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March 2022 – Enzyklopädie

Month: March 2022

紀貫之 – Wikipedia

紀 貫之(き の つらゆき)は、平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。下野守・紀本道の孫。紀望行の子。官位は従五位上・木工権頭、贈従二位。『古今和歌集』の選者の一人で[1]、三十六歌仙の一人。 幼名を「内教坊の阿古久曽(あこくそ)」と称したという[注釈 1]。貫之の母が内教坊出身の女子だったので、貫之もこのように称したのではないかといわれる。 延喜5年(905年)醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集である『古今和歌集』を紀友則・壬生忠岑・凡河内躬恒と共に撰上。また、仮名による序文である仮名序を執筆している(真名序を執筆したのは紀淑望)。「やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」で始まるこの仮名序は、後代の文学に大きな影響を与えた。また『小倉百人一首』にも和歌が収録されている。理知的分析的歌風を特徴とし、家集『貫之集』を自撰した。 日本文学史上において、少なくとも歌人として最大の敬意を払われてきた人物である。種々の点でその実例が挙げられるが、勅撰歌人として『古今和歌集』(101首)以下の勅撰和歌集に435首の和歌作品が入集[2]しているのは歌人の中で最高数であり、三代集時代の絶対的権威者であったといえる。 散文作品としては『土佐日記』がある。日本の日記文学で完本として伝存するものとしては最古のものであり、その後の仮名日記文学や随筆、女流文学の発達に大きな影響を与えた。 貫之の邸宅は、平安京左京一条四坊十二町に相当する。その前庭には多くの桜樹が植されており、「桜町」と称されたという。その遺址は現在の京都御所富小路広場に当たる。 逸話・説話[編集] 『大鏡』によると、その和歌の腕前は非常に尊重されていたらしく、天慶6年(943年)正月に大納言・藤原師輔が、正月用の魚袋を父の太政大臣・藤原忠平に返す際に添える和歌の代作を依頼するために、わざわざ貫之の家を訪れたという。 『袋草紙』などでは、貫之の詠んだ歌の力によって幸運がもたらされたという「歌徳説話」も数多く伝わっている。 『三十六人歌仙伝』などによる(明治5年12月2日までは旧暦)。 父:紀望行 母:不詳 妻:不詳 生母不明の子女 男子:紀時文 女子:紀内侍

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認識 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “認識” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2019年10月) 認識(にんしき)は、基本的には哲学の概念で、主体あるいは主観が対象を明確に把握することを言う。知識とほぼ同義の語であるが、日常語の知識と区別され、知識は主に認識によって得られた「成果」を意味するが、認識は成果のみならず、対象を把握するに至る「作用」を含む概念である[1]。 哲学における認識[編集] 認識は、伝統的には、大きく経験的認識と理性的認識に分けられ、さらにその論者の哲学体系により異なる部分もあるが、おおむね、直観的認識、感性的認識、理性的認識、知性的認識などがあるとされる。それぞれの認識の成立には、感性、直観、理性、そして知性ないし悟性などの主観あるいは精神の機能が働くとされる。 認識についての哲学における研究分野が認識論である。認識の起源、認識の本質、真理論などで様々な解釈がある。 心理学における認識[編集] 科学としての心理学においても、認識(Cognition)という概念・用語が使用される。心理学の場合、科学であるため、基本的に外界の素朴実在論を前提としており、このため、哲学における認識とは異なる定義や概念となる。 心理学で、またその他の関連分野で使用される「Cognition」という言葉・概念は、場合によって「認知」という訳語が相応しい場合がある。en:Cognitive science などは、認識科学ではなく、認知科学である。また、en:Cognitive psychology は心理学の分野のひとつであるが、これは認知心理学という。認識心理学とは言わない。

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ヘンリー7世 (イングランド王) – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “ヘンリー7世” イングランド王 – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年8月) ヘンリー7世(Henry VII, 1457年1月28日 – 1509年4月21日[1])は、テューダー朝初代のイングランド王(在位:1485年8月22日 – 1509年4月21日)およびアイルランド卿。ボズワースの戦いでリチャード3世を破って王位を勝ち取り、戦いで王座を得た最後のイングランド王となった。 ランカスター朝の系統のヘンリー7世は、ヨーク朝のエドワード4世の娘にしてリチャード3世の姪にあたるエリザベス・オブ・ヨークと結婚して王位を固め、薔薇戦争による混乱を解決した。テューダー朝を創立して24年間王位に座り、平和裏に息子ヘンリー8世に王位を継承した。君主の権力を回復し、政治を安定させ、優れた統治、積極的な外交政策と経済運営を行った。一方で、富裕層に対しては不当な手続きによって財産罰を濫発した。 テューダー朝断絶後にイングランド王位を継承したステュアート朝のジェームズ1世は、ヘンリー7世の長女マーガレットの曾孫であり、そのためヘンリー7世は現在のイギリス王家の祖先にもあたる。 家系および幼少期[編集] ヘンリー・テューダー、後のヘンリー7世はウェールズのペンブルック(ペンブローク)城で1457年1月28日に生まれた。母はランカスター家傍系ボーフォート家の当時13歳のマーガレット・ボーフォート。父はリッチモンド伯エドマンド・テューダーであったが、誕生の3カ月前に死去していた[2]。

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斎藤環 – Wikipedia

この項目では、精神科医の斎藤環について説明しています。音楽ユニットS-SenceのTouchy(本名・斎藤環)については「S-Sence」をご覧ください。 斎藤 環(さいとう たまき、1961年9月24日 – )は、精神科医[1]、批評家[2]。 医学博士[3]、精神保健指定医[1]、筑波大学医学医療系社会精神保健学教授[3][1][4]、公益社団法人青少年健康センター参与[5]、オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン (ODNJP) 共同代表[6]。 日本病跡学会賞、角川財団学芸賞受賞[1]。 岩手県北上市出身[7]で、下宿先から岩手県立盛岡第一高等学校へ通学して親が望む医師を目指した[7]。1980年に高校を卒業[7]して筑波大学医学専門学群で学ぶ[7]。北杜夫を好み、医師と文筆業の両立を考えた[7]。1986年に筑波大学医学専門学群を卒業し[1]、1990年に大学院医学研究科博士課程を修了して医学博士[3]となる。筑波大学で稲村博の指導を受けた[3]。千葉県船橋市にある爽風会佐々木病院(現在は、病床のない「あしたの風クリニック:佐々木一院長)に勤務。 2007年10月30日放送の『爆笑問題のニッポンの教養』(NHK総合テレビジョン)に出演した[8]。2013年4月から筑波大学医学医療系保健医療学域社会精神保健学分野教授(筑波大学医学群看護学類・大学院人間総合科学研究科ヒューマン・ケア科学専攻社会精神保健学研究分野教授)[9]。 2013年に『世界が土曜の夜の夢なら』で角川財団学芸賞を受賞し[10]、2016年6月からODNJP共同代表[6]を務め、フィンランド西ラップランド地方で開発された精神科医療のアプローチ「オープンダイアローグ」の普及を日本で目指す[11]。 2019年、P-MODEL時代からのファンで、2000年からの付き合いであるミュージシャンの平沢進と『平沢進+斎藤環「平沢進・徹底解剖!」at ゲンロンカフェ』で対談[12]。 2020年に『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』(與那覇潤との共著)で小林秀雄賞を受賞した。  文筆活動[編集] 斎藤は『戦闘美少女の精神分析』(太田出版)で、戦うアニメのヒロインはなぜ少女かを分析した。『文脈病』で触れたアウトサイダー・アートで知られるアメリカの画家・ヘンリー・ダーガーの絵画を引用し[13]、カバーに美術家の村上隆によるフィギュア「ヒロポン」を用いた。大澤真幸、東浩紀、浅田彰などと交流を深め、2000年12月2日に勝山実と公開対談した[注釈 1]。 各種の現代思想系雑誌、文芸雑誌、新聞、近年はサブカルチャー誌で執筆する。斎藤の作品は引きこもりに関する著作が多く、講演などで「ひきこもり救出」を語る[15][16]

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本塩釜駅 – Wikipedia

この項目では、JR東日本仙石線の本塩釜駅について説明しています。JR東日本東北本線の駅については「塩釜駅」をご覧ください。 本塩釜駅(ほんしおがまえき)は、宮城県塩竈市海岸通にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)仙石線の駅である。 相対式ホーム2面2線を有する高架駅である。駅出口は神社参道口と、アクアゲート口の2箇所がある 多賀城駅が管理し、JR東日本東北総合サービスが受託する業務委託駅。以前は駅長・管理助役・助役配置が配置され、管理駅として、東北本線の塩釜駅と仙石線の西塩釜駅 – 陸前浜田駅間の各駅を管理していた。なお2003年10月までは西塩釜駅 – 陸前小野駅間が当駅管理、以東が石巻駅管理であった。 みどりの窓口・自動券売機(指定席券売機を含む)・自動改札機・自動精算機設置。自動改札設置の際に有人改札・みどりの窓口がカウンター化された。 改札外コンコースの石巻寄には商業施設「tekute ほんしおがま」がある[5]。また、塩竈市観光案内所も同駅構内に設置されている[5]。 以前は改札向かいにびゅうプラザが設置されていた。東日本大震災後は仮設スペースで電話予約後の発券・受取のみ行っていたが、後に元のスペースで通常営業を行った。現在は廃止され、業務についてはびゅうプラザ多賀城(2019年12月28日をもって閉店)に引き継がれた。 のりば[編集] (出典:JR東日本:駅構内図) アクアゲート口(2007年8月) 改札口(2007年12月) ホーム(2007年12月) 利用状況[編集] JR東日本によると、2020年度(令和2年度)の1日平均乗車人員は2,099人である[利用客数 1]。

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位相のずれ – Wikipedia

位相のずれ(位相差、位相シフト、フェーズシフト)とは、量子力学の散乱理論において、散乱によって入射状態と散乱状態の間に生じる位相差のことである。 入射状態の部分波展開[編集] 入射平面波を部分波展開すると以下のように表せる(レイリーの公式)。 eik⋅r=∑l=0∞(2l+1)ilj(kr)Pl(cos⁡θ){displaystyle e^{imathbf {k} cdot mathbf {r} }=sum _{l=0}^{infty }(2l+1)i^{l}j(kr)P_{l}(cos theta )} これは r {displaystyle r } が非常に大きいところでは、 eik⋅r→∑l=0∞(2l+1)2ik(eikrr−(−1)le−ikrr)Pl(cos⁡θ)(r→∞)⋯(1){displaystyle

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向日町駅 – Wikipedia

向日町駅(むこうまちえき)は、京都府向日市寺戸町久々相(くぐそう)にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)東海道本線の駅である。駅番号はJR-A34。「JR京都線」の愛称区間に含まれている。 構内に京都市南区との境界がある。向日市の中心部、阪急電鉄京都線東向日駅とは約500mほどの距離がある。なお、同じく向日市所在の阪急京都線の東向日駅(旧 東向日町駅)・西向日駅(旧 西向日町駅)は1972年10月の市制施行とともに現在の駅名に改称されたが、当駅は市制を施行しても改称されなかった。 すでに橋上駅舎への改築・東口および駅ビルの建設が決定している。新設される東口に新設道路を建設し向日町上鳥羽線と繋ぎ利便性を図る工事も決定している。さらに東側の農業地域を工業用地にし日本電産を始めとした企業の誘致も検討されている。それによる当駅の乗降客も増加すると見られている。 向日町駅は京都府内で最も歴史の古い鉄道駅である。 島式ホーム2面4線を有する地上駅(12両編成対応)であるが、外側線に列車が停車しないため外側の1・4番のりばには柵があり、内側の2・3番のりばのみ乗降の取り扱いを行う。駅舎は線路西側にあり、ホームへは連絡地下道で結ばれている。2014年5月25日にエレベーターが設置されバリアフリー化され、トイレもリニューアルされた。京都貨物駅からの貨物専用線が当駅構内で旅客線と合流するほか、京都総合運転所への入出庫駅でもあるため、場内・出発信号機を有する。 直営駅かつICOCA利用可能駅で、提携ICカードも利用可能。 のりば[編集] のりば 路線 方向 線路 行先 1 A JR京都線 上り 外側線 (通過列車のみのため閉鎖)

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ロドス島 – Wikipedia

「ロードス島」はこの項目へ転送されています。ファンタジー作品に登場する架空の島については「ロードス島戦記」をご覧ください。 ロドス島(ロドスとう、ギリシア語: Ρόδος、Ródos、英: Rhodes)は、エーゲ海南部のアナトリア半島沿岸部に位置するギリシャ領の島。ドデカネス諸島に属し、ギリシャ共和国で4番目に大きな面積を持つ。ロードス島との表記も用いられる(#名称節参照)。 島で最大の都市であるロドスの街は、古代以来港湾都市として栄え、世界の七不思議の一つである「ロドス島の巨像」が存在したことでも知られる。また、その中世期の街並みは「ロドスの中世都市」の名で世界遺産に登録されている。 日本ではしばしば「ロードス」と表記されるが、これはドイツ語表記 Rhodos に近い。ギリシア語表記は Ρόδος で、発音はロードスとロドスの中間である。このほか、この島に関係の深い言語ではそれぞれ以下のように呼ばれた。 英語では Rhodes (ローズ島)あるいは Rhode (ロード島)と呼ぶ。アメリカ合衆国のロードアイランド州(Rhode Island)の名は直接には同州のロード島に由来するが、この島の名はロドス島にちなむとされる説もある(異説あり)。 位置・広がり[編集] ロドス島はドデカニサ諸島の東部、アナトリア半島沿岸部に位置する。エーゲ海の南限を形成する島の一つで、ギリシャ共和国の主要な島の中では最も東に位置する(これより約125km東にはカステロリゾ島などがある)。ロドスの街は、州都エルムポリから南東へ約313km、クレタ島のイラクリオから北東へ約305km、トルコのアンタルヤから南南西へ約227kmの距離にある。ロドス島はアテネとキプロス島のほぼ中間にあたっており、ロドスの街は首都アテネから南東へ約433km、キプロス島のニコシアから西北西へ約485kmの距離である。 北東―南西に長い菱型の島で、長さは約80km、幅は最大約34kmある。面積は約1,400km2で、約220kmの海岸線を持つ。 ロドス島の北には約18kmを隔ててアナトリア半島(トルコ・ムーラ県)がある。最も近いトルコの都市は、ロドスの街から北へ約47kmにあるマルマリスで、マルマリスとロドスとの間は航路で結ばれている。島の西には約10kmを隔ててハルキ島とアリミア島(ギリシア語版)、北西には約20kmを隔ててシミ島(英語版)、南西には約45kmを隔ててカルパトス島がある。

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双眼鏡 – Wikipedia

この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “双眼鏡” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年12月) 双眼鏡(そうがんきょう、英: binoculars)とは、望遠鏡の一種で、二つの鏡胴 (対物レンズと接眼レンズを連結して保持し、レンズ以外からの光線の入射を防ぐ筒)を平行にならべ遠方のものを両眼で拡大して見る光学器械である。古くは望遠鏡とともに遠眼鏡(とおめがね)と呼ばれた。 風景観察、観劇・スポーツ観戦(#オペラグラス参照)、天体観測・天体観望、動物観察(野鳥観察など)、船舶における安全のための監視、漁船における魚群等の確認、軍事用などに用いられる。 付加機能として防水双眼鏡や防振双眼鏡(手ぶれ補正機能つき)がある。 双眼鏡の種類[編集] 双眼鏡は、正立像を得るための光学的な構成などによっていくつかの種類に分類することができる。 レンズ・プリズムの構成[編集] ガリレオ式 ガリレオ式望遠鏡を2つ並べたものである。簡単な構成で正立像を得ることができる反面、高倍率の製品を作ることができない、視野が狭い、などの欠点もある。第一次世界大戦では、ドイツ軍の制式双眼鏡 Fernglas

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コウモリ – Wikipedia

この項目では、動物について説明しています。その他の用法については「コウモリ (曖昧さ回避)」をご覧ください。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: “コウモリ” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2021年9月) 鉱山の坑道で冬眠しているコウモリ(種不明) コウモリ(蝙蝠[4])は、哺乳綱翼手目(よくしゅもく、Chiroptera、コウモリ目[5])に属する構成種の総称である。世界各地に約1000種が棲息する[6]。 別名に天鼠(てんそ)、飛鼠(ひそ)がある。 名称の由来[編集] 「コウモリ」の名は古語に「かはほり」「かはぼり」と呼ばれたものが転訛したものである。平安時代の『本草和名』では、コウモリを「加波保利」(かはほり)として紹介しており、現在の「こうもり」という名は、この「かはほり」(かわほり)に由来する。江戸時代の『和漢三才図会』巻第四十二でも、これを引用した上で、「今いう加宇毛利(かうもり)」と記述している。『和漢三才図会』では「原禽類」の項目であるため、鳥類の扱いとなっているが、複数ある表記例としては「夜燕」とも記される。 翼手類は翼をもち、完全な飛行ができる動物である。前肢が翼として飛行に特化する形に進化しており、多くの鳥類と同様、はばたくことによって飛行するが、コウモリの翼は鳥類の翼と大きく構造が異なっている。鳥類の翼は羽毛によって包まれているが、コウモリの翼は飛膜と呼ばれる伸縮性のある膜でできている。哺乳類では、他にもムササビ、モモンガ、ヒヨケザルなどの飛膜を広げて滑空する種が知られているが、鳥類に匹敵するほどの完全な飛行能力を有するのは翼手目のみである。 コウモリの前肢(前足)は、親指が普通の指の形で鉤爪があることを除けば、全て細長く伸びている。飛膜はその人差し指以降の指の間から、後肢(後ろ足)の足首までを結んでいる。腕と指を伸ばせば翼となって広がり、腕と指を曲げればこれを折りたたむことができる。さらに後ろ足と尾の間にも飛膜を持つものも多い。また、鳥と異なり、後ろ足は弱く、立つことができない。休息時は後ろ足でぶら下がる。前足の親指は爪があって、排泄時など、この指でぶら下がることもできる。また、場合によってはこの指と後ろ足で這い回ることができる。 ココウモリ類は超音波を用いた反響定位(エコーロケーション)を行うことでよく知られている。種によって異なるが、主に30kHzから100kHzの高周波を出し、その精度はかなり高く、ウオクイコウモリのように微細な水面の振動を感知し、水中の魚を捕らえるものまでいる。コウモリの存在する地域における夜行性の昆虫やカエルなどは反響定位対策となる器官や習性を持つものも多く、その生態系ニッチの大きさがうかがえる。ただし、大型のオオコウモリの仲間は反響定位を行わない種が多い。 哺乳類は一般に大型のものほど長命であるが、コウモリ類は身体の大きさの割に非常に長生きで、体重数十gにすぎぬキクガシラコウモリが20年以上生きた例も有る。これは、空を飛べて夜行性であるために天敵が少なく、死亡率が低いこと。空を飛ぶという制約から高い繁殖力を持てず、充分な数の子孫を残すには長命になるしか無かったこと。そのためと考えられる。

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