとも遅く普通列車の最終列車が到着する駅となった(宮崎駅23時41分発、当駅終着0時47分)。 都城の町に最初にできた駅が当駅である。当時九州の南側にのびる唯一の鉄道であった鹿児島本線(現在は肥薩線)の吉松駅から、宮崎方面に向かう宮崎線の終着駅として1913年(大正2年)に開業した。1914年(大正3年)に宮崎線は三股駅まで延伸し、1916年(大正5年)に青井岳駅と清武駅の間の開通を以って吉松駅から当駅を経て宮崎駅まで線路がつながった。 1923年(大正12年)に小倉駅から都城駅を経て吉松駅までが日豊本線とされた。当時は、都城と鹿児島方面は吉松回りで結ばれていたが、財部経由で短絡しようという気運が高まった。そして、1932年(昭和7年)に都城と隼人を直結する路線が全通した。このことを受けて同じ日に小倉駅から当駅、西都城駅、隼人駅を経て鹿児島駅までが日豊本線となり、当駅から小林駅を経て吉松駅を結ぶ路線は吉都線として分離された。なお志布志線は、当駅からではなく西都城駅からの路線に変更されている。 年表[編集] 駅舎に接する単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線の計3面5線および複数の留置線の設備を有する地上駅[6]で、夜間滞泊もある。駅舎に接する単式ホームが1番のりば、島式ホームが2番乗り場(3番線)、3番のりば(4番線)と4番のりば(5番線)、5番のりば(6番線)となっている。1番線の隣にはかつての貨物ホーム、1番線と3番線の間の中線(2番線)は撤去されており往年の繁栄を偲ばせる。以前は2・3番のりばホーム上にキオスクと軽食屋が存在し、駅弁も販売されていたが撤退した。2014年3月15日バリアフリー化工事が完了し、跨線橋と各ホームにエレベーターが設置された。かつては地下道で連絡しており、天井は非常に低かった[6]。 駅舎は鉄筋コンクリート造りの2階建てで1975年(昭和50年)3月に完成したものである[1]。かつては旅行センターも存在したが廃止され跡地は駅長室になっている。直営駅で、駅舎内部にはみどりの窓口や自動券売機が設置されている。現在は駅長と一般社員のみ勤務で、助役の配置はない。自動改札機はなく、SUGOCAもエリア外で使えない。 都城オフレールステーション[編集] 都城オフレールステーション(略称、都城ORS)は、駅の南側にあるJR貨物のコンテナ集配基地である。コンテナ貨物(12フィートコンテナ)のみを取り扱っており、貨物列車代替のトラック便が1日5.5往復(当駅発が6本)、鹿児島貨物ターミナル駅との間に設定されている。 1986年(昭和61年)11月に駅での貨物取扱が廃止され、代替として都城コンテナセンターが設置された。その後2006年(平成18年)4月に都城オフレールステーションに改称した。駅で貨物の取扱を行っていたころは、日本たばこ産業都城工場(2005年3月閉鎖)などへの専用線が駅から分岐していた。 西都城駅前に本店を置く「せとやま弁当」[1]が都城駅前にも店舗を置いている。1955年(昭和30年)から販売されているかしわめしが有名で[8]、都城駅の駅弁として紹介される場合もある[9]。主な駅弁は下記の通り[10]。 利用状況[編集] 2020年(令和2年)度の1日平均乗車人員は800人である[11]。 近年の1日平均乗車人員の推移は以下の通り。 年度 1日平均乗車人員 1995年
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