大垣駅 – Wikipedia
ノート:垂井線に、このページに関する確認があります。(2021年5月)
確認の要約:垂井線と新垂井線の正式上の扱いについて |
大垣駅(おおがきえき)は、岐阜県大垣市高屋町一丁目にある、東海旅客鉄道(JR東海)・樽見鉄道・養老鉄道の駅である。
JR東海の東海道本線、樽見鉄道の樽見線[2]、養老鉄道の養老線が乗り入れている[3]。JR東海道本線に関しては本線と美濃赤坂駅までの支線[4](通称:赤坂支線[5])、関ケ原駅までの支線[4](通称:新垂井線[6])との分岐駅となっている。樽見線は当駅を起点としている。樽見線は1984年までは東海道本線とともに日本国有鉄道(国鉄)の路線であり、樽見鉄道へ転換されて以降も同線の駅はJR(旧国鉄)との共同使用駅となっている。
JR東海の駅にはCA77、樽見鉄道の駅にはTR01の駅番号が設定されている。
大垣駅の事務管コードは、▲530126である[7]。
以下、東海道本線美濃赤坂駅までの支線については、案内上の名称である「美濃赤坂線」と、関ケ原駅までの支線については通称名の「新垂井線」と記述する。
JR東海[編集]
樽見鉄道[編集]
養老鉄道[編集]
- 1913年(大正2年)7月31日 – 養老鉄道(初代・後の近鉄養老線)養老駅 – 池野駅間の開通に伴い、駅開業。
- 1922年(大正11年)6月13日 – 養老鉄道(初代)が揖斐川電気(現在のイビデン)に合併。同社の駅となる。
- 1928年(昭和3年)4月6日 – 揖斐川電気の鉄道事業分社化により養老電気鉄道が設立。同社の駅となる。
- 1929年(昭和4年)10月1日 – 養老電気鉄道が伊勢電気鉄道に合併。同社の駅となる。
- 1936年(昭和11年)5月20日 – 伊勢電気鉄道が養老線を分社化し養老電鉄が設立。同社の駅となる。
- 1940年(昭和15年)8月1日 – 養老電鉄が参宮急行電鉄に合併。同社の駅となる。
- 1941年(昭和16年)3月15日 – 大阪電気軌道と参宮急行電鉄が合併し関西急行鉄道が設立。同社の養老線の駅となる。
- 1944年(昭和19年)6月1日 – 関西急行鉄道が南海鉄道(現在の南海電気鉄道、のちに分社化)と合併し近畿日本鉄道が設立。同社の養老線の駅となる。
- 2007年(平成19年)10月1日 – 近鉄が養老鉄道に路線を譲渡。同社の駅となる。
JR東海・樽見鉄道[編集]
単式ホーム1面1線(1番線)と島式ホーム2面4線(2・4・5・7番線)、および4番線ホームの西側にある切欠きホーム1面1線(3番線)、5番線ホームの東側に作られた切欠きホーム1面1線(6番線)、合計3面7線のホームを有する地上駅である。
2・4番線が東海道線の本線、6番線が樽見線の本線となっている。このほかのホームがある4線は副本線で、7番線の北側にもホームのない副本線が1本、その北側に側線3線が引かれている。また構内東側には保線基地も置かれている。
当駅のアナウンス(駅員)は、東海道線上りを「岐阜・名古屋方面」(上り 名古屋方面と放送される場合あり)、下りを「垂井・関ケ原方面」、美濃赤坂線を「荒尾・美濃赤坂」(美濃赤坂は省略の場合あり)方面と放送される。
JR東海と樽見鉄道は共同の橋上駅舎を使用する。駅ビルは6階建(床面積約13,000m2)で商業施設「アスティ大垣」が入居しており、2階部分に改札口が設けられている。東海道本線(美濃赤坂支線を除く)利用時にTOICAおよびTOICAと相互利用可能なICカード(対象カードはTOICAを参照)が利用できる。
JR東海の駅は駅長・駅員配置駅(直営駅)である。管理駅として、垂井駅 – 醒ケ井駅間の各駅および美濃赤坂支線の2駅(荒尾駅・美濃赤坂駅)を管理している。JR全線きっぷうりば、自動券売機、自動精算機(改札内)、自動改札機が設置されている。
エスカレーターは北口・南口ともに設置がある。エレベーターは北口のみ設置(南口からは駅ビル「アスティ」のエレベーターを利用)。
のりば[編集]
番線 | 会社 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | JR東海 | CA 東海道本線 | 下り | 米原・京都方面 | 下りは待避・始発列車 上りは当駅始発のみ 養老鉄道線への乗換通路上に連絡改札口あり |
上り | 岐阜・名古屋方面 | ||||
2 | 下り | 米原・京都方面 | |||
3 | ■美濃赤坂線 | 下り | 美濃赤坂方面 | ||
4 | CA 東海道本線 | 上り | 岐阜・名古屋方面 | 特急「しらさぎ」「ひだ」は4番線 | |
5 | |||||
6 | 樽見鉄道 | ■樽見線 | – | 本巣・樽見方面 | |
7 | 1日2本のみ |
-
-
切欠き式の3番線ホーム
-
ダイヤ・発着番線[編集]
現在でも多くの列車が起終点とする名古屋都市圏の西端に位置するターミナル駅である。日中は快速を中心に岐阜・名古屋・豊橋方面への列車の充実が図られている。
原則として、名古屋方面と米原方面を直通する東海道線の下り列車は2番線、上り列車は4番線を使用する(ただし上り列車は一部5番線、下り列車は一部1番線発着もある)。美濃赤坂線の列車はすべて切欠きホームである3番線で折り返すが、名古屋方面からの直通列車があった頃は1番線や2番線からの発車もあった。
1999年12月3日以前は快速系統を含む大半の普通列車が当駅を起終点としていた。翌4日のダイヤ改正で快速系統を除く大半の普通列車の起終点が岐阜駅に変更された。ただし、朝晩の普通列車は当駅起終点になっている。7番線の西側部分のホームは南北自由通路の工事に伴い6番線から発着していた樽見鉄道のホーム使用が一時停止され、樽見鉄道の列車発着に使用することになったため、樽見鉄道車両の出入口高さに合わせて高さを切り下げ、簡単な柵で仕切られている。樽見鉄道の切符売り場として使用される事務所(営業時間8時00分 – 16時00分)も設置された。南北自由通路の完成ならびに旧自由通路の撤去に伴い2010年2月末に樽見鉄道のホームは再び6番線に戻った。
樽見鉄道の改札ではTOICAの処理はできず、当駅までTOICAで乗車し樽見鉄道に乗り換える場合は一度改札口を出て樽見鉄道の乗車券を自動券売機(Kiosk左隣の一台のみ、JR東海の券売機と共用)で購入するか、乗車駅からの運賃を現金で支払い証明書を受け取り次回のTOICA使用時に入場状態を解除してもらう必要がある。樽見鉄道を無人駅から乗車し、当駅で降車する場合は車内で運賃を精算した上で運転士から出場証を受け取り、改札口で駅員に渡すか自動改札機に入れることになる(JRへの乗り換えの際は車掌に見せて切符を購入する。美濃赤坂線のワンマン列車に乗り換えの際は下車駅でJRの運賃とともに出場証を運賃箱に入れる)。
その他[編集]
1969年10月のダイヤ改正以来、2009年3月まで「大垣夜行」の愛称で知名度のあった、東京からの定期夜行普通列車(1996年より快速「ムーンライトながら」、2009年4月より臨時快速になり2020年3月まで運転)の終着駅であった。青春18きっぷ利用可能期間の早朝には、「ムーンライトながら」から米原方面へ乗り継ぐ旅行者で混雑し、始発下り列車に乗り換えるために一斉に走ることを指して「大垣ダッシュ」と呼ばれることもあった
[3][36][37][38]。改札前や階段に「構内10km/h以下」と構内の乗客に向けて注意を喚起する看板が掲げられていた時期があったが、2014年時点では撤去され「危険 走らないでください」という表示になっている。
以前は当駅では輸送社員が列車の停車、通過を含めて終日立ち会いを行っており、停車する営業列車においては発車ベル扱いおよび停車する営業列車、非営業列車(主に当駅を発車する回送列車)ともにブザー式出発合図(ワンマン列車)または出発指示合図(ツーマン列車)を行っていたが、2015年2月以降、それらは行われなくなった。
大垣駅はTOICAエリアの駅であるため、ICOCAエリアである米原以遠京都、大阪方面または長浜、近江塩津方面などからICOCAなどの交通系ICカードで乗車してくることはできない(逆も同様、ただし定期券を除く)。そのため改札口近辺にはその旨を記載した掲示が至るところにされている。また美濃赤坂線はエリア外となる。
東海道本線は美濃赤坂駅への支線である「美濃赤坂線」および関ケ原駅までの支線である「新垂井線」との分岐駅であるが、実際の分岐は大垣駅 – 垂井駅間の南荒尾信号場である[39]。また、垂井方面にJR東海の車両基地(大垣車両区、かつての大垣電車区・大垣機関区)がある。
2021年時点、当駅を跨いで運行される普通列車・区間快速・快速・新快速・特別快速の運転士および車掌は、ごく一部の例外を除き当駅で交代する。
養老鉄道[編集]
養老鉄道は独立した地上駅舎を持つが、ホームは中間改札を挟んでつながっている。頭端式ホーム1面2線を有する地上駅で、桑名方面から揖斐方面へはスイッチバックとなる。だが渡り線が片方向であるため、1番線は桑名方面からの出入りしか対応していない。
ダイヤ上では当駅を跨いで直通運転する営業列車はなく、それぞれの方面へは乗り換えが必要である。また、出口付近には精算券の券売機がある。無人駅から乗車した場合はこの券売機で精算券を購入し、乗車駅で発行された乗車票と一緒に改札係員に渡して出場することになる。
のりば[編集]
のりば | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | ■養老線 | 上り | 養老・多度・桑名方面 | JR線への乗換通路上に連絡改札口あり |
2 | 下り | 池野・揖斐方面 |
駅営業面[編集]
- 有人駅。
- きっぷうりば(出札窓口)があり、往復乗車券、回数乗車券、定期乗車券(養老鉄道線内相互間及び大垣接続のJR東海との連絡定期)を発売している。
連絡改札口[編集]
JR大垣駅の1番線、米原・美濃赤坂方の養老鉄道への乗換通路上には連絡改札口が設置されている。この連絡改札口は2段階で設置されており、JR東海側は自動改札機(無人改札)、養老鉄道側は有人改札口になっている。この連絡改札口には自動券売機、自動精算機などが設置されていないため、JR東海から養老鉄道へ乗り継ぐ場合で、乗車券の乗り越し精算が必要な場合、複数枚の乗車券で乗車の場合でそれが自動改札機に対応していない場合、東海道線美濃赤坂方面からなど無人駅から乗車の場合で乗車券を所持していない場合、TOICAなどのIC乗車券を利用の場合でチャージが不足している場合、同じくIC乗車券を利用の場合で、大垣駅が含まれるTOICAエリア以外(米原駅以遠)から乗車している場合、養老鉄道の乗車券を所持していない場合や、養老鉄道からJR東海へ乗り継ぐ場合で、JR線の乗車券を所持していない場合や青春18きっぷ等の自動改札機に対応していない乗車券を所持している場合はこの連絡改札口が利用できないため、アスティ大垣2階のJR東海改札口へ向かうことになる。
配線図[編集]
↑ ■ 養老・桑名方面 | ||
← ■ 岐阜・ 名古屋方面 ← ■ 樽見方面 |
→ ■ 米原・ 美濃赤坂方面 |
|
↓ ■ 揖斐方面 | ||
凡例 出典: |
利用状況[編集]
JR東海・樽見鉄道[編集]
「大垣市統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。[42]
年度 | JR東海 | 樽見鉄道 |
---|---|---|
1日平均 乗車人員 |
1日平均 乗車人員 |
|
1996年 | 979 | |
1997年 | 899 | |
1998年 | 845 | |
1999年 | 756 | |
2000年 | 736 | |
2001年 | 726 | |
2002年 | 16,419 | 702 |
2003年 | 16,402 | 685 |
2004年 | 16,240 | 692 |
2005年 | 16,528 | 663 |
2006年 | 16,305 | 745 |
2007年 | 16,572 | 626 |
2008年 | 16,619 | 631 |
2009年 | 16,330 | 594 |
2010年 | 16,368 | 602 |
2011年 | 16,455 | 627 |
2012年 | 16,531 | 651 |
2013年 | 16,895 | 655 |
2014年 | 16,688 | 683 |
2015年 | 17,000 | 712 |
2016年 | 17,079 | 722 |
2017年 | 17,156 | 701 |
2018年 | 17,152 | 701 |
養老鉄道[編集]
調査によると、近年1日の平均乗降人員は以下の通りである[43][44]。
- 1972年までは年の平均乗車人員
※降車人員は含まれていない
- 1982年からは1日の乗降人員
年度 | 当駅分輸送実績(乗車人員) 人/年度 |
乗降人員調査結果 人/日 |
|
---|---|---|---|
合 計 | 調査日 | 調査結果 | |
1956年(昭和31年) | 401,399 | ||
1957年(昭和32年) | 415,706 | ||
1958年(昭和33年) | 413,524 | ||
1959年(昭和34年) | 373,211 | ||
1960年(昭和35年) | 452,205 | ||
1961年(昭和36年) | 499,633 | ||
1962年(昭和37年) | 514,044 | ||
1963年(昭和38年) | 503,606 | ||
1964年(昭和39年) | 510,246 | ||
1965年(昭和40年) | 474,307 | ||
1966年(昭和41年) | 444,428 | ||
1967年(昭和42年) | 462,911 | ||
1968年(昭和43年) | 412,368 | ||
1969年(昭和44年) | 418,225 | ||
1970年(昭和45年) | 401,000 | ||
1971年(昭和46年) | 376,000 | ||
1972年(昭和47年) | 354,000 | ||
1973年(昭和48年) | |||
1974年(昭和49年) | |||
1975年(昭和50年) | |||
1976年(昭和51年) | |||
1977年(昭和52年) | |||
1978年(昭和53年) | |||
1979年(昭和54年) | |||
1980年(昭和55年) | |||
1981年(昭和56年) | |||
1982年(昭和57年) | 11月16日 | 11,564 | |
1983年(昭和58年) | 11月8日 | 11,289 | |
1984年(昭和59年) | 11月6日 | 11,139 | |
1985年(昭和60年) | 11月12日 | 10,982 | |
1986年(昭和61年) | 11月11日 | 10,914 | |
1987年(昭和62年) | 11月10日 | 11,211 | |
1988年(昭和63年) | 11月8日 | 12,941 | |
1989年(平成元年) | 11月14日 | 11,366 | |
1990年(平成2年) | 11月6日 | 12,618 | |
1991年(平成3年) | |||
1992年(平成4年) | 11月10日 | 11,774 | |
1993年(平成5年) | |||
1994年(平成6年) | |||
1995年(平成7年) | 12月5日 | 11,711 | |
1996年(平成8年) | |||
1997年(平成9年) | |||
1998年(平成10年) | |||
1999年(平成11年) | |||
2000年(平成12年) | 11月7日 | 10,340 | |
2001年(平成13年) | |||
2002年(平成14年) | |||
2003年(平成15年) | 11月11日 | 8,997 | |
2004年(平成16年) | |||
2005年(平成17年) | 11月8日 | 8,911 | |
2006年(平成18年) | |||
2007年(平成19年) | |||
2008年(平成20年) | 11月14日 | 8,790 | |
2009年(平成21年) | |||
2010年(平成22年) | 11月9日 | 8,469 | |
2011年(平成23年) | |||
2012年(平成24年) | 11月13日 | 7,789 | |
2013年(平成25年) | |||
2014年(平成26年) | |||
2015年(平成27年) | 11月10日 | 7,687 | |
2016年(平成28年) | |||
2017年(平成29年) | |||
2018年(平成30年) | 11月13日 | 7,090 |
駅周辺の整備計画状況[編集]
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2021年12月)
( |
人口およそ40万人(後に30万人)の大型中核都市となるはずだった合併構想が破綻したために、駅の高架化計画が不透明になっている。
当駅北口周辺では、オーミケンシの工場内の遊休地を利用し、岐阜県内のサティでは初のシネマコンプレックス型[注釈 2]となる大垣サティを建設する予定があったものの、南口の商店街や当時駅近くにあった東宝映画館[注釈 3]、グランドタマコシ[注釈 4]などの反対運動が起こり、運営会社のマイカルそのものも経営不振に陥ったことで中止となった。これにより、サティと共同で計画していた北口ロータリーの整備計画も棚上げとなり、その後もこの問題が長引いたために、整備は行われるものの北口ロータリーの整備面積を縮小する予定となった。2008年1月頃に南北自由通路の付け替え[注釈 5]に関する看板が立てられ、看板には北口完成イメージイラストが描かれているとともに、2008年度に着工した工事の状況を携帯サイトからもわかるようにとQRコードも掲載されていた。2009年[3]9月19日に南北自由通路が開通した(愛称『水都ブリッジ』)。北口ロータリーは2012年4月より歩道部分のみ使用開始、9月16日に自噴水を活用した親水広場『水都北口 オアシス(名称は公募により決定)』の運営開始により、全面完成となった。
縮小したオーミケンシ大垣工場の一部敷地利用については、ユニー(アピタ)が進出することになり、建設は2006年9月に大垣市からの許可が下り、2007年1月に着工、アクアウォーク大垣として同年10月23日にプレオープン、同年10月27日にグランドオープンした。そして2009年9月19日、『水都ブリッジ』の開通と同時に当駅北口とアクアウォーク大垣を連絡する高架通路『アクアブリッジ』が開通した。徳洲会病院の建設は2006年7月に着工、2008年4月1日に大垣徳洲会病院として開院した[注釈 6]。
なお、残った敷地でプリント基板製造を行っていたオーミケンシ大垣EP事業場は、2009年9月に閉鎖された。2012年09月にオーミケンシが、跡地約6万m2を大手住宅メーカーの積水ハウス、パナホームの計2社に譲渡すると発表した。2社は分譲住宅用地として開発を計画している。
さらに、オーミケンシ跡地南部には2014年2月に「大垣駅北ショッピングモール(仮称)」の整備計画が進んでいることが明らかとなった。岐阜県初出店となるディスカウントストアの大黒天物産(ラ・ムー大垣店、本社・岡山県倉敷市)、家電量販店大手のヤマダ電機(本社・群馬県高崎市)、衣料品販売のAOKI(本社・神奈川県横浜市)、スポーツクラブの東祥(本社・愛知県安城市)の4社がそれぞれ出店。2014年4月より着工をはじめ、10月9日にラ・ムー大垣店がオープンした以降、他店舗も順次オープンする[47]。
バス路線[編集]
大垣駅南口・北口から名阪近鉄バスの路線バスが発着している。
- 東海旅客鉄道(JR東海)
- 東海道本線
- ■特別快速・■新快速・■快速・■区間快速・■普通(上り優等列車・貨物列車も経由)
- 穂積駅 (CA76) – 大垣駅 (CA77) – (南荒尾信号場) – 垂井駅 (CA78)
- ■特別快速・■新快速・■快速・■区間快速・■普通(上り優等列車・貨物列車も経由)
- 東海道本線(新垂井線)
- (下り列車専用、下り優等列車・貨物列車のみ経由)
- 大垣駅 (CA77) → (南荒尾信号場)→ (旧・新垂井駅) → 関ケ原駅 (CA79)
- (下り列車専用、下り優等列車・貨物列車のみ経由)
- 東海道本線(美濃赤坂支線、全列車が各駅に停車)
-
- 大垣駅 (CA77) – (南荒尾信号場) – 荒尾駅
-
- 樽見鉄道
- 樽見線
-
- 大垣駅 (TR01) – 東大垣駅 (TR02)
-
- 養老鉄道
- 養老線
-
- 西大垣駅 – 大垣駅 – 室駅
-
注釈[編集]
- ^ 南荒尾信号場 – 垂井駅 – 関ケ原駅間の東海道本線下り線線路は「垂井線」という通称がある[6]。ただし、国鉄時代に制定された日本国有鉄道線路名称および国土交通省監修の『鉄道要覧』では、垂井駅経由が東海道本線の「本線」である[4][33][34]
- ^ 2005年に開業したロックシティ大垣ショッピングセンター(現・イオンタウン大垣)内のコロナワールドに存在する。
- ^ その後閉館した。
- ^ その後倒産し、受け皿会社が平和堂東海となった。
- ^ かつての自由通路は幅が狭い上に階段が多く、バリアフリー対応が困難な状況であった。
- ^ 元ゴルフ練習場の場所である。
出典[編集]
参考文献[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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