長野電鉄3500系電車 – Wikipedia

長野電鉄3500系電車(ながのでんてつ3500けいでんしゃ)は、長野電鉄が帝都高速度交通営団(以下営団、現在の東京地下鉄(以下東京メトロ))から購入した通勤形電車。日比谷線で使用された営団3000系を譲受・改造した車両である。本項ではその長編成版である3600系についても併せて解説する。

長野オリンピックを6年後に控えた1992年(平成4年)から1997年にかけて、普通列車の増発と老朽化した2500系(元東急初代5000系)や0系「OSカー」などの在来車の置き換え・車種統一を目的に投入された。先頭車(旧3000形)34両、中間車(旧3500形)3両の37両が投入され、長野電鉄の最大勢力車両となった。また、これらとは別に部品確保用となった無車籍の先頭車2両(うち1両は事故車両の補充用として使用された)が須坂駅構内に存在したため実際には39両が長野電鉄入りしている。

長野電鉄では編成両数の違いによって、2両編成が3500系、3両編成が3600系と車両番号(車番)が区分され、さらに2両編成は木島線用での車内運賃収受用に、運転台後部にバス用の運賃箱と運賃表示器が設置された「O編成」とそれ以外の「N編成」に区分されている。車番も3両編成の「L編成」が3601 – 、2両編成の「N編成」が3501 – 、ワンマン用2両編成の「O編成」が3521 – の通し番号で再付番された。これらは「L編成」の湯田中寄り先頭車の主電動機が撤去され、Tc車となっている点を除いては性能的にはほとんど差がない。

  • N(Normal)編成:モハ3500形-モハ3510形 – 2両編成8本[注釈 1]
  • O(One-man)編成:モハ3520形-モハ3530形 – 2両編成6本[注釈 2]
  • L(Long)編成:クハ3650形-モハ3600形-モハ3610形 – 3両編成3本[注釈 3]
3500系N5編成 3500系O2編成 3600系L2編成

3500系N5編成

3500系O2編成

3600系L2編成

譲受当初は、先述のL編成における主電動機撤去を除き、次の主な改造を受けている。

  • 耐雪ブレーキの新設
  • 30 – 40 ‰ の勾配が連続する信州中野 – 湯田中間にも入線できるようにするため、主回路の主抵抗器容量の増大
  • 側扉へレールヒーターの新設と半自動化
  • 運転室前面下梁の強化
  • 列車無線の交換

この他、車体の窓上下に赤帯が入れられ、社章が長野電鉄のものへ交換された程度で就役した[注釈 4]。ただし譲受当初はレジン製の制輪子を使用していたものの、雪に弱いことから鋳鉄製のものへ交換されている。なお、当初は前部標識灯の増設工事も計画されていたが[2]、結局この工事は見送られている。

その後、使用条件の変化などからO編成以外のワンマン運転対応改造や、2001年(平成13年)には京成電鉄から譲受した冷房装置の搭載改造(N3 – N8編成とL編成のすべて)が施工された。この冷房化にあたっては電源装置に営団5000系電車の廃車発生品である静止形インバータ (SIV) が搭載されている。

2002年に木島線が廃止されたことによって余剰が発生し、一部の非冷房車が運用を離脱した。残った車両はN編成とL編成が長野線、O編成が屋代線と長野線で使用された[注釈 5]

N7編成とN3編成の併結による代走運転

2005年(平成17年)には大型車体で輸送力の大きい8500系(元東急8500系)が投入され、長野電鉄では非冷房車は冷房改造をせずに営業運転終了させる方針に変更。これに先立ち、部品確保用の1両と事故に遭った元3524号が解体され、続いて運用車の廃車も発生した。朝のラッシュ時に須坂 – 長野間で見られたN編成を2本併結した4両編成も8500系3両編成に置き換えられて消滅している。ただし、8500系は現在のところ信州中野 – 湯田中間に入線不可能なことから状態の良い冷房車が残存しており、現在も当該区間を中心に運用されている。また、8500系の検査時はL編成が代走を務めるため、本来L編成が務めている運用をN編成を2本併結した4両編成が代走している。

2007年(平成19年)、営団時代に3000系の第1編成だったN1編成(廃車済)が保存のために東京メトロに返還され、事実上の里帰りを果たした(「営団3000系電車#故郷・東京へ里帰り」参照)。2011年(平成23年)12月にはO6編成が赤帯と「NAGADEN」ロゴが消された営団時代の姿に戻り、廃車までその状態で運用された。

2012年(平成24年)3月31日、屋代線の定期運用の最後の1往復(須坂 – 松代間)のみ、混雑緩和のためN7編成とN8編成を連結し、およそ5年ぶりに4両編成での営業運転が行われた(須坂と松代以外、後ろの編成はホームが短いためドアカット)。

2019年12月15日、O2編成が営業運転を終了した[3][4]

2020年(令和2年)1月に東京メトロより03系電車を譲受・改造した「3000系」を導入することが決定し、同年に運行を開始した。2022年(令和4年)までに当初の計画通りの3両編成5本を導入することとなっており、これによって本系列の残存する6編成は廃車となる予定[5][6][注釈 6]

2020年9月25日、L2編成が営業運転を終了したことにより、残存車輌はN6、N7、N8の3編成6両となった[7]

2021年6月2日、N6編成が引退した。

  • この書体(斜体)は廃車車両もしくは撤去された機器
  • 赤文字は廃車された編成
  • ( )内は営団時代の車両番号。

3500系[編集]

 
形式 モハ3500
(CM1)
モハ3510
(CM2)
機器 PT・CONT PT・)MG・CP
編成 N1 モハ3501
(3001)
モハ3511
(3002)
N2 モハ3502
(3043)
モハ3512
(3044)
N3 モハ3503
(3049)
モハ3513
(3050)
N4 モハ3504
(3059)
モハ3514
(3060)
N5 モハ3505
(3061)
モハ3515
(3062)
N6 モハ3506
(3065)
モハ3516
(3066)
N7 モハ3507
(3051)
モハ3517
(3052)
N8 モハ3508
(3039)
モハ3518
(3040)
 
形式 モハ3520
(CM1)
モハ3530
(CM2)
機器 PT・CONT PT・)MG・CP
編成 O1 モハ3521
(3031)
モハ3531
(3032)
O2 モハ3522
(3037)
モハ3532
(3038)
O3 モハ3523
(3041)
モハ3533
(3042)
O4 モハ3524
(※3045→3077)
モハ3534
(3046)
O5 モハ3525
(3057)
モハ3535
(3058)
O6 モハ3526
(3075)
モハ3536
(3076)
  • 3524は、当初元3045号であったが、踏切事故で損傷したため事故復旧の際に元3077号に交換された。

3600系[編集]

 
形式 クハ3650
(CM1→CT1)
モハ3600
(Mc1)
モハ3610
(CM2)
機器 PT(・CONT PT・)CONT PT・MG・CP
編成 L1 クハ3651
(3053)
モハ3601
(3523)
モハ3611
(3054)
L2 クハ3652
(3055)
モハ3602
(3571)
モハ3612
(3056)
L3 クハ3653
(3067)
モハ3603
(3527)
モハ3613
(3068)

注釈[編集]

  1. ^ 2021年7月現在、N1・N2・N3・N4・N5・N6編成が廃車され、N7・N8編成の2本が在籍。
  2. ^ 2019年12月15日に最後まで残ったO2編成が引退し、O編成(O1〜O6)は消滅した。
  3. ^ 2020年9月25日に最後まで残ったL2編成が引退し[1]、L編成(L1〜L3)は消滅した。
  4. ^ なお、O2、O6編成は引退前に、営団、長野電鉄時代共にトップナンバーであったN1編成は引退後に上記の赤帯は撤去され、元営団時代を彷彿させる姿になった。
  5. ^ 同線のうち信州中野駅 – 湯田中駅間は2006年(平成18年)12月から車内運賃収受が開始されたため、O編成のみが使用されていた。なお、一部のO編成にはワンマン機器を停止して長野まで乗り入れる運用もあった。
  6. ^ 当系列はかつて日比谷線でも03系に代替されており、全く同一の車両入れ替えが発生することとなった。

出典[編集]

関連項目[編集]