松平定知 – Wikipedia

松平 定知(まつだいら さだとも, 1944年11月7日 – )は、日本のフリーアナウンサー。元NHKエグゼクティブアナウンサー、京都造形芸術大学芸術学部通信教育部教授、早稲田大学専門職大学院公共経営研究科客員教授、國學院大學文学部客員教授、立教大学21世紀社会デザイン研究科客員教授[3]

生い立ち、教育[編集]

旧日本陸軍大佐で満州国の駐チタ総領事をしていた経験を持つ松平定堯を父に、満州国新京で誕生。徳川家康の異父弟・松平定勝を祖とする[2]伊予松山藩久松松平家の分家旗本の子孫にあたる。

外交評論家で元NHK記者の磯村尚徳は従兄にあたる。東京都文京区で育つ。

東京教育大学附属駒場中学校・高等学校(現・筑波大学附属駒場中学校・高等学校)を経て[2]早稲田大学商学部に入学。大学では成績優秀で、学費免除の特待生だったこともある[4]。1969年3月卒業。

職務経歴[編集]

1969年4月、NHK入局。NHKの採用試験時に、アナウンサー・記者・放送・経営管理の4項目について志望順位を書くよう求められたが、放送は仕事内容のイメージが湧かず、経営管理は自分に向いていないと考えたため、アナウンサー、記者の順に志望を出した。結果的にそれが通った事がアナウンサーとしてのキャリアの端緒であった[4]。同期に佐々木敦など。2ヶ月間の研修を経て、6月にNHK高知放送局へ赴任し、新人アナウンサーとして勤務し[5]、災害時には現場中継などもおこなった[5]

1974年、東京アナウンス室へ異動[5]

NHKで脚光を浴びるきっかけとなったものが、若手の頃のラジオ第1でのインタビューだった。この若手時代に倒置法を用いた独特の話法を編み出す[注 3]。これを皮切りに総合テレビ『ひるのプレゼント』を担当して人気を集め、ニュースキャスターを担当するようになり、1985年から1988年には7時のNHKニュースのキャスターもつとめた。1989年、1990年には『NHK紅白歌合戦』の総合司会に抜擢された。他にも『連想ゲーム』「NHKスペシャル」などにも多数出演するなどして(→#東京異動後 参照)、NHKアナウンサーのなかの中核的な存在となっていった[5][注 4]

1990年、主幹から局次長級エグゼクティブアナウンサーに特進[6]

1991年、『NHKモーニングワイド』のキャスターを務めていた時に、泥酔してタクシーの運転手に対し車載電話で殴って足蹴りする暴行を働き、その責任を取って『NHKモーニングワイド』を年度途中で降板することになった。その後は『NHKスペシャル』に不定期出演する程度であったが、1995年に『NHKニュース11』で本格的に復帰した。しかし、NHKニュース11での復帰後でもスタッフにペンを投げつけるシーンが放送されたことがあり後日番組で謝罪した[7]

NHK退職後は後輩の宮本隆治をはじめとするNHK退職アナウンサー設立による有限責任事業組合ことばの杜において、青少年・児童向けの朗読など社会貢献活動にも携わる。衛星放送や愛媛県のローカル番組では民放出演があったが、原則としてフリーランスになってからもNHKの準専属的に出演してきた。2008年5月、放送人の会放送人グランプリ特別賞受賞、2010年7月、財団法人放送文化基金放送文化金賞受賞[8]。2015年10月から放送されたTBSテレビ「日曜劇場・下町ロケット」で、ナレーターながらも在京キー局民放で初レギュラーを果たした[9]

エピソード[編集]

「“視聴者に伝わるように伝えるためにはどうすればよいか”、ただそのことだけを一心に考え続けたNHKアナウンサー人生でした。」と松平自身は語った[5]。この事はかつて大阪芸術大学で同校の学生に向けてゲストとして講演した時にも話した。(アナウンサーが「伝える」と言っても、実は「伝わらないという結果を生んでしまうような(ダメな)伝えかた」と、「伝わるように伝える」方法があり、松平定知は後者の「伝わるように伝える」方法を大切にし、それを考え続けた、ということ。)

2001年頃に大阪芸術大学で同校の学生に向けて講演した時、1995年の阪神淡路大震災の直後に現地に入って取材した時の事を話した。その中で松平は、「中継でリポートをしていた時、母親らしき名前を呼びながら歩く小さな男の子が自分の目の前を通り、それを見た時、涙が溢れてきて話せなくなった。」と話した。

先述の大阪芸術大学での講演の最後の質問コーナーで2人の学生から質問を受け、その時、ある学生からの「事件の被害者などに対してメディアが無理矢理質問したりする事についてどう思うか?。」という質問に対し、松平は「それは良くないと思うし実際にメディアには偉そうにしている者も多い。ただそれを法律で禁止したりしてしまうのは良くない。だからそれもメディアのモラルに任せるしかない。」と答えた。

伊予松山藩主の久松松平氏は明治維新を機に名字を松平から久松に戻しているが、その傍流にあたる定知の家系は松平姓を保った。その松平は「つだいら」と語頭にアクセントを置くことが正しい発音だとされる。松平本人もそのことに強いこだわりを持っており、NHK時代には部下が「まついら」などと異なる発音をしようものなら、その場で「『ま』にアクセントを置くように」と訂正することで有名だった、という話がまことしやかに広がっているが、松平本人は、「『ま』にアクセントを付けて、高く強く発音して呼ばないと、返事してくれないんですって?」と言われて吃驚し、「私は一回もそんなことを言ったこともないし、したことも、ありません」と書いている[10]

NHK在籍時の局内でのニックネームは「殿」。

身長165cmであるが、ニュース番組で共演していた同僚の杉浦圭子は170cmと松平よりも長身であったが、座高が高かったためか、「松平の方が長身に見えた」という意見もあった。

主な出演[編集]

現在の出演番組[編集]

過去の出演番組[編集]

高知局時代[編集]

東京異動後[編集]

NHK退職後[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

単著[編集]

  • 『負けずにキザですが』[12] (1985年:講談社)
  • 『歴史を「本当に」動かした戦国武将』(小学館101新書:2009年)ISBN 978-4098250387
  • 『幕末維新を「本当に」動かした10人』(小学館101新書:2010年)ISBN 978-4098250707
  • 『心を豊かにする言葉術』(小学館101新書:2011年)ISBN 978-4098251148
  • 『松平定知の戦国武将に学ぶ「生き抜く力」DVD BOOK BeeTV』宝島社 別冊宝島 2011年
  • 『アナウンサーの日本語論』毎日新聞社 2013年
  • 『謀る力』小学館新書 2014年

監修[編集]

  • 『松平定知さんと歩く全国名城・古戦場めぐり』成美堂出版 2013年
  • 『松平定知の江戸・東京老舗グルメ探訪 “食の歴史”をひも解く名店の味めぐり』「江戸楽」編集部編 メイツ出版 2015年

注釈[編集]

  1. ^ 2004年に役職定年を迎えた後、嘱託契約社員として在籍。
  2. ^ フリーランスとなってからもNHKの多くの番組に出演。これまでスカパー!向けの出演こそあったものの民放(地上波・BS双方)への出演はあまりない。
  3. ^ 通常なら「皆さん今晩は」と言うところを「今晩は皆さん」と言う。
  4. ^ オープニングやエンディングの際の独特なお辞儀の仕方が視聴者やマスメディアから大変好評であった。[要出典]

出典[編集]

外部リンク[編集]