豊見城市 – Wikipedia

豊見城市(とみぐすくし、沖縄方言: ティミグシク、トゥミグシク[1])は、沖縄本島南部に位置する沖縄県第6の都市。2002年に島尻郡豊見城村から町とならずに、市制を施行した。

沖縄県の県庁所在地である那覇市の南に隣接しているため、ベッドタウンとして人口が増加している。東洋経済新報社が調査した「成長力ランキング」で2006年は全国1位となった。2008年の順位は3位、2009年は7位と下がったが、2010年に再び全国1位となった。市制を施行して以降、8年連続で上位10位以内を維持している[2]

2008年12月20日に、豊見城道路に道の駅豊崎がオープンした。

沖縄本島南部の西海岸に位置し、東シナ海に面している。東西に長い長方形をなしており、北は那覇市に隣接している。中部を饒波川が西流、のち北流して漫湖へ注ぐ。

瀬長集落から600m沖合に周囲1.5kmの瀬長島がある。戦前まで島内に小さな集落が形成されていたが、戦後は無人島になった。1946年に米軍に接収されたが、沖縄の本土復帰後の1977年に返還される。現在は橋がかかっており自動車での往来が可能で、釣りや潮干狩りの名所として知られるほか、海水浴場・キャンプ場や野球場などの娯楽施設が整備されている。

字一覧[編集]

  • ※()内のカタカナ表記はしまくとぅば名[3]
  • 伊良波(いらは、イラハ)
  • 上田(うえた、イータ)
  • 翁長(おなが、ウナガ)
  • 嘉数(かかず、カカジ)
  • 我那覇(がなは、ガナハ)
  • 金良(かねら、カララ・カニラ)
  • 宜保(ぎぼ、ジフ)一 – 五丁目
  • 座安(ざやす、ザー)
  • 瀬長(せなが、シナガ・アンジナ)
  • 平良(たいら、テーラ)
  • 田頭(たがみ、タガミ)
  • 高嶺(たかみね、タカンミ)
  • 高安(たかやす、タケーシ)
  • 渡嘉敷(とかしき、トゥカヒチ・トゥカシチ)
  • 渡橋名(とはしな、トーシナ)
  • 豊見城(とみぐすく、ティミグスク)
  • 豊崎(とよさき)
  • 名嘉地(なかち、ナカチ・ナーカチ)
  • 長堂(ながどう、ナガドー)
  • 根差部(ねさぶ、ミサシップ)
  • 饒波(のは、ヌーファ)
  • 保栄茂(びん、ビン)
  • 真玉橋(まだんばし、マダンバシ)
  • 与根(よね、ユニ)

隣接している自治体[編集]

人口[編集]

豊見城市と全国の年齢別人口分布(2005年) 豊見城市の年齢・男女別人口分布(2005年)

紫色 ― 豊見城市
緑色 ― 日本全国

青色 ― 男性
赤色 ― 女性

豊見城市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より
  • もとは豊見城間切で、のちに北部が小禄間切(のちの小禄村、現在の那覇市)、南東部が兼城間切(のちの兼城村、現在の糸満市)へそれぞれ分離した。
  • 1908年4月1日 – 島嶼町村制施行により豊見城間切から豊見城村となった。
  • 1976年 – 「日本一人口の多い村」となる
    • 人口はのちに岩手県紫波郡都南村に抜かれる。都南村の盛岡市への編入により日本一を取り戻すが、岩手郡滝沢村(現:滝沢市)に再び人口を抜かれ、奪還する事なく豊見城村は市に昇格している。その後2014年になって滝沢村も市制施行し、本市と同じく村から市になった。
  • 2002年4月1日 – 単独で村から市になった。現行の地方自治法に基づいて村が市となった初めての例であった[4]。同時に庁舎を上田から翁長へ本格移転した。

市制施行前、豊見城村の事務所は、日本の町村で唯一「役所」を名乗っていた(通常は「役場」)。その根拠は、復帰前に沖縄で施行されていた市町村自治法(1953年立法第1号)の第4条「……又は市町村役所の位置を定め、若しくはこれを変更しようとするときは、条例でこれを定め、……」である。復帰後、豊見城村は日本の地方自治法に基づく村となったが、地方自治法には市町村の事務所をどう呼ぶかについて規定はない。

沖縄県の名字と同様、地名の読みが沖縄特有の読みから標準語化する流れを受けて「とみぐすく」でなく「とみしろ」が慣例として用いられることが多い。市立豊見城中学校の読みは「とみぐすく」であるが、市内の県立高校2校と市立豊見城小学校の読みは「とみしろ」である。ただ、琉球王国のグスク及び関連遺産群の世界遺産登録前後からは「ぐすく」の読みを再評価する気運も高まっている。

瀬長島は豊見城発祥の地

神話によると、琉球の国土は女神アマミキヨと男神シネリキヨによって造られた。そしてアマミキヨの子・南海大神加那志(ナンカイウフガミガナシ)によって、豊見城の村造りが始まったとされる。
南海大神加那志は、まず瀬長島に集落を造った。したがって豊見城発祥の地は瀬長島ということになる。そこに住む人々は半農半漁で生計を立てていた。
しかし、瀬長島は耕作に適した土地が少ないため、アマミキヨから数えて4代目の豊見城大神加那志が、耕作地を探して陸地へ渡った。そして現在の豊見城城跡近くに適地を見つけ、そこに居をすえて開墾を始める。
内陸での村造りも軌道に乗り、人口も徐々に増えてきた。しかし水田と畑を合わせても村の全人口を養うには足りなくなった。そこで人々は周辺へ移り住み、新たに嘉数、根差部、饒波、高安、長嶺、平良などの集落が生まれたといわれる。[5]

豊見城はハーリー発祥の地

18世紀半ばに琉球王府によって編集された歴史書球陽によると、豊見城城主の汪応祖(わんおうそ)が中国に留学した際、龍船の競漕を見て感激し、帰国後に同様の船を造って漫湖で遊覧したのが始まりとされている。[6]
また、『豊見城の王様 わんおうそ ハーリー由来物語』(PDF版)という絵本が非売品として豊見城商工会青年部まちづくり有志の会により2010年12月29日発行され、市内の学校図書館に数冊寄贈されている。また与根漁港祭りなどでも無料配布されている。[7]

グスク時代

豊見城市にも数カ所のグスクが存在する。豊見城グスクは字豊見城集落近くの丘の上にあり、後に南山王となる汪応祖(わんおうそ・おうおうそ)が築いた城といわれている。三山時代において重要な地位を占めていたが、後に琉球を統一する中山王・尚巴志の火攻めによって落城したとされる。[8]

豊見城市と土佐清水市が姉妹都市であるきっかけはジョン万次郎

土佐(現在の高知県)の漁師に生まれたジョン万次郎(中浜万次郎)は、14歳で漁に出て遭難し、捕鯨船に救助されてアメリカに渡った。日本に帰国後は日米和親条約の締結に貢献するなど、日米の懸け橋になった人物。
万次郎は帰国前の1851年、琉球に上陸するも、長期に渡って役人による尋問を受ける。しかしその間、万次郎は高安家を自由に出入りでき、琉球王府は料理人を遣わせて食事の世話をしたり酒も与えたという。
上陸から半年後、万次郎は高安家をはじめ村の人々と別れを惜しみつつ、日本へ向かった。
ジョン万次郎が高安家で手厚くもてなされたのは、琉球民が土佐に漂着した際温かく介護されたことへの琉球国王の返礼だったといわれる。万次郎の中浜家と高安家の交流はその後も続き、その縁で豊見城市と土佐清水市は姉妹都市となっている。[9]

行政・議会[編集]

市長[編集]

氏名 就任日 退任日 備考
初代 金城豊明 2002年4月1日 2010年11月7日 旧豊見城村長。市制施行とともに市長就任。
2代 宜保晴毅 2010年11月8日 2018年11月7日
3代 山川仁 2018年11月8日 現職

市章[編集]

豊見城村であった1976年(昭和51年)4月1日に村章を決定した[10]。その後、市制移行に合わせて平成14年4月1日より市章として引き継がれている[11]

市役所[編集]

2002年(平成14年)の市制施行時、それまでの市中央部の上田地区(1958年(昭和33年)建築)より市南西部の翁長地区の庁舎に移転した。庁舎は閉店した大型家具店『ヨナシロ家具豊見城店』の建物を利用したもので、建築は1984年(昭和59年)である。当時、新庁舎建設を前提とする仮庁舎という形であり、2014年(平成26年)に市庁舎建設基本構想を策定している[12]。新庁舎は2018年(平成30年)頃に完成。2019年(平成31年)に引っ越し作業が完了し、市役所の運営を再開した。

豊見城市議会[編集]

  • 議員定数:22[13]
  • 議長:外間 剛(保和会)
  • 副議長:赤嶺 吉信(保和会)
会派別構成

与党

野党

  • 保和会:8人
  • ZERO:5人
  • 公明党:2人

姉妹都市[編集]

日本

産業[編集]

主な商業施設[編集]

温泉[編集]

機関・施設[編集]

教育[編集]

高等学校
中学校
小学校
その他

スポーツ施設[編集]

文化施設[編集]

博物館・資料館等[編集]

警察・消防[編集]

警察[編集]

消防[編集]

郵便[編集]

放送局[編集]

2006年3月に現在の那覇市おもろまち(那覇新都心)に移転するまでNHK沖縄放送局の放送会館が市内高安(現在のNHK豊見城高安テレビ・FM放送所敷地内)にあった。

沖縄県内テレビ局全局とNHKラジオ・琉球放送(RBCiラジオ)の本送信所が市内3ヶ所にそれぞれ設置されている。

(OTVは1985年に那覇市首里崎山町から移転。1985~2011年には琉球放送もアナログテレビがここから送信していた)
(RBCのアナログテレビが1985年に高安送信所に移転してからQAB開局する1995年の10年余の間はRBCラジオのみの送信所だった)

2008年には、市内で初めてのコミュニティ放送局であるFMとよみ(公式サイト)が開局した。

医療[編集]

福祉[編集]

  • 豊見城市社会福祉協議会 豊見城市社会福祉センター(公式サイト) – (字平良467-4)

市指定文化財[編集]

  • 口上覚 – 豊見城間切の地方役人である文子に任命されてから約40年間の履歴を書いた古文書(豊見城市指定文化財 1993年11月1日指定)[21]
  • 重修真玉橋碑 – 豊見城市真玉橋に架かっていた石橋 真玉橋を1836年に改修した際に建てられた碑(豊見城市指定文化財 1995年3月29日指定)[22]
  • 字与根大城家文書 – 豊見城市与根に伝わる土地の所有や開墾などを認めた19世紀の古文書(豊見城市指定文化財 2001年3月6日指定)[23]
  • 真玉橋遺構 – 豊見城市真玉橋に架かっていた石橋 真玉橋の遺構。橋脚と潮切(スーチリー)が見られる。(豊見城市指定文化財 2006年2月22日指定)[24]
  • 饒波の龕 – 豊見城市字饒波が所有していた龕。龕とはかつて葬儀の際に死者を乗せ墓まで運ぶために使われた「輿」のこと(豊見城市指定文化財 2019年11月1日指定)[25]
  • 印部石 ニ かなは原 – 1737年から1750に行われた元文検地の際に、測量の図根点(基準点)として用いられたもの(豊見城市指定文化財 2019年11月1日指定)[25]
  • 印部石 い をなか原 – 1737年から1750に行われた元文検地の際に、測量の図根点(基準点)として用いられたもの(豊見城市指定文化財 2019年11月1日指定)[25]
  • 印部石 ロ めさしふ原 – 1737年から1750に行われた元文検地の際に、測量の図根点(基準点)として用いられたもの(豊見城市指定文化財 2019年11月1日指定)[25]
  • 印部石 ヌ めさしふ原 – 1737年から1750に行われた元文検地の際に、測量の図根点(基準点)として用いられたもの(豊見城市指定文化財 2019年11月1日指定)[25]

主な文化財[26][編集]

文化財外部リンク

戦争遺跡[27][編集]

  • 旧海軍司令部壕 – 沖縄戦で大日本帝国海軍が建設、使用した防空壕。現在海軍壕公園として沖縄観光コンベンションビューローが管理している。
  • 海軍戦没者慰霊之塔(豊見城) – 海軍壕公園内に位置する。
  • 濤魄之塔(豊見城) – 旧豊見城城址公園内に位置する。見学は現状難しい。
  • 旧陸軍第24師団第2野戦病院壕(豊見城) – 旧豊見城城址公園内に位置する。見学は現状難しい。
  • 山部隊野戦病院患者合祀碑(豊見城) – 旧豊見城城址公園内に位置する。見学は現状難しい。
  • 我那覇周辺の壕跡(我那覇)
  • サバキナ壕跡(名嘉地)
  • 田頭収容所(田頭)
  • 瀬長・田頭丘陵周辺構築壕群(瀬長・田頭)
  • アカサチ森壕跡(瀬長) – 豊見城警察署北側に位置する。見学は現状難しい。
  • 与根飛行場跡(与根・翁長)
  • 伊良波収容所(伊良波)
  • 監視所跡(保栄茂) – 保栄茂グスク内に位置する。見学は現状難しい。
  • 御大典記念碑(保栄茂)
  • 紀元二千六百年祭記念掲揚台(保栄茂)
  • デークガー(平良)
  • 特攻艇が配備された饒波川・タングチ流域(高安)
  • 弾痕の残る石垣(金良)

路線バス[編集]

路線の詳細は「沖縄本島のバス路線」を参照。

琉球バス交通、沖縄バス、那覇バス、東京バスおよびカリー観光の5社が運行する。琉球バス交通は国道331号線を通り那覇 – 糸満間を結ぶ糸満(高良)線、道の駅豊崎発着の那覇市・浦添市・宜野湾市方面の路線、豊見城市内一周線を運行する。沖縄バスは糸満(高良)線を琉球バス交通と共同運行する。那覇バスは県道7号線を通り那覇 – 糸満間を結ぶ路線や、那覇市と豊見城市を結ぶ路線を運行する。ほかに、那覇市内線(那覇バスが運行、均一運賃)の一部が豊見城市内の那覇市との市境付近を通っている。

2006年2月20日から琉球バスの浦添・宜野湾方面ゆきの一部のバス路線(4路線)が那覇バスターミナルから小禄地区を経由し市内我那覇まで延伸されたことにより、豊見城市と浦添市中心部・宜野湾市・琉球大学の直通移動が可能となった。琉球バス交通成立後の2008年8月1日より、市内の豊崎タウンに本社兼用の営業所が落成されたことにより、さらに同営業所付近の道の駅豊崎まで延長され、1路線しか停車しなかった市役所前に停車する路線が大幅に増えた。2021年にはさらに豊崎美らSUNビーチまで延長されている。

以前は、ほとんど那覇市と糸満市を結ぶ路線の途中経由区間でしかなかったが、2002年に市役所が移転したため既存のアクセスでは不便になったことより市内一周バスを運行したり、豊見城市内を起点として浦添市・宜野湾市への直通路線が開設されるなど、市内のバス事情も変わりつつある。

2020年にはカリー観光がイーアス沖縄豊崎への乗り入れを開始、2021年には発着点を瀬長島に変更した。また東京バスが市内に営業所を開設し沖縄県内において路線バスに参入、国際通り入口から那覇空港と瀬長島・イーアス沖縄豊崎を経由して糸満市方面へのバスを運行している。

※BT=バスターミナル

番号 路線名 運行会社 運行区間 市町村 豊見城市内の主な経由地
那覇市 – 豊見城市 – 糸満市
89 糸満(高良)線 琉球バス交通
沖縄バス
那覇BT – 糸満BT 那覇市 – 豊見城市 – 糸満市 国道331号(名嘉地、我那覇、伊良波、翁長)
446 那覇糸満線 那覇バス 那覇BT – 糸満営業所 豊見城、豊見城中学校前、保栄茂、豊見城団地
TK02 ウミカジライナー 東京バス 国際通り入口 – 糸満市役所 瀬長島ホテル前、あしびなー、イーアス沖縄豊崎
豊崎美らSUNビーチ前起点(豊見城市 – 那覇市 – 各地)
55 牧港線 琉球バス交通 宜野湾出張所(終点) 豊見城市 – 那覇市 – 浦添市 – 宜野湾市 豊見城市役所前、伊良波、冝保
56 浦添線 西原四丁目
真栄原(終点)
88 宜野湾線 宜野湾出張所(終点)
98 琉大(バイパス)線 琉大駐車場(終点) 豊見城市 – 那覇市 – 浦添市 – 宜野湾市 – 西原町
256 浦添てだこ線 てだこ浦西駅(終点) 豊見城市 – 那覇市 – 浦添市 – 西原町 – 浦添市
那覇市内線
6 那覇おもろまち線 那覇バス 那覇BT – おもろまち駅前広場 那覇市 – 豊見城市 – 那覇市 豊見城高校前 ※1日1往復のみ
9 小禄石嶺線 具志営業所 – 石嶺営業所 松川入口
11 安岡宇栄原線
17 石嶺(開南)線
那覇市街地 – 豊見城市
45 与根線 那覇バス 三重城 – 具志営業所 那覇市 – 豊見城市 – 那覇市 高安、上田、座安、与根、瀬長
101 平和台安謝線 具志営業所 – 市場北口 那覇市 – 豊見城市 – 那覇市 – 浦添市 瀬長、名嘉地、我那覇、豊見城
105 豊見城市内一周線 琉球バス交通 豊崎美らSUNビーチ前発着(一周) 豊見城市 – 那覇市 – 豊見城市 豊見城市内各地
瀬長島ライナー カリー観光 おもろまち駅前 – 瀬長島 那覇市 – 豊見城市 瀬長島
那覇空港 – 豊崎地区
95 空港あしびなー線 那覇バス 那覇空港 – イーアス沖縄豊崎 那覇市 – 豊見城市 あしびなー、イーアス沖縄豊崎
955 空港OTS線 那覇空港 – OTS前 OTS前

道路[編集]

とよみ大橋(那覇東バイパス)

道の駅[編集]

鉄道[編集]

1920年(大正9年)5月に全線開業した馬車軌道。糸満街道沿いに敷設され、豊見城市内には地覇(名嘉地)、伊良波、座安、保栄茂、翁長に停車場があった。1939年(昭和14年)11月に廃止。

著名な出身者[編集]

関連書籍[編集]

豊見城市史・村史[29][編集]

  • 豊見城村史編纂委員会『豊見城村史』豊見城村役所 1964年(豊見城市史HP
  • 豊見城村教育委員会村史編纂室『豊見城村史 第9巻 文献資料編』豊見城村役所 1998年(豊見城市史HP
  • 豊見城村史戦争編専門部会『豊見城村史 第6巻 戦争編』豊見城村役所 2001年(豊見城市史HP
  • 豊見城市市史編集委員会民俗編専門部会『豊見城市史 第2巻 民俗編』豊見城市役所 2008年(豊見城市史HP
  • 豊見城市市史編集委員会新聞集成編専門部会『豊見城市史 第3巻 新聞集成編』豊見城市役所 2008年(豊見城市史HP
  • 豊見城市市史編集委員会移民編編専門部会『豊見城市史 第4巻 移民編』豊見城市役所 2016年(豊見城市史HP
  • 豊見城村史編纂委員会『とみぐすく写真帳(村制施行90周年記念誌)』豊見城村役所 1998年(豊見城市史HP

文化財報告書[編集]

  • 豊見城村教育委員会 『豊見城村文化財調査報告書第01集 伊良波西遺跡』 1986年
  • 豊見城村教育委員会 『豊見城村文化財調査報告書第02集 伊良波東遺跡』 1987年
  • 豊見城村教育委員会 『豊見城村文化財調査報告書第03集 豊見城村の遺跡』 1988年
  • 豊見城村教育委員会 『豊見城村文化財調査報告書第04集 高嶺古島遺跡』 1990年
  • 豊見城村教育委員会 『豊見城村文化財調査報告書第05集 渡嘉敷後原遺跡群』 1997年
  • 豊見城市教育委員会 『豊見城市文化財調査報告書第06集 宜保アガリヌ御嶽』 2003年
  • 豊見城市教育委員会 『豊見城市文化財調査報告書第07集 根差部クチャガー』 2005年
  • 豊見城市教育委員会 『豊見城市文化財調査報告書第08集 瀬長グスク他範囲確認調査報告書』 2008年
  • 豊見城市教育委員会 『豊見城市文化財調査報告書第09集 豊見城市の遺跡-市内遺跡分布調査事業-』 2011年
  • 豊見城市教育委員会 『豊見城市文化財調査報告書第10集 重修石火矢橋碑・豊見城グスク』 2013年
  • 豊見城市教育委員会 『豊見城市文化財調査報告書第11集 名嘉地の住民避難壕群』 2014年
  • 豊見城市教育委員会 『豊見城市文化財調査報告書第12集 保栄茂古島遺跡・瀬長グスクほか-市内遺跡等発掘調査報告書-』 2016年
  • 豊見城村教育委員会 『豊見城村の文化財(増補)』 2002年
  • 豊見城村教育委員会 『豊見城村の文化財 第2集 漫湖周辺の文化財と野鳥』 2000年
  • 豊見城市教育委員会 『豊見城市の遺跡及び古墓群分布図』 2014年(PDF版

豊見城市史・村史だより等[編集]

  • 豊見城村史編纂室『豊見城村史だより創刊号』豊見城村教育委員会 1995年(PDF版
  • 豊見城村史編纂室『豊見城村史だより第02号』豊見城村教育委員会 1996年(PDF版
  • 豊見城村史編纂室『豊見城村史だより第03号』豊見城村教育委員会 1997年(PDF版
  • 豊見城村史編纂室『豊見城村史だより第04号』豊見城村教育委員会 1999年(PDF版
  • 豊見城村史編纂室『豊見城村史だより第05号』豊見城村教育委員会 1999年(PDF版
  • 豊見城村教育委員会文化課『豊見城村史だより第06号』豊見城村教育委員会 2001年(PDF版
  • 豊見城村教育委員会文化課『豊見城村史だより第07号』豊見城村教育委員会 2002年(PDF版
  • 豊見城市教育委員会文化課『豊見城市史だより第08号』豊見城市教育委員会 2005年(PDF版
  • 豊見城市教育委員会文化課『豊見城市史だより第09号』豊見城市教育委員会 2006年(PDF版
  • 豊見城市教育委員会文化課『豊見城市史だより第10号』豊見城市教育委員会 2010年(PDF版
  • 豊見城市教育委員会文化課『豊見城市史だより第11号』豊見城市教育委員会 2012年(PDF版
  • 豊見城市教育委員会文化課『豊見城市史だより第12号』豊見城市教育委員会 2014年(PDF版
  • 豊見城市教育委員会文化課『豊見城市史だより第13号』豊見城市教育委員会 2018年(PDF版
  • 豊見城市教育委員会文化課『まだま第1号』豊見城市教育委員会 2007年(PDF版
  • 豊見城市教育委員会文化課『私たちもトミグスクンチュ Nosotros somos Tomigusukunchu』豊見城市教育委員会 2011年(PDF版
  • 豊見城市教育委員会文化課『私たちもトミグスクンチュ We are Tomigusukunchu』豊見城市教育委員会 2011年(PDF版

パンフレット類[25][編集]

  • 豊見城市教育委員会文化課『とみぐすく市の文化財巡り』豊見城市教育委員会 2012年(PDF版
  • 豊見城市教育委員会文化課『豊見城市の「戦跡」』豊見城市教育委員会 2012年(PDF版

ハンドブック・ブックレット[編集]

  • 豊見城市教育委員会文化課『語り継ぐ受け継ぐ豊見城の戦争記憶』映像資料ハンドブック  2019年(PDF版

DVD[編集]

  • 豊見城市教育委員会文化課『語り継ぐ受け継ぐ豊見城の戦争記憶』(公式サイト)(YouTube
    • 映文連アワード2019 「ソーシャル・コミュニケーション部門 部門優秀賞」 受賞[30]
    • 2019年第93回キネマ旬報ベスト・テン「文化映画ベスト・テン」ノミネート[31]

しまくとぅば関係[32][編集]

  • 豊見城市教育委員会文化課『豊見城市しまくとぅば読本 低学年用』豊見城市教育委員会 2015年(電子書籍版
  • 豊見城市教育委員会文化課『豊見城市しまくとぅば読本 高学年・一般用』豊見城市教育委員会 2015年(電子書籍版

一般書籍[編集]

  • 沖縄大百科事典刊行事務局『沖縄大百科事典』 沖縄タイムス社 1983年

外部リンク[編集]