ヨハン・ゲオルク (ブランデンブルク選帝侯) – Wikipedia

ヨハン・ゲオルク
Johann Georg
ブランデンブルク選帝侯
JohannGeorg1564.JPG

在位 1571年 – 1598年

出生 (1525-09-11) 1525年9月11日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
Flag of Brandenburg (1340-1657).svg ブランデンブルク選帝侯領、ベルリン
死去 (1598-01-18) 1598年1月18日(72歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
Flag of Brandenburg (1340-1657).svg ブランデンブルク選帝侯領、ベルリン
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
Flag of Brandenburg (1340-1657).svg ブランデンブルク選帝侯領、ベルリン大聖堂
配偶者 ゾフィア・レグニツカ
  ザビーナ・フォン・ブランデンブルク=アンスバッハ
  エリーザベト・フォン・アンハルト
子女 一覧参照
家名 ホーエンツォレルン家
父親 ヨアヒム2世
母親 マグダレーネ・フォン・ザクセン
テンプレートを表示

ヨハン・ゲオルクと妃ザビーナ

ヨハン・ゲオルク(Johann Georg, 1525年9月11日 – 1598年1月18日)は、ブランデンブルク選帝侯(在位:1571年 – 1598年)。ヨアヒム2世とその最初の妻マグダレーネ・フォン・ザクセンの間の長男。

1570年、長男のヨアヒム・フリードリヒと叔父のブランデンブルク=キュストリン辺境伯ヨハンの娘カタリーナを結婚させた。翌1571年にヨハンが息子の無いまま亡くなったため、ブランデンブルク=キュストリン辺境伯領をブランデンブルク選帝侯領に編入した。

1545年にレグニツァ公フリデリク2世の娘ゾフィアと結婚。

  • ヨアヒム・フリードリヒ(1546年 – 1608年) – ブランデンブルク選帝侯

1548年にブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯ゲオルク(アルブレヒト・アヒレスの曾孫)の娘ザビーナと再婚し、3男8女をもうける。

  • ゲオルク・アルブレヒト(1555年 – 1557年)
  • エルトムーテ(1561年 – 1623年) – 1577年にポンメルン=シュチェチン公ヤン・フレデリクに嫁ぐ
  • アンナ・マリア(1567年 – 1618年) – 1581年にポンメルン=シュチェチン公バルニム10世に嫁ぐ
  • ゾフィー(1568年 – 1622年) – ザクセン選帝侯クリスティアン1世に嫁ぐ

1577年にアンハルト侯ヨアヒム・エルンストの娘エリーザベトと再婚し、7男4女をもうける。

  • クリスティアン(1581年 – 1655年) – ブランデンブルク=バイロイト辺境伯
  • マグダレーナ(1582年 – 1616年) – ヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィヒ5世に嫁ぐ
  • ヨアヒム・エルンスト(1583年 – 1625年) – ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯
  • アグネス(1584年 – 1629年) – 1604年にポンメルン=ヴォルガスト公フィリップ・ユリウス、ザクセン=ラウエンブルク公フランツ2世の息子フランツ・カールに嫁ぐ
  • フリードリヒ(1588年 – 1611年)
  • エリーザベト・ゾフィー(1589年 – 1629年) – ヤヌシュ・ラジヴィウ侯、ザクセン=ラウエンブルク公ユリウス・ハインリヒに嫁ぐ
  • ドロテア・ジビッラ(1590年 – 1625年) – ブジェク公ヤン・クリスティアンに嫁ぐ
  • ゲオルク・アルブレヒト(1591年 – 1615年)
  • ジギスムント(1592年 – 1640年)
  • ヨハン(1597年 – 1627年)
  • ヨハン・ゲオルク(1598年 – 1637年)
先代:
ヨアヒム2世
ブランデンブルク選帝侯
1571年 – 1598年
次代:
ヨアヒム・フリードリヒ