生島ヒロシ – Wikipedia

生島 ヒロシ(いくしま ひろし、1950年12月24日 – )は、日本のアナウンサー、タレント、司会者、ファイナンシャルプランナー。東北福祉大学客員教授。プロダクション会社生島企画室の最高経営責任者。元・TBSアナウンサー(16期生)。本名は生島 博(いくしま ひろし)。

現在は東京都世田谷区在住。

宮城県気仙沼市出身[1]。宮城県気仙沼高等学校卒業後、法政大学経営学部に入学。20歳の夏の1971年、大学紛争を機に単身渡米。

アメリカへ留学中は、日本人らしく植木屋や庭木の剪定などのアルバイトで生計を立てる。同時期に空手家の山崎清司の元で空手を習い、ベニー・ユキーデと試合を行う予定もあった。しかし、これは師範の山崎にキャンセルされた。本人曰く、「ユキーデが弱い日本人に勝利して自身の経歴に箔をつけようとしていたことに気付いたから」とのこと。師範からは黒帯を授与されたが、生島本人は後の空手雑誌での山崎との対談で、「名誉初段みたいなものです」と謙遜した[2]。アメリカ留学中は、同じように修行中の後の映画スター、ショー・コスギとも出会っており将来について意気投合していた[3]

1975年、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校ジャーナリズム科卒業。1976年4月にTBS(現:TBSHD。以下同じ)にアナウンサー16期生として入社(同期には鈴木順・高橋進・松宮一彦)[4][5][注釈 1]。入社3年目の1978年4月から1979年秋までTBSラジオの夜ワイド『生島ヒロシの夜はともだちII(セカンド)』を担当し、人気を得る。

1989年3月にTBSを退社[6][7]・独立し、株式会社生島企画室を設立した(役職は最高経営責任者)。

古巣のTBSラジオでは、1998年から平日の早朝に冠番組『生島ヒロシのおはよう定食』と『生島ヒロシのおはよう一直線』を担当。TBSラジオ内では生島による再春館製薬所の痛散湯など、健康に関係する薬品や食品のCMがたびたび放送される。

軽快な口調を「デフォルメ」して、『大沢悠里のゆうゆうワイド』の投稿コーナー『お色気大賞』では「軽いノリの部下、生島君」「一直線なサラリーマン・生島」「悪友ヒロシ」として大沢悠里が声色を駆使させ、時折登場していた[8]

なお、生島は大沢悠里の「後輩」「元・部下」であり、洒落っ気を利かせた大沢が、上記のように『お色気大賞』に仮称:生島を登場させたり、『おはよう一直線』放送終了間際に大沢が「ゲリラ出演」したり、逆に『ゆうゆうワイド』ラストを前に大沢とのトークを『おはよう一直線』において対談を果たしている[9]。また、当時の後輩である吉川美代子とは仲が良く、生島は吉川の事を『美代ちゃん』と呼んでいた。

2004年10月23日、新潟市で行った講演会を終えて帰京するため、17時19分新潟発東京行き上越新幹線「Maxとき332号」のグリーン車2階席にマネージャーと乗車していた際に、56分に発生した新潟県中越地震の直撃を受け、浦佐駅と越後湯沢駅間で約6時間も新幹線の中に閉じ込められた。また、同じ列車に嶌信彦も同乗していた。この経験から、防災士の資格を取得した[10]

2011年3月11日の東日本大震災発生時は、ラジオを終えてから宮城県仙台市の仙台国際ホテル4階に出向き、講演会を行っている最中だった。その後、生島は道路も各所で被害を受けた中、仙台市から約15時間をかけて東京都区部に帰京した。気仙沼市の実家には妹夫婦が住んでいたが津波に流され、妹のみが5月に遺体で見つかった。義弟は未だ行方不明[11]。なお、妹夫婦は2月に85歳で亡くなった母の納骨式を行うため遺骨と位牌を携えて3月12日に上京する予定だったが、母の遺骨と位牌も津波の被害に遭い流失した[12][13][14]

2018年2月、緑内障の手術を受け経過良好であると伝えられた[15]

2019年8月、右眼の白内障手術を受けた事を明らかにした[16][17]

ファイナンシャル・プランナーや福祉住環境コーディネーターの資格を持ち、自身の番組スポンサーでもある日興コーディアル証券のCMに出演したり、ヘルスケアアドバイザーとして、コジマのストアサポーターに就任。義母の介護体験から『おばあちゃま、壊れちゃったの?』を出版(のちにドラマ化)するなど福祉への造詣も深く、健康や福祉、金融や人生をテーマにした講演を精力的に行っている。

主な資格[編集]

主な役職(元職も含む)[編集]

  • 東北福祉大学客員教授
  • みやぎ絆大使
  • みなと気仙沼大使
  • おじゃんせ霧島大使(鹿児島県霧島市)
  • 高齢者交通事故防止アドバイザー(警視庁)

交友[編集]

武道家の東孝は高校の同級生[3]、テレビ岩手の藤村惠一とマジシャンのマギー審司は高校の後輩、俳優の村上弘明は高校と大学の後輩にあたる。また、お笑いタレントのヒロシの芸名は生島にちなんで名づけられた。

家族[編集]

4兄妹の長男であり、「企画室」相談役の生島隆(元社長)は次弟、スポーツジャーナリストの生島淳は末弟。隆の間に一般人の妹がいるが、略歴で説明した通り、妹夫婦は東日本大震災で被災し亡くなった(義弟は行方不明)。また2人の息子がおり、長男の生島勇輝は生島企画室に所属してタレント活動をしていたが、現在はケイダッシュに移籍して俳優に転身。次男の生島翔はダンサーとしてアメリカを拠点に活動している[18]

ビブリオグラフィ[編集]

著書[編集]

  • 『まぜごはん、プリーズ。 TBSアナウンサーの熱血アメリカ体験記』(1985年、アルク〈Cat books〉)
  • 『後輩への説教 望みが高ければ退屈しない』(1991年、講談社)
  • 『生島ヒロシのパワースピーチ入門 こんな話し方が人生を明るくする』(1992年、ベストセラーズ〈ワニの本〉)
  • 『生島ヒロシのコンビニ英会話』(1993年、講談社)
  • 『こんな時代は早起きでしょう 早起き人種はリストラ知らず』(1998年、リヨン社)
  • 『岡田武史逆境をチャンスに変えよ 強いリーダーになる15の実践』(1998年、コスミックインターナショナル〈Cosmo books〉)
  • 『おばあちゃま、壊れちゃったの? : ボクと妻の老親介護』(1999年、三笠書房) – のちにテレビ朝日にてドラマ化。
  • 『神様からの贈り物 生島家のペット介護日記』(2000年、エム・ウェーブ)
  • 『みんなの介護入門』(2001年、幻冬舎)
  • 『生島ヒロシのこれで元気に!「手間なし」健康法』(2001年、日本経済新聞社)
  • 『生島ヒロシの時代を生き抜く対話術 お宝情報を引き出す51の秘訣』(2001年、弘文堂)
  • 『さすがと思われる短いスピーチ実例集』(2001年、幻冬舎)
  • 『堂堂家族主義』(2002年、ポプラ社)
  • 『生島ヒロシの坂道、寄り道、まわり道』(2003年、東京書籍)
  • 『生島ヒロシの50歳からの健康上手』(2003年、日本経済新聞社)
  • 『さすが!と言われる 司会・進行実例集』(2003年、日本文芸社)
  • 『50歳からお金の心配がなくなる本』(2004年、幻冬舎)
  • 『500問答えて億万長者 お金力クイズ』(2006年、幻冬舎)
  • 『人に好かれる「話し方」決定版』(2008年、マガジンハウス)
  • 『資格力 ◎人生に役立つ有望資格ガイド』(2008年、東京書籍)
  • 『<ちょいメタ>のほうが長生き?』(2008年、春秋社)
  • 『さすが!と言われる 1分スピーチ・あいさつ実例集』(2008年、日本文芸社)
  • 『さすが!と言われるお祝いお礼のスピーチ実例集』日本文芸社(2009年)
  • 『おとなの英会話フレーズ571』(2009年、学研ムック)
  • 『生島ヒロシの幸せを呼ぶ健康のヒケツ』TBSサービス(2010年)
  • 『知識ゼロからのビジネススピーチ入門』幻冬舎(2011年)
  • 『口下手な人のためのスピーチ術』ベスト新書(2012年)
  • 『賢人の仕事術』(2013年、幻冬舎)
  • 『ご機嫌な老活 やっぱり生涯ずっと面白く働いていたい』(2013年、日経BP社)
  • 『この一冊で!相続のことがまるごとわかる本』毛利豪監修(2013年、大和書房)
  • 『マンガで読める生島ヒロシの相続一直線』(2016年、週刊住宅新聞社)
  • 『さすが! と言われる 心に響く名スピーチのコツ&実例集』(2017年、日本文芸社)
  • 『どん底に落ちてもはい上がる37のストーリー』(2019年、ゴマブックス)

共著[編集]

  • 生島ヒロシ、ケント・デリカット『ケントとヒロシの英会話生中継 : 実況トークブック』講談社、1986年12月。全国書誌番号:

    87010231ISBN 4-06-203117-5。

  • 生島ヒロシ、武村秀雄、福永保代『英語と比較ができる和製カタカナ語事典』創芸社、1995年6月。全国書誌番号:95062274ISBN 4-88144-064-0。
  • 生島ヒロシ、グレアム・M.ハリス『生島ヒロシとG.ハリスの欧米流スピーチのすすめ』PHP研究所〈PHP business library : Business〉、1999年3月。全国書誌番号:99066022ISBN 4-569-60475-7。
  • 生島ヒロシ、グレアム・M.ハリス『生島ヒロシとG.ハリスの欧米流スピーチのすすめ』PHP研究所〈PHP business library : Business〉、1999年3月。全国書誌番号:99066022ISBN 4-569-60475-7。
  • 生島ヒロシ、乃木田俊辰『生島ヒロシがレポートする専門医が語るレーザー医療の最前線』日本臨床医療レーザー協会監修、マキノ出版〈ビタミン文庫〉、2000年2月。全国書誌番号:20125670ISBN 4-8376-1121-4。
  • 新谷弘実、生島ヒロシ『ドクター新谷・生島ヒロシが「胃腸を語る」 : 対談”新谷式健康・長寿法”』弘文堂、2001年10月。全国書誌番号:20206928ISBN 4-335-76005-1。

監修書籍[編集]

出演番組[編集]

TBS[編集]

フリー[編集]

出演映画[編集]

ドウシシャ・パーフェクトグローブシリーズのナレーション(一部を除く)

出演舞台[編集]

  • 音楽喜劇「のど自慢」 〜上を向いて歩こう〜 – 2017年[26]

シングル[編集]

  1. やっぱりごはん(BMGファンハウス、1992) – 生島ヒロシ&ごはん党シンガーズ。
  2. 東京ふれ愛めぐり逢い(コロムビア、1998年4月21日) – 松原のぶえとのデュエット
    作詞:津城ひかる、作曲・編曲:若草恵
  3. もしもしお父さんです(ウイングジャパン、2010年9月8日)
    作詞:里村龍一、作曲:森山慎也、編曲:矢田部正
  4. 花は咲く(フライングドッグ、2012年5月23日) – 花は咲くプロジェクト。
    作詞:岩井俊二、作曲・編曲:菅野よう子
  1. ^ TBS50年史では入社年月日を1976年1月1日としている。[4][5][6][7]

参考文献[編集]

  • 『TBS50年史』東京放送、東京放送、2002年1月。

外部リンク[編集]