秋山さと子 – Wikipedia

秋山 さと子(あきやま さとこ、本名:秋山達子(読み方同じ)、1923年2月26日 – 1992年1月5日)はユング派の心理学者。お茶の水女子大学講師、駒澤大学講師、東洋大学講師。東京ユング研究会主宰。 東京都出身。1923年、曹洞宗の寺院に生まれる。1940年、文化学院を卒業。19歳の時結婚。28歳で離婚。その後ジャズ歌手やディスクジョッキー、デザイナーとして活動する。35歳の時に駒澤大学仏教学部に入学、更に大学院へ進学。1964年に渡欧して、ユング心理学研究所に4年間在籍。その経験は、「チュリッヒ夢日記」として出版され、当時のユング派の夢分析の実体験を知ることができる。 『聖なる次元』(思索社、1976年 → 1991年) 『ユング心理学からみた子どもの深層』(海鳴社、1978年) 『いい女への旅立ち』(祥伝社、1978年 → 1987年) 『いい結婚への旅立ち』(祥伝社、1979年) 『悟りの分析』(朝日出版社、1980年 → PHP研究所、1991年) 『聖なる男女』(青土社、1980年 → 1987年)

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権慄 – Wikipedia

権 慄(クォン・ユル、けん りつ、1537年 – 1599年)は、文禄・慶長の役で活躍した李氏朝鮮の将軍。字は彦慎。諡は忠荘公。権轍の五男。李恒福の丈人である。 非常に裕福な家庭で生まれた彼は、幼い頃には腕白だった。ある日、父の友達が尋ねて来て、彼に経書の一句節に対して質問をした。しかし遊んでばかりいた彼は、返事ができずに恥ずかしくなり、その日から勉強をするようになったという。それでも、毎日勉強ばかりして官吏になろうとは考えなかったものの、結局は家族の小言に従い、仕方なく1582年に文科丙種に合格した。 1592年、文禄の役開戦時には、柳成龍の推薦で光州牧使の任にあった。同年6月5日龍仁の戦いに参加したが、敗退している。昇進を果たして、全羅道観察使兼巡察使(監司、全羅道軍司令官)となる。 1593年、明の救援軍が到着したのを見計らって、全羅道から漢城に近い幸州山城へ進出した。碧蹄館の戦いで明軍を破った日本軍は、幸州山城に拠る朝鮮官軍を牽制するべく約2万の軍勢で幸州山城を攻めると、権慄は約4000の軍勢で応戦したが(幸州山城の戦い)持ち堪えられないと判断した権慄は城に火を放って破却し坡州へ撤退した。 6月の第二次晋州城の戦いでは、権慄は出撃して迎え撃つことを主張した。日本軍が晋州城に向かって進撃すると咸安へ出陣したが、日本軍の放った銃声で全軍崩壊し、全州まで退却した[1]。 後に都元帥に任命され、戦役中の朝鮮軍の主導的指揮にあたる。慶長の役が始まると、朝鮮水軍には日本軍を攻撃することが命じられていたが、水軍総司令官の元均が消極的なため、権慄は元均を鞭打ち刑に処して攻撃を促した。このため元均は出撃して日本水軍を攻撃したが、逆襲を受けて朝鮮水軍は壊滅し元均も戦死した(漆川梁海戦)。続いて日本軍が全羅道に向かって大挙して進撃すると、権慄は戦わずに退去し[2]、全羅道、忠清道は日本軍に席捲されることになる。 日本軍が朝鮮南岸に帰還して、蔚山倭城の築城を開始すると、朝鮮軍は明軍とともに建設中の城を攻撃する。12月下旬から1598年1月4日まで続いたこの蔚山城の戦いでは、権慄は自ら陣頭で指揮を取ったが、多くの死傷者を出すばかりで城を攻略することが出来ず、大敗を喫して敗走した。 9月から10月にかけて戦われた、順天城の戦いでも指揮を取ったが敗退した。 1599年、63歳の頃に職を辞して故郷に帰り、その年の7月に死去した。彼は戦時において結果的には敗北を重ねたが、敗れても常に積極的な姿勢を保ち、粘り強く戦線を維持した。また防衛戦に強く、決定的な場面で要所の防御に成功している。宣祖はそんな彼を敬愛し、死を知らされた際には二日に渡って政務を行えないほど悲しんだという。 死後に行われた顕彰では、李舜臣・元均と共に功一等と評価された。 参加した主な戦い 時期 戦い 敵将 1593年(文禄2年)2月10日 幸州山城の戦い

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ヨックモック (企業) – Wikipedia

この項目では、日本の洋菓子メーカーについて説明しています。その他の用法については「ヨックモック」をご覧ください。 株式会社ヨックモック ヨックモック青山本店 種類 株式会社 本社所在地 日本〒102-0073東京都千代田区九段北1-8-10住友不動産九段ビル5~6階 本店所在地 〒107-0062東京都港区南青山5丁目3番3号 設立 2009年9月1日 業種 食料品 法人番号 3010401083862 事業内容 洋菓子の製造・販売 等 代表者 藤縄武士(代表取締役)

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SHUFFLE! – Wikipedia

この項目には性的な表現や記述が含まれます。免責事項もお読みください。 『SHUFFLE!』(シャッフル)は、Navelから2004年1月30日に発売された18禁恋愛アドベンチャーゲームである。 Navelのデビュー作である本作品は、他社の作品に埋もれないようにと、制作者の強い意向で「友人との確執といったどろどろした人間関係を排除」「暗い作品が多いので、明るい物語を作る」というコンセプトで制作された。 本作品では神族や魔族といった人間ではないキャラクターが登場するが、主人公がなぜ複数のヒロインから好意を寄せられるかの説明と、人間のキャラクターでは設定しづらい悩み・問題を用意するための舞台装置として機能している。人間のキャラクターも登場するが、それらにもきちんとしたドラマが用意され、「義妹として同居しているから」「幼馴染として長く一緒にいるから」というアダルトゲームのストーリーにありがちな短絡的展開とは一線を画するセンスで描かれている。 また、キャラクターの名前の多くが花や植物の名前にちなみ、その花言葉を性格設定やストーリー展開の暗示に用いるという緻密な演出がなされているが、前半はドタバタコメディーの軽いタッチで描かれている。 結果、マンネリ感が言われるようになったアダルトゲーム界に新風を起こし、2004年のアダルトゲーム年間セールスにおいて『Fate/stay night』、『CLANNAD』に次いで3位を記録し、Navelはデビュー作にして人気アダルトゲームブランドに名を連ねるに至った[1]。 2005年7月7日からWOWOW(ノンスクランブル)にてテレビアニメが放送された[2]。 2005年10月20日に角川書店より、新規OPムービー・OPソング[3]と、麻弓=タイムおよびカレハルート・カレハの妹「ツボミ」が追加されたPlayStation 2版『SHUFFLE! ON THE STAGE』(シャッフル オン ザ ステージ)がCEROレーティング15歳以上対象で発売された。 スピンオフ作品として、ネリネEND後を描いた『Tick! Tack!』、楓END後を描いた『Really? Really!』が発売されている。 2008年5月に『SHUFFLE!

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井上正順 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “井上正順” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年10月)   凡例 井上正順 時代 江戸時代末期 – 明治時代 生誕 嘉永7年7月21日(1854年8月14日) 死没 明治37年(1904年)1月6日

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木綿のハンカチ〜ライトウインズ物語 – Wikipedia

『木綿のハンカチ〜ライトウインズ物語』(もめんのハンカチ ライトウインズものがたり)はNHKで放送されたテレビドラマ。1997年に総合テレビで放送され、1998年にBS2で続編『木綿のハンカチ2〜ライトウインズ物語』が放送された。 尚、本作で描かれる「ライトウインズ」(“正義の風”・“そよ風”の意)は大阪府警察本部刑事部刑事総務課刑事特捜班の一つとして実在する。 木綿のハンカチ〜ライトウインズ物語[編集] 1997年1月6日 – 2月6日にNHK総合テレビの「ドラマ新銀河」枠で放送された。放送時間は月曜から木曜の19:40-19:58。全20回。女性だけの刑事特捜隊ライトウインズに配属された新人刑事の活躍と成長を描く。 あらすじ[編集] 大阪府警の警察音楽隊の一員である海子は、恋人との結婚を機に退職するつもりだったが、当人から結婚の意志がないことを告げられ、新たに刑事になる道を目指す。半年後、海子は女性が関わる事件に対応する女性だけの刑事特捜隊ライトウインズに配属される。 キャスト[編集] スタッフ[編集] 主題歌[編集] サブタイトル[編集] この節の加筆が望まれています。 木綿のハンカチ2〜ライトウインズ物語[編集] 1998年8月29日 – 10月3日にBS2で放送された。放送時間は土曜20:00-20:45。全6回。総合テレビでも、1999年3月13日 – 3月27日、土曜21:00-22:15に75分の再編集版が全3回で放送された。キャストを一新し、女性だけの特捜隊ライトウインズの活躍を描く。

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新・愛の嵐 – Wikipedia

『新・愛の嵐』(しん・あいのあらし)は、2002年7月1日から9月27日にかけて、東海テレビ制作・フジテレビ系列で放送された昼ドラマ。 本作は1986年に放送され大ヒットした『愛の嵐』のリメイク版。川端猛→鳥居猛、三枝伝右衛門→三枝伝衛門など一部役名がオリジナル版と異なり、物語も開始当初はほぼオリジナル版と同じ展開であったが、ひかるの結婚以降はオリジナルと異る部分も多く、ラストはオリジナルとは全く異なるものとなっている。 長らく東海テレビ制作昼ドラマの企画・構成を務めヒットに貢献した東海テレビプロデューサー出原弘之の最後の担当作品となった。 放送中は石原良純演じる大河原勇作が奇抜なデザインのネグリジェを着用し、ほぼ毎日違ったデザインのネグリジェを着用し話題となった。 鳥居猛役を演じた要潤はこの番組で大きな人気を博し、その後の俳優活動の大きな足がかりとなった。 2015年2月4日から5月5日まで、Dlife(月曜-金曜:10時30分-11時00分)で放送された。 キャスト[編集] スタッフ[編集] 企画:出原弘之 プロデューサー:市野直親、平野一夫、福田誠、小松貴生 脚本:大久保昌一良、田部俊行、岩村匡子、林誠人 演出:金子与志一、小池唯一、島﨑敏樹、福田誠 主題歌:吉村まさみ feat.De Voice「Delight of my love」 音楽:山下康介 音楽制作:インスパイア・ホールディングス

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葡萄園 – Wikipedia

葡萄園(ぶどうえん)、または、葡萄畑(ぶどうばたけ)は、ブドウを生産する農場。葡萄園にあたる英語: vineyard[† 1][† 2]より「ヴィンヤード」、同フランス語: vignoble[† 3]より「ヴィニョーブル」「ヴィグノーブル」とも呼ばれる。 世界で生産されたブドウのおよそ1割が生食用で、8割が醸造用、残りがその他の加工用とされる。このため、世界的にはワイン(仏: vin)の原料となるブドウの生産農場が葡萄園とみなされている。一方、日本では、生産されるブドウのおよそ8割が生食用で、1割が醸造用、残りがその他の加工用とされている。このため、日本では必ずしもワインと関連せず、ブドウ狩りに供するためのブドウを生産する農場を指すこともある。 葡萄園は、ブドウ栽培とともに発祥伝播していったものと考えられる。 ブドウ栽培の歴史は古く、紀元前3000年頃、カフカース地方から地中海東部沿岸地方にわたる地域で、セム族(セム語派)あるいはアーリア人によって始められたとされる。最初の栽培種はヨーロッパブドウ(ヴィニフェラ種、Vitis vinifera)で、ワイン醸造も同時に始められた。その後、セム族はエジプト(古代エジプト)方面へ、アーリア人はインド方面へ、それぞれブドウ栽培とワイン醸造を伝えた。 なお、旧約聖書(創世記9章20節)には、ノアがアララト山に葡萄園(葡萄畑)を作ったのが初めと記されている。 ラヴォーのブドウ段々畑(スイス) 世界遺産 テロワール[編集] 葡萄園(葡萄畑)の土壌、地形、気候、風土など、ブドウの生育環境を総称してテロワール(仏: terroir)という。 ブドウは、比較的痩せた排水と保水が共によい礫を含んだ重い土壌を好み、生育期に降雨が少ない土地で良好な果実が得られる。世界各地のブドウ生産地では、垣根仕立て、棒仕立てが多いが、日本では多雨多湿な気候に適する棚仕立てとし、木を大きく育てる。 日本の葡萄園[編集] 山梨県・勝沼の葡萄園

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