田中達也 (1982年生のサッカー選手) – Wikipedia
田中 達也(たなか たつや、1982年11月27日 – )は、山口県周南市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW。元日本代表。
浦和レッズ[編集]
山口県徳山市(現周南市)出身。周陽中学校卒業後、帝京高校サッカー部のセレクションに合格して上京する。1年時に全国高校選手権準優勝。2年時には全国高校選手権、全国高校総体で8強に進出した[1]。3年時の2000年にはFC東京の強化指定選手に登録され、浦和レッズからも入団オファーも受けた[2]。
2001年シーズンより浦和と契約を結ぶ。1年目から同ポジションに怪我人が出たこともあり[1]、同年4月29日の鹿島アントラーズ戦で初出場。5月12日の東京ヴェルディで初得点を挙げる[3]。ハンス・オフト就任2年目の2003年にはリーグ戦で11得点を挙げ、Jリーグカップでは優勝したチームの中心選手としてMVPとニューヒーロー賞を受賞した[4]。2002年にはアテネオリンピックを目指すU-21日本代表に選出され、トゥーロン国際大会、アジア大会(準優勝)に出場。オリンピック本大会ではグループリーグ全3試合に出場した[5]。2005年には日本代表に初選出されている[4]。
スピードのあるドリブルを武器に「ワンダーボーイ」と呼ばれ、浦和の象徴的選手となった田中であったが、2005年10月13日の柏レイソル戦で土屋征夫のタックルを受け、右足首脱臼骨折の重傷を負う[6][7]。翌年には復帰するが、天皇杯の連覇、Jリーグ、AFCチャンピオンズリーグ優勝など、上昇を続けるチームの中で、田中は度重なる負傷に悩まされるようになった[4]。代表では岡田武史監督の進退がかかったカタール戦(2008年)でのゴールなどの活躍はあったが、FIFAワールドカップやアジアカップなどのメジャートーナメントには出場できなかった[4]。腰や太ももなどの相次ぐ負傷により、クラブでも徐々に出場試合は減少していき、負傷離脱を繰り返す田中に批判的な声も上がった[8]。2012年、ミハイロ・ペトロヴィッチが監督に就任すると田中の出場機会は一層限られたものとなり、このシーズン限りで戦力外通告を受け、浦和を退団した[8]。
アルビレックス新潟[編集]
2013年、アルビレックス新潟へ移籍[9]。ハイプレスからのショートカウンターを志向する柳下正明監督の下で主力の座を掴み[10]、プロ入り最多となる33試合に出場。チームは後半戦最多勝ち点を奪う躍進を見せた[10]。同年の大分トリニータ戦では、相手GK清水圭介のパントキックが背中を直撃し、ボールがそのままゴールに入るという珍しいゴールを決めている[11]。
2019年には富澤清太郎の退団に伴い、新潟のフィールドプレーヤーの中で最年長となった[注釈 1]。シーズン終了後の11月26日に契約満了に伴い退団が発表された[12] が、2020年1月10日に新潟との再契約が発表された[13]。
2021年12月4日、クラブから2021年シーズン限りでの現役引退が発表された[14]。
引退後[編集]
2022年からアルビレックス新潟トップチームのアシスタントコーチに就任した[15][16]。
所属クラブ[編集]
個人成績[編集]
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | 浦和 | 31 | J1 | 19 | 3 | 4 | 0 | 0 | 0 | 23 | 3 |
2002 | 18 | 23 | 5 | 3 | 0 | 1 | 0 | 27 | 5 | ||
2003 | 11 | 26 | 11 | 10 | 4 | 1 | 0 | 37 | 15 | ||
2004 | 23 | 10 | 6 | 4 | 4 | 4 | 33 | 18 | |||
2005 | 25 | 8 | 8 | 3 | 0 | 0 | 33 | 11 | |||
2006 | 18 | 4 | 0 | 0 | 1 | 2 | 19 | 6 | |||
2007 | 18 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 19 | 9 | |||
2008 | 15 | 2 | 4 | 1 | 1 | 0 | 20 | 3 | |||
2009 | 15 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 16 | 0 | |||
2010 | 22 | 2 | 2 | 0 | 2 | 0 | 26 | 2 | |||
2011 | 22 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 23 | 2 | |||
2012 | 7 | 0 | 2 | 0 | 2 | 1 | 11 | 1 | |||
2013 | 新潟 | 9 | 33 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 35 | 2 | |
2014 | 24 | 2 | 4 | 1 | 2 | 2 | 30 | 5 | |||
2015 | 14 | 13 | 1 | 5 | 0 | 2 | 2 | 20 | 3 | ||
2016 | 20 | 3 | 3 | 0 | 3 | 0 | 26 | 3 | |||
2017 | 11 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 13 | 4 | |||
2018 | J2 | 31 | 2 | 6 | 2 | 0 | 0 | 37 | 4 | ||
2019 | 17 | 1 | – | 1 | 0 | 18 | 1 | ||||
2020 | 7 | 0 | – | – | 7 | 0 | |||||
2021 | 1 | 0 | – | 0 | 0 | 1 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 334 | 66 | 56 | 15 | 21 | 11 | 411 | 92 | |
日本 | J2 | 56 | 3 | 6 | 2 | 1 | 0 | 63 | 5 | ||
総通算 | 390 | 69 | 62 | 17 | 22 | 11 | 474 | 97 |
- 強化指定選手としての公式戦出場はなし
その他の公式戦
その他の国際公式戦
タイトル[編集]
クラブ[編集]
- 浦和レッズ
個人[編集]
- Jリーグ優秀選手賞:2回(2003年、2004年)
- Jリーグカップ 最優秀選手賞:1回(2003年)
- Jリーグカップ ニューヒーロー賞:1回(2003年)
出場大会[編集]
試合数[編集]
- 国際Aマッチ 16試合 3得点(2005年 – 2009年)
ゴール[編集]
関連項目[編集]
- 注釈
- 出典
- ^ a b “そして世界へ!アテネ五輪代表候補紹介 > 第1回 田中達也” (2003年). 2017年3月5日閲覧。
- ^ “【アルビレックス新潟 田中達也 連載コラム7】ReSTART”. FOOTBALL WEEKLY (2013年9月29日). 2017年3月5日閲覧。
- ^ “田中達也”. J. League Data Site. 2017年3月5日閲覧。
- ^ a b c d “田中達也の戦力外通告に思う”. J Sports (2012年11月26日). 2017年3月5日閲覧。
- ^ “Tatsuya Tanaka » Internationals » Olympic Games”. Worldfootball.net. 2017年3月5日閲覧。
- ^ “永遠のワンダーボーイ田中達也の軌跡「サッカーを諦める訳にはいかない」”. サッカーキング (2013年1月11日). 2017年3月5日閲覧。
- ^ “【アルビレックス新潟 田中達也 連載コラム3】ReSTART”. FOOTBALL WEEKLY (2013年5月15日). 2017年3月5日閲覧。
- ^ 田中達也 アルビレックス新潟に完全移籍
- ^ a b “ACLまで勝ち点5。アジアトップレベルを目指す新潟の本気度”. Sportiva (2014年2月18日). 2017年3月5日閲覧。
- ^ 田中達也が“珍ゴール”、川又も得点した新潟が大分に快勝
- ^ “契約満了選手のお知らせ” (プレスリリース), アルビレックス新潟, (2019年11月26日) 2019年11月26日閲覧。
- ^ “田中 達也 選手 再契約のお知らせ” (プレスリリース), アルビレックス新潟, (2020年1月10日) 2020年1月10日閲覧。
- ^ “田中 達也 選手 現役引退のお知らせ” (プレスリリース), アルビレックス新潟, (2021年12月4日) 2021年12月4日閲覧。
- ^ “トップチーム コーチに田中 達也氏 就任のお知らせ” (プレスリリース), アルビレックス新潟, (2022年1月3日) 2022年1月3日閲覧。
- ^ “2022アルビレックス新潟 選手・スタッフ 新体制について” (プレスリリース), アルビレックス新潟, (2022年1月13日) 2022年1月16日閲覧。
外部リンク[編集]
日本代表 – 出場大会 |
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