彦根高等商業学校 – Wikipedia

彦根高等商業学校(ひこねこうとうしょうぎょうがっこう)は、1922年(大正11年)10月に設立された旧制専門学校。全国9番目の官立高等商業学校。通称は彦根高商

  • 全国9番目の官立高等商業学校として発足し、本科の他、別科・東亜科を設置した。彦根藩主であった井伊直弼の武家の教養と広く社会一般の利益を追求した近江商人の精神にあやかって、「士魂商才」を建学の精神として掲げた[1]
  • 第二次世界大戦中に彦根経済専門学校彦根経専)と改称され、同時に彦根工業専門学校彦根工専)に改組転換、戦後経専に再転換した。
  • 現在の滋賀大学経済学部の前身である。
  • 卒業生により同窓会「陵水会」が組織されている。
滋賀大学陵水会館(旧彦根高商同窓会館)。2008年12月撮影。
  • 1917年:滋賀県会で高商設立の請願を政府へ建議[2]
  • 1919年1月:犬上郡会議長・渡辺九一郎が県知事・森正隆を訪問、全国に高等学校を増設するとの文部大臣・中橋徳五郎の案をもとに滋賀県にも高商が配置されたことを知り、帰町後、犬上郡選出県会議員・安居喜造らと諮って、直ちに彦根町会議員・有力者の会合を開催。異論者出ず[2]
  • 1919年1月15日:のちに設置運動のため東上不在中に無理矢理に彦根町長に選挙され、在任中は彦根高商設置のために奔走、翌年に彦根高商新築の着工を見て辞任したことで、「高商町長」の愛称でよばれることになる県議・安居喜造が委員長に、有力者等約50名が委員に選出される。委員7名が、応援を求めて、犬上郡出身の在阪有力者、阿部房次郎、弘世助太郎、伊藤忠兵衛、野瀬七郎平、北川与平らを歴訪[2]
  • 1919年2月6日:安居委員長、渡辺県議、森知事らは東上、中橋文相を訪問陳情。県庁所在地は彦根ではないと、けんもほろろ。大津側も猛運動を展開[2]
  • 1919年2月9日:中橋文相から森知事を経て、高商は彦根に内定の通知[2]
  • 1922年10月:設立。本科設置(修業年限3年)。
  • 1923年4月:開校。第1回入学式。
  • 1923年9月:調査課設置。
  • 1925年:研究団体「商業及経済研究会」発足(現「経済学会」)。
    • 『商業及び研究会パンフレット』刊行、ついで『彦根高商論叢』と改題(現『彦根論叢』)。
  • 1925年:中国・朝鮮半島方面への修学旅行始まる(-1941年)。
  • 1926年:別科設置(修業年限1年)。
  • 1926年:調査課を廃し研究部設置(1930年11月:調査課に改編)。
    • 部課内に近江商人研究会(1928年)・移植民研究室(1930年)・海外事情研究会(1931年)・商工研究会(1932年)・繊維業研究室(1935年)・東亜研究室(1939年6月)を設置。
  • 1928年:「近江商人史料展覧会」開催。
  • 1935年:調査課に近江商人研究室設置。
    • 近江商人関係古文書・庶民史料が収集され戦後の附属史料館(1950年8月設置)へ継承。
  • 1939年4月:本科第2部として支那科設置。
    • 東亜に関する知識と東洋人の新しい発展方向に関する判断力を養うことを目的とした。
  • 1939年12月:東亜会館(研究所)完成。
    • 研究部を置き調査課以来の収集資料を所蔵。
    • 1949年9月には滋賀大学経済研究所と改称(現・経済経営研究所)。
  • 1941年4月:支那科を東亜科と改称(修業年限3年)。
  • 1944年4月:彦根経済専門学校と改称し、同時に工業専門学校に転換。
    • 機械科・化学科・建築科が設置。
  • 1946年4月:経専に再転換。
  • 1947年11月:彦根工専は滋賀県に移管。
  • 1949年5月:新制滋賀大学に包括され、滋賀大学彦根経済専門学校となる。この年の入学者は、滋賀大学経済学部の所属となる。
  • 1951年3月:旧制彦根経専廃止。

歴代校長[編集]

校地の変遷と継承[編集]

著名な出身者[編集]

創立に関わった人物[編集]

(出典[4]

関連書籍[編集]

  • 滋賀大学史編集委員会 『滋賀大学史』 滋賀大学創立40周年記念事業実行委員会、1989年

関連事項[編集]

他の高等商業学校については高等商業学校#主要な高等商業学校を参照。

外部リンク[編集]

座標:

北緯35度16分36.63秒 東経136度14分49.71秒 / 北緯35.2768417度 東経136.2471417度 / 35.2768417; 136.2471417