衣笠 (重巡洋艦) – Wikipedia

衣笠(きぬがさ/きぬかさ)は日本海軍の青葉型重巡洋艦2番艦。
1927年(昭和2年)9月に竣工した[3][4]。1942年(昭和17年)11月、第三次ソロモン海戦で空襲を受け沈没した。

艦名について[編集]

由来には諸説ある。竣工直前の1927年(昭和2年)8月1日、田村重彦艤装員長が軍務局に「艦名は横須賀の衣笠山で良いのか」と問い合わせ、軍務局が「御考察ノ通リ」と返答した記録が現存する[5]。一方、海軍士官の親睦・研究団体水交社(東京水交社)が1928年(昭和3年)に出版した『日本海軍艦船名考』には、すでに「徳島県(阿波国)の麻植郡・美馬郡にまたがる高越山(通称、阿波富士、衣笠山)に由来とする」との記載があり、海軍省の見解が統一されていたかは明確ではない。財団法人海軍有終会が1935年(昭和10年)に出版した『幕末以降帝国軍艦写真と史実』は神奈川県の衣笠山とする一方、徳島県の衣笠山も否定せずに付記している[6]。艦船研究家の福井静夫は高越山の由来と断定し「横須賀にも衣笠の地名があることの奇縁が考慮されたのかもしれない」と記述している[7]

また艦内神社には神奈川県横須賀市の走水神社と京都市の平野神社があり、平野神社の近くには衣笠山がある[8]。衣笠竣工後の1928年(昭和3年)1月12日、衣笠副長は平野神社、走水神社、衣笠神社(横須賀市)に奉納額用と絵葉書用の艦写真を送付しようとしている[9]

太平洋戦争開戦まで[編集]

1922年(大正11年)8月11日、新造の一等巡洋艦が1番艦衣笠、2番艦古鷹と命名された[10]。10月9日、軽巡として建造が中止になった加古が1番艦になり、衣笠の艦名は3番艦以降となった[11][12][13](詳細とその後の経緯は加古参照)。1923年(大正12年)9月18日、4隻目の一等巡洋艦に青葉の艦名が与えられ[14]、衣笠を川崎重工業神戸造船所で建造する事が決まった[15]。1924年(大正13年)1月23日に起工[1][16]。1926年(大正15年)10月24日、伏見宮博恭王臨席のもと進水し[17][18][1]、1927年(昭和2年)9月30日に竣工した[1][19]。起工は同型の青葉より早かったが、進水時に約1か月、竣工は10日遅れ、青葉型2番艦となった[20][21]

  • 衣笠の艦名は、ネームシップになる機会を2度逃したことになる。

1927年(昭和2年)10月30日、完成1か月後の衣笠と青葉は大演習観艦式(横浜沖)に参加した[22]。12月1日に第五戦隊に編入され[23]、古鷹型と青葉型の計4隻が同一戦隊に初めて揃った[24]。最新造の衣笠が戦隊旗艦となり、約2年間務めた[25][26]。その後、衣笠は太平洋戦争開戦まで第七、第六戦隊などに所属した。

1928年(昭和3年)に日本海軍の艦艇として初めて航空機用カタパルトを装備した[27]。12月4日、第五戦隊は御大礼特別観艦式に参加した[28]。1929年(昭和4年)5月28日、昭和天皇は関西方面への行幸のため横須賀で重巡那智に乗艦し、衣笠と加古が満艦飾で奉迎した[29]。7月11日、演習中の衣笠は浮上してきた潜水艦伊55と接触し[30]、艦首艦底附近を損傷した[31]

1936年(昭和11年)8月14日午前4時頃、訓練終了後の青葉と衣笠、古鷹が縦列で航行中、青葉が6ノットに減速する旨の信号を衣笠が見落とし、9ノットで直進した衣笠が青葉に追衝突した[32]。両艦に深刻な損傷はなかったが、衣笠は応急修理後も大きな艦首波を出すようになったという[33]。10月29日、神戸沖の観艦式に参加した[34]

1938年(昭和13年)10月から改修工事に入り、タービンを重油・石炭混焼から重油専焼缶に交換してバルジを増設するなど、大規模な改装を行った。1940年 (昭和15年)10月、工事が完了した。1941年(昭和16年)3月1日、衣笠は第一艦隊所属の第六戦隊に編入し、近代化改装を終えた古鷹型、青葉型の4隻が揃った[23]。9月15日、第六戦隊司令官に五藤存知少将が就任した[35]

太平洋戦争緒戦[編集]

1941年11月7日に第六戦隊(「青葉」、「加古」、「衣笠」、「古鷹」)は南洋部隊に編入され、グァム島攻略支援部隊としてグアム島攻略作戦に参加した[36]。第六戦隊は11月30日に柱島泊地を出港して12月2日に母島に到着[37]。12月4日の攻略部隊の母島出撃に続いて第六戦隊も出撃して敵水上部隊に備え、上陸成功後はトラックへ向かい12月12日に到着した[38]

グアム島攻略と同じ頃行なわれたウェーク島攻略作戦は失敗に終わっており、第二次攻略作戦には第六戦隊も投入されることとなった。第六戦隊はウェーク島攻略支援部隊となった[39]。第六戦隊は12月13日にトラックを出港して12月16日にルオットに到着[40]。12月21日に攻略部隊などが出撃し、第六戦隊もそれに続いて出撃した[41]。ウェーク島は12月23日に攻略された[42]。第六戦隊はウェーク島東方を行動し、攻略後は南下して攻略部隊の支援にあたり、12月25日にルオットに帰投[43]。1942年1月7日にルオットを出港し、1月10日にトラックに到着した[44]

1942年(昭和17年)1月以降はニューギニア方面に移動しラバウル攻略を支援、3月にはラエ・サラモア攻略やブーゲンビル島攻略作戦、4月にはアドミラルティ諸島攻略作戦を支援した。いずれの戦いでも衣笠や第六戦隊が本格的な水上戦闘をする機会はなかった[45]

第六戦隊はポートモレスビー攻略を企図するMO攻略部隊に加わり、4月30日にトラック泊地を出撃した。第六戦隊と駆逐艦漣が空母祥鳳を護衛したが、5月7日に米機動部隊艦載機の空襲で祥鳳が沈没した[46]。第六戦隊は乗員の救出を行ったが、再度の空襲を避けるため海域を離れた[47]。祥鳳を失ったため衣笠と古鷹がMO機動部隊の護衛に編入され[48]、青葉、加古と分かれた。5月8日朝、衣笠と古鷹は空母瑞鶴、空母翔鶴、重巡妙高、重巡羽黒、駆逐艦6隻(曙、潮、時雨、白露、有明、夕暮)と合流した[49]。同日、MO機動部隊攻撃隊は米空母レキシントンを撃沈しヨークタウンに損傷を与えたが翔鶴が大破したため、衣笠と古鷹、夕暮、潮が戦場を離脱する翔鶴を一時的に護衛した[50]。5月12日に青葉、加古と合流し、17日にトラック泊地に帰投した[23][45]。6月上旬、衣笠と古鷹は日本本土に戻った[23][51]。6月、ミッドウェー海戦に敗れた日本軍はソロモン諸島の防衛を強化するため、同戦域を担当する外南洋部隊の中核となる第八艦隊(司令官三川軍一中将)を編制した。外南洋部隊支援隊に編入された第六戦隊は、再び南方へ移動した[23][45]

ガダルカナル島の戦い[編集]

8月7日、アメリカ軍はガダルカナル島とツラギ島に上陸し、ガダルカナル島の戦いが始まった。ラバウルに向かっていた衣笠など第六戦隊は重巡鳥海、軽巡天龍、軽巡夕張、駆逐艦夕凪 と合流し、8月8~9日の夜間にガダルカナル島北方水域に突入した。この第一次ソロモン海戦で、衣笠を含む日本艦隊は米重巡アストリア、米重巡ヴィンセンス、米重巡クインシー 、 オーストラリア重巡キャンベラを共同で撃沈し、ほぼ完勝した。しかし第六戦隊の4隻でニューアイルランド島カビエンに帰投中の8月10日、加古が米潜水艦の雷撃で沈没した。加古の乗員は後に衣笠、古鷹、青葉に収容された後[52]、ラバウルへ向かった[53]

8月18日、ガダルカナル島に陸軍一木支隊が上陸し、兵員と物資の輸送作戦が本格化した。3隻となった第六戦隊は8月19日、サンタイサベル島レカタ湾に進出して臨時水上機基地を設置したが[23]、8月20日に米機動部隊が出現して撤収した[54]。同日、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場が稼働し、8月21日に一木支隊が壊滅して、同島の戦局は急速に悪化した。第六戦隊は輸送作戦を支援し、同日に鳥海、駆逐艦磯風と合流した[55]。8月23~24日の第二次ソロモン海戦には参加せず、衣笠、鳥海、青葉、古鷹は8月25日未明、搭載する水上偵察機計6機でヘンダーソン飛行場を攻撃した[56]。飛行場は健在で同日中に輸送船団と護衛する第二水雷戦隊が空襲を受け、揚陸も失敗した。衣笠と鳥海は8月26日にラバウルに帰投した[57]

8月25日の空襲で増援部隊の第二水雷戦隊旗艦神通が損傷したため、三川中将は8月27日附で衣笠を増援部隊に編入した。輸送船団が退避したショートランド泊地に移動し[58]、8月28日から第二水雷戦隊旗艦となった[59][60]。しかし田中頼三第二水雷戦隊司令官が海軍艦艇による輸送作戦の中止と、増援部隊輸送基地のラバウルへの後退を主張したため、8月31日、増援部隊はショートランドに到着した第三水雷戦隊に変更された[61]。衣笠は4日で旗艦を外れ、支援隊に復帰した[61]

9月12日朝、ヘンダーソン飛行場への日本陸軍の攻撃を支援するため、主隊(鳥海、青葉、衣笠、古鷹、駆逐艦天霧)、奇襲隊(軽巡川内、駆逐艦敷波・吹雪・涼風)、駆逐艦部隊(漣、潮、陽炎、白雪、浦波、夕立、叢雲)がショートランド泊地を出撃し、ガ島ルンガ泊地へ向かった。しかし陸軍が飛行場の占領に失敗したため後退し[62]、各隊は9月15日-16日にかけてショートランドやラバウルへ戻った[63]

サボ島沖海戦[編集]

10月11日、ヘンダーソン基地艦砲射撃を実行するため、第六戦隊と吹雪、駆逐艦初雪がガダルカナル島に向かった[64]。米軍は重巡洋艦2隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦5隻でサボ島沖で迎撃した[65]。日本側は敵艦隊が不在と信じていたため、夜間に近づいた米艦隊を自軍の輸送艦隊と誤認し、先制攻撃を受けた[66]。吹雪が沈没、旗艦の青葉が大破して五藤少将が戦死し、青葉は海域を離脱した。さらに後続の古鷹が集中砲火を浴びて航行不能(12日未明沈没)に陥ったが、衣笠と初雪は果敢に応戦した。この戦闘で米駆逐艦ダンカンが沈没、米軽巡ボイシと米駆逐艦ファーレンホルトが大破、米重巡ソルトレイクシティが小破し、衣笠は軽い損傷で切り抜けた[67]。その後、米軍機5機の空襲を受けたが被害はなく、12日午前9時頃ショートランド泊地に戻った[68]

  • サボ島沖海戦について連合艦隊参謀長宇垣纏少将は陣中日誌戦藻録に『当時の戦況を仄聞するに無用心の限り、人を見たら泥棒と思へと同じく、夜間に於て物を見たら敵と思へと考へなく、一、二番艦集中攻撃を蒙るに至れるもの、殆ど衣笠一艦の戦闘と云ふべし。』と記述し、戦隊指導部の油断を断罪する一方で、衣笠の勇戦を評価している[69]

10月13日、第三戦隊の戦艦金剛、戦艦榛名などが飛行場を艦砲射撃し、衣笠は水偵で照明弾を投下する任務を受けた[70]。同日夜、三川中将はガ島揚陸作戦を支援するため、鳥海、衣笠、駆逐艦望月、天霧を率いてショートランド泊地を出撃した[71][72]。10月14日-15日にかけて鳥海と衣笠は艦砲射撃(20cm砲弾752発)を実施した[73]が、飛行場の運用に支障はなく、日中の空襲で輸送船3隻を喪失、揚陸した物資もほとんど焼失した[74][75]

10月17日朝、鳥海、衣笠、天霧、望月はショートランド泊地を出撃し、ガ島輸送作戦を行う軽巡3隻(川内、由良、龍田)と秋月など駆逐艦12隻を支援した[76]。10月24-25日に日本陸軍によるガ島飛行場総攻撃が行われ、両艦隊が支援したが[77]総攻撃は失敗し、空襲で由良が沈没、秋月が中破した(南太平洋海戦)[78]。各隊は26日から28日までにショートランド泊地に帰投した[77]

11月1日、衣笠は第三水雷戦隊旗艦となり、川内、天霧、初雪と共に第一攻撃隊を編成した[79]。第一攻撃隊と第四水雷戦隊、第19駆逐隊の増援隊は同日深夜にショートランド泊地を出撃、11月2日深夜にガ島揚陸を実施するが、悪天候で一部の物資を揚陸できなかった[79]。衣笠の水偵は11月2日夜のガ島偵察で米軍艦爆3機と交戦、行方不明になった[79]。11月4日、次の輸送作戦に備えて旗艦が衣笠から浦波に変更された[80]。輸送作戦は成功し、各隊は11月6日朝にショートランド泊地へ帰投した[80]

沈没[編集]

11月10日、第六戦隊が解隊され[81][82]、衣笠は第八艦隊直属となった[83]。外南洋部隊は新たに配属された第七戦隊の重巡鈴谷、重巡摩耶に、ヘンダーソン飛行場の砲撃任務を与えた[84]

11月12日夜、飛行場砲撃に向かった日本艦隊(挺身攻撃隊)と迎撃した米艦隊との間で第三次ソロモン海戦(第一夜戦)が勃発し、戦艦比叡、駆逐艦暁、夕立が沈没して、砲撃は中止となった[85]。11月13日午前3時-4時30分、外南洋部隊主隊(鳥海、衣笠、軽巡五十鈴)は、飛行場砲撃を行う外南洋部隊支援隊(鈴谷、摩耶、天龍、駆逐艦夕雲・巻雲・風雲・朝潮)と共にショートランド泊地を出撃した[84][86]。前夜の海戦で米艦隊はいったん撤収したため水上戦闘はなく、同日23時30分から鈴谷と摩耶が20cm砲弾合計989発を打ち込んだ。攻撃は成功し、地上の十数機を破壊したが、飛行場の作戦能力に大きな影響はなかった[87]

11月14日午前5時50分、支援隊は主隊と合流し、駆逐艦4隻が横一列で艦隊前方、左に主隊の鳥海―衣笠―五十鈴、右に支援隊の鈴谷―摩耶―天龍が並列してショートランド泊地に向かった[87][88][89]。しかし艦隊は米軍機に発見され、直後にニュージョージア諸島南方で空襲を受けた[87]。最初にヘンダーソン基地のF4Fワイルドキャット戦闘機7機、 SBDドーントレス急降下爆撃機7機、TBFアベンジャー雷撃機6機が襲来した。米軍の記録によると衣笠の右舷に魚雷3本、左舷に魚雷1本が命中した[90]。午前6時38分、右舷に傾斜し重油を流出させた衣笠にSBD2機が急降下爆撃を行い、艦橋前部の右舷一番高角砲附近に500ポンド爆弾1発が直撃、1発が至近弾となって前部揮発油庫が炎上、発電機室が浸水した[88][91][87][92]。この爆撃で沢正雄艦長ら艦橋の指揮系統が壊滅した[93]。水雷長・田中弘国大尉が指揮権を継ぎ、注水による傾斜回復と消火活動を行って鎮火させた[94]。しかし空母エンタープライズのSBD16機が続いて襲来し、速度が落ちて艦隊から落伍した衣笠を攻撃した。夕雲と巻雲が随伴・護衛したが、衣笠は至近弾などで浸水が進んで機関と舵が故障し、航行不能になった[87][95]。9時22分、衣笠は転覆した後、沈没した(海域は南緯09度15分 東経157度45分 / 南緯9.250度 東経157.750度 / -9.250; 157.750[87]南緯09度06分 東経157度14分 / 南緯9.100度 東経157.233度 / -9.100; 157.233[23]南緯08度45分 東経157度00分 / 南緯8.750度 東経157.000度 / -8.750; 157.000《米軍記録》など記録に若干の違いがある)。511名が戦死したとされ[96]、生存者は夕雲と巻雲に救助された[97][98]。11月15日、飛行場砲撃に向かった戦艦霧島と駆逐艦綾波が夜戦で沈没し、揚陸した輸送船と物資も破壊されて、ヘンダーソン飛行場の制圧にも失敗した。多大な犠牲を払った第三次ソロモン海戦は、日本海軍の完敗で終わった[99]

12月15日、衣笠は軍艦籍から除籍された[100]

歴代艦長[編集]

※『艦長たちの軍艦史』93-95頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。

艤装員長[編集]

  1. 田村重彦 大佐:1927年2月1日[101] – 1927年9月30日[102]

艦長[編集]

  1. 田村重彦 大佐:1927年9月30日[102] – 1928年3月10日[103]
  2. 岩村兼言 大佐:1928年3月10日[103] – 1928年12月10日[104]
  3. 北川清 大佐:1928年12月10日[104] – 1929年11月1日[105]
  4. 大田垣富三郎 大佐:1929年11月1日[105] – 1930年12月1日[106]
  5. 染河啓三 大佐:1930年12月1日[106] – 1931年3月1日[107]
  6. 渋谷荘司 大佐:1931年3月1日[107] – 1931年11月14日[108]
  7. 大崎義雄 大佐:1931年11月14日[108] – 1932年12月1日[109]
  8. 丹下薫二 大佐:1932年12月1日[109] – 1933年11月15日[110]
  9. 坂本伊久太 大佐:1933年11月15日[110] – 1934年11月15日[111]
  10. 武田盛治 大佐:1934年11月15日[111] – 1935年11月15日[112]
  11. 畠山耕一郎 大佐:1935年11月15日[112] – 1937年4月1日[113]
  12. 松永次郎 大佐:1937年4月1日[113] – 1937年12月1日[114]
  13. 松山光治 大佐:1937年12月1日[115] – 1938年6月3日[116]
  14. (兼)広瀬末人 大佐:1938年6月3日[116] – 1938年6月15日[117]
  15. 佐藤勉 大佐:1938年6月15日[117] – 1939年11月15日[118]
  16. 難波祐之 大佐:1939年11月15日[119] – 1940年9月25日[120]
  17. 清田孝彦 大佐:1940年9月25日[120] – 1941年8月20日[121]
  18. 沢正雄 大佐:1941年8月20日[121] – 1942年11月13日戦死(少将に昇進)[122]

参考文献[編集]

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  • 宇垣纏著、成瀬恭発行人『戦藻録 明治百年史叢書』原書房、1968年1月。
  • 奥宮正武『ラバウル海軍航空隊』学習研究社、2001年3月(原著1992年)。ISBN 4-05-901045-6。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 古村啓蔵ほか『重巡十八隻 軍縮条約が生んだ最先端テクノロジーの結晶』潮書房光人社、2015年4月。ISBN 978-4-7698-1590-7。
    • 戦史研究家伊達久『重巡戦隊の編成変遷とその航跡の全貌』
    • 当時「青葉」主砲発令所伝令・海軍二等水兵小川泰介『旗艦「青葉」に水兵魂つきることなし 米軍ガ島反攻、六戦隊旗艦の緊張の二日間。主砲発令所伝令の証言
    • 元「青葉」高射機銃首席分隊士・海軍大尉竹村悟『ソロモンの狼と称された重巡「青葉」の生涯 五年にわたり生死を共にした叩き上げ特務士官が語る乗艦の真価
    • 当時「古鷹」側的分隊士・元海軍大尉高井太郎『古鷹側的分隊士が見た真夜中の完全試合 兵学校出たての少尉候補生が体験した第八艦隊ソロモンの大戦果
    • 戦史研究家塚田享『六戦隊「加古」「古鷹」「衣笠」ソロモンに潰ゆ 加古は米潜に、古鷹はレーダー射撃に、衣笠はグラマンに敗れた
    • 戦史研究家落合康夫『日本海軍重巡洋艦十八隻戦歴一覧』
  • エドワード・P・スタッフォード 著、井原裕司 訳『空母エンタープライズ THE BIG E 上巻』元就出版社、2007年。ISBN 978-4-86106-157-8。
  • 諏訪繁治、高橋直一『重巡鳥海奮戦記 武運長久艦の生涯』光人社NF文庫、2010年5月。ISBN 978-4-7698-2643-9。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
  • 高橋雄次『鉄底海峡 重巡「加古」艦長回想記』光人社NF文庫、1994年10月(原著1967年)。ISBN 4-7698-2062-3。
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行人『高松宮日記 第一巻 大正十年一月一日~昭和七年十二月三十一日』中央公論社、1996年3月。ISBN 4-12-403391-5。
  • 高松宮宣仁親王著、嶋中鵬二発行人『高松宮日記 第五巻 昭和十七年十月一日~昭和十八年二月十一日』中央公論社、1996年11月。ISBN 4-12-403395-8。
  • 竹村悟『太平洋戦記ノンフィクション 軍艦青葉は沈まず 完勝!第一次ソロモン海戦』今日の話題社、1986年4月。ISBN 4-87565-117-1。
  • チェスター・ニミッツ/E・B・ポッター、実松譲・富永謙吾訳『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社、1962年12月。
  • 福井静夫『日本巡洋艦物語 福井静夫著作集/第四巻-軍艦七十五年回想記』光人社、1992年10月。ISBN 4-7698-0610-8。
  • 防衛庁防衛研修所 戦史室『戦史叢書第38巻 中部太平洋方面海軍作戦<1>昭和十七年五月まで』朝雲新聞社
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南東方面海軍作戦(1) ガ島奪還作戦開始まで』朝雲新聞社、1971年9月。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書83 南東方面海軍作戦(2) ガ島撤収まで』朝雲新聞社、1975年8月。
  • 堀之内芳郎、野崎慶三発行人「第四章、任海軍少尉 -重巡「古鷹」航海士時代-」『海軍三等士官・裏街道』震洋通信、1982年6月。
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第6巻 重巡II』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0456-3
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    • 元第八艦隊司令長官・海軍中将三川軍一『第一次ソロモン海戦の思い出』
    • 当時「鳥海」砲術長・元海軍中佐仲繁雄『第八艦隊殴り込み鳥海砲術長の手記 第一次ソロモン海戦
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    • Ref.C04015582400『軍艦衣笠用復水器管板製造の件』。
    • Ref.C04015074200『公文備考儀制6止巻19/皇族御差遣の件』。
    • Ref.C04015584600『1等巡洋艦衣笠命名式々場設備の件』。
    • Ref.C04015074400『衣笠進水式に外国人招待の件』。
    • Ref.C13071974300『昭和12年12月1日現在10版内令提要追録第3号原稿/ 巻1追録/第6類機密保護』。
    • Ref.C13072003500『昭和16年12月31日現在10版内令提要追録第10号原稿2.3』。
    • Ref.C08051772000『昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。
    • Ref.C04016103200『第2艦隊地方饗宴状況』。
    • Ref.C04016970200『軍艦衣笠損傷程度及復旧工事要領図並写真提出』。
    • Ref.C04016973000『伊号第55潜水艦觸衝事件報告』。
    • Ref.C04016973100『軍艦衣笠、イ号55潜水艦觸衝報告』。
    • Ref.C05035389600『公文備考 昭和11年T事件巻5』。
    • Ref.C05035389100『衣笠機密第62号 11.8.14軍艦衣笠、青葉追衝報告』。
    • Ref.C08030018200『昭和16年12月1日~昭和19年8月31日 第4艦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030018300『昭和16年12月1日~昭和19年8月31日 第4艦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030045300『昭和16年12月1日~昭和17年10月12日 第6戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。
    • Ref.C08030045400『昭和16年12月1日~昭和17年10月12日 第6戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。
    • Ref.C08030045500『昭和16年12月1日~昭和17年10月12日 第6戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030045600『昭和16年12月1日~昭和17年10月12日 第6戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030045700『昭和16年12月1日~昭和17年10月12日 第6戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030045800『昭和16年12月1日~昭和17年10月12日 第6戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。
    • Ref.C08030571200『昭和17年6月1日~昭和17年6月30日 軍艦加古戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030571300『昭和17年6月1日~昭和17年6月30日 軍艦加古戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030060600『昭和17年5月1日~昭和17年7月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。
    • Ref.C08030060700『昭和17年5月1日~昭和17年7月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。
    • Ref.C08030060800『昭和17年5月1日~昭和17年7月31日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030571400『昭和17年7月1日~昭和17年7月31日 軍艦加古戦時日誌』。
    • Ref.C08030571500『昭和17年8月7日~昭和17年8月10日 軍艦加古戦闘詳報』。
    • Ref.C08030748100『昭和17年8月8日 軍艦加古戦闘概報(ソロモン海域6S戦闘経過図)』。
    • Ref.C08030022500『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030022600『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(2)』。
    • Ref.C08030022700『昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(3)』。
    • Ref.C08030747300『昭和17年8月8日~昭和17年8月9日 軍艦鳥海第1次ソロモン海戦戦闘詳報(ツラギ海峡夜戦)(1)』。
    • Ref.C08030747400『昭和17年8月8日~昭和17年8月9日 軍艦鳥海第1次ソロモン海戦戦闘詳報(ツラギ海峡夜戦)(2)』。
    • Ref.C08030746900『昭和16年12月4日~昭和17年11月5日 鳥海戦闘詳報(馬来沖海戦.ソロモン海戦等)(1)』。
    • Ref.C08030747000『昭和16年12月4日~昭和17年11月5日 鳥海戦闘詳報(馬来沖海戦.ソロモン海戦等)(2)』。
    • Ref.C08030095600『昭和17年8月1日~昭和17年8月31日 第2水雷戦隊戦時日誌(1)』。
    • Ref.C08030047600『昭和17年4月1日~昭和18年8月31日 第7戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。
    • Ref.C08030325900『昭和17年9月1日~昭和17年12月31日 呉鎮守府戦時日誌(5)』。
    • Ref.C12070064400『大正1年達完/達大正1年8月』。
    • Ref.C12070080800『大正11年 達完/達大正11年8月』。
    • Ref.C12070081000『大正11年 達完/達大正11年10月』。
    • Ref.C12070082500『大正12年 達完/達大正12年9月』。
    • Ref.C12070166900『昭和17年10月~12月内令4巻止/昭和17年12月(3)』。
    • Ref.C12070167000『昭和17年10月~12月内令4巻止/昭和17年12月(4)』。

外部リンク[編集]

関連項目[編集]