小湊フワガネク遺跡 – Wikipedia

座標: 北緯28度19分26秒 東経129度31分50秒 / 北緯28.32389度 東経129.53056度 / 28.32389; 129.53056

小湊フワガネク遺跡から出土した、ヤコウガイから作られた貝匙。弥生時代~古代にかけてのもの。鹿児島県上野原縄文の森展示館にて。

小湊フワガネク遺跡 (こみなとふわがねくいせき) は、鹿児島県奄美市名瀬小湊にある集落跡。2010年8月5日、国史跡に指定された[1]。小湊は大字名、フワガネクは字名の外金久である。この遺跡からの出土品は、2016年8月17日に一括で国の重要文化財に指定されており、奄美市立奄美博物館に保管されている[2]

遺跡は、平成9~14年に専門学校の施設拡張、および史跡指定に向けた範囲確認を目的に発掘調査が行われ、掘立柱建物跡四棟、墓坑一基、有孔貝製品集積遺構五基、貝製品製作跡と考えられる遺物集中区五か所が検出され、夜光貝匙をはじめとする多量の貝製品とその製作関連遺物が出土した[2]

出土した遺物は、未製品を含む夜光貝匙八十三点、貝玉1017点、貝札314点、有孔貝製品367点、夜光貝蓋製敲打器145点、その他貝製品3点、土器18点、石器200点、ガラス小玉12点、骨角製品2点、鉄製品17点の、合計1898点[2]

中でも、原貝への穿孔剥離から荒割、成形の諸段階を含む夜光貝匙の多量な出土は重要である。夜光貝は、南西諸島の温暖な海域に生息する大形の巻貝で、夜光貝匙はその貝殻を素材として製作された[2]。奄美大島では他にマツノト遺跡などの出土資料が知られるが、当遺跡ほど未製品を含むまとまった出土例は他になく、夜光貝匙の集中的な生産遺跡として当遺跡の持つ意味は大きい。その分布は、国内では奄美群島、及び琉球諸島に限られ、さらに産地は不明だが朝鮮半島南部の古墳(五世紀後半)からも複数の出土がある。しかし、国内では九州本島を含めて、それ以北からの出土は知られていない[2]

また、多数の夜光貝蓋製敲打器や、磨石・敲石の存在も、夜光貝匙などの製作用具として注目される資料として注目される[2]

貝玉は、遺跡全体の広い範囲から出土しており、多くは自然穿孔がある小形巻貝の螺頭部分を素材とするが、周縁に細かな研磨を加えられている。なお、特に小形の貝玉は、五世紀頃と考えられる墓からガラス小玉とともに出土しており、当時の葬送の一端がうかがえる。貝札は、広田遺跡(鹿児島県南種子町)の上層出土品と類似した資料である[2]

土器は、甕形土器を中心とした兼久式土器の前半期(6〜7世紀)に位置づけられるもので、これも南西諸島の土器編年研究を考える上で重要である[2]

これらの出土品は、貝匙をはじめとする貝製品の集中的な製作遺跡からの出土品として充実した内容を持ち、あわせて当時の生業や、貝製品の流通の様子を示す、きわめて学術的価値の高い資料である[2]