鷹司兼平 – Wikipedia

鷹司 兼平(たかつかさ かねひら)は、鎌倉時代中期の公卿・能書家。関白・近衛家実の四男。官位は従一位・関白、太政大臣。鷹司家の祖。通称は照念院関白(しょうねんいん かんぱく)。

暦仁元年(1238年)従二位権大納言兼右近衛大将となる。その後右大臣、左大臣を歴任。建長4年(1252年)摂政・藤氏長者宣下を賜り、太政大臣に任じられた。同6年(1254年)関白となる。一旦辞任するが建治元年(1275年)に再度摂政・藤氏長者となった。正応3年(1290年)出家し、覚理と号する。永仁2年(1294年)に智恵光院を開山するが、間もなく薨去。兼平は前後23年の長きにわたって摂関の任にあった。

能書家としても著名。日記に『称念院関白記(兼平公記)』、有職故実書に『照念院殿装束抄』がある。勅撰和歌集には4首入集している。

後深草院二条が綴った『とはずがたり』に登場する「近衛大殿」はこの兼平のことだと考えられている。

※日付は旧暦