シュヴァーロフ家 – Wikipedia

エカテリーナ・P・シュヴァーロワ伯爵夫人の肖像画(1770年代、ジャン=バティスト・グルーズ画)

シュヴァーロフ家(ロシア語:Шуваловы)は、ロシアの貴族。16世紀女帝エリザヴェータ・ペトローヴナによって重用され、1746年9月5日伯爵に叙された。

主な人物[編集]

シュヴァーロフ伯爵家および貴族[編集]

貴族としてのシュヴァーロフ家には以下の人々が挙げられる。:

  • イワン・イワノヴィチ・シュヴァーロフ(1727年 – 1797年)は、エリザヴェータ女帝の愛人であり、ロシア啓蒙時代における文化的擁護者となった。
  • アレクサンドル・イワノヴィチ・シュヴァーロフ伯爵(1710年 – 1771年)は、イワン・イワノヴィチの従兄弟に当たる。陸軍元帥、秘密警察長官を歴任した。
  • ピョートル・イワノヴィチ・シュヴァーロフ伯爵(1711年 – 1762年)は、アレクサンドル・イワノヴィチの弟。陸軍元帥、陸軍大臣。エリザヴェータ女帝時代の宮廷における最有力者のひとり。
  • アンドレイ・ペトローヴィチ・シュヴァーロフ伯爵(1743年 – 1789年)は、ピョートル・イワノヴィチの子。生涯の大部分を海外で過ごし、フランスではヴォルテールと交流し、自由主義に関する見解を物している。ブリタニカ百科事典第11版では、エカテリーナ2世がフランスの啓蒙思想家に出した手紙の真の執筆者としている。
  • ピョートル・アンドレーエヴィチ・シュヴァーロフ伯爵(1827年 – 1889年)は、アンドレイ・ペトローヴィチ伯の孫。アレクサンドル2世の宮廷で影響力を持った。
  • パーヴェル・アンドレーエヴィチ・シュヴァーロフ伯爵(1776年 – 1823年)は、帝政ロシアの軍人。ナポレオン戦争に従軍した。
  • パーヴェル・アンドレーエヴィチ・シュヴァーロフ伯爵(1830年 – 1908年)は、帝政ロシアの外交官。ベルリン会議ロシア代表。
  • パーヴェル・パーヴロヴィチ・シュヴァーロフ伯爵(1859年 – 1905年)は、パーヴェル・アンドレーエヴィチ伯の子。モスクワ警察本部長。1905年のロシア第一革命の前に暗殺された。
  • ミハイル・アンドレーエヴィチ・シュヴァーロフ伯爵(1850年 – 1903年)。母方の祖父に当たるヴォロンツォフ公爵家を継承したが、嗣子の無いまま死去した。

その他、シュヴァーロフ姓の人物[編集]

  • イーゴリ・シュヴァーロフ(シュワロフ、1967年 – )は、ロシアの政治家。ドミートリー・メドヴェージェフ大統領、ウラジーミル・プーチン首相の下で、ロシア連邦第一副首相。

シュヴァーロフ家の宮殿[編集]

シュヴァーロフ家は、サンクトペテルブルクに4つの居館を所有していた。:

  • イタリアンスカヤ通りのイワン・シュヴァーロフが住んだバロック様式の宮殿は、1749年から1755年にかけてサッヴァ・チェヴァキンスキーの設計により建設された。その後、ロシア司法省に売却され、帝国美術アカデミーが置かれた建物としてよく知られている。
  • ピョートル・イヴァノヴィチ・シュヴァーロフの宮殿は、新古典主義様式で建造され、後にユスポフ公爵家に売却された。ユスポフ家があまり趣味のよくない装飾で飾り立てたこの宮殿は、後世、グリゴリー・ラスプーチン暗殺事件の舞台となった[1][2][3][4]
  • パーヴェル・ペトローヴィチ・シュヴァーロフ伯の別の新古典主義の宮殿は、1900年にナルイシュキン家から購入したものである。
  • ペテルブルク近郊のシュヴァーロヴォにも屋敷がある。

これら4つの殿邸のほかに、アンナ女帝の寵臣であった、クールラント公ビロンの所有するルンダール宮殿などを入手している。

  1. ^ [1]
  2. ^ [2]
  3. ^ [3]
  4. ^ [4]

外部リンク[編集]