ヨアヒム・フリードリヒ (ブランデンブルク選帝侯) – Wikipedia

ヨアヒム・フリードリヒ
Joachim Friedrich
ブランデンブルク選帝侯
在位 1598年 – 1608年

出生 (1546-01-27) 1546年1月27日
神聖ローマ帝国
ブランデンブルク選帝侯領、ベルリン
死去 (1608-07-18) 1608年7月18日(62歳没)
神聖ローマ帝国
ブランデンブルク選帝侯領、ベルリン
埋葬 神聖ローマ帝国
ブランデンブルク選帝侯領、ベルリン大聖堂
配偶者 カタリーナ・フォン・ブランデンブルク=キュストリン
  エレオノーレ・フォン・プロイセン
子女 一覧参照
家名 ホーエンツォレルン家
父親 ヨハン・ゲオルク
母親 ゾフィア・レグニツカ
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ヨアヒム・フリードリヒ(Joachim Friedrich, 1546年1月27日 – 1608年7月18日[1])は、ブランデンブルク選帝侯(在位:1598年 – 1608年)。ヨハン・ゲオルクの長男、母はレグニツァ公フリデリク2世の娘ゾフィア。バイロイト辺境伯クリスティアン、アンスバッハ辺境伯ヨアヒム・エルンストの兄。

1598年に父の後を継いで選帝侯となり、1605年からは精神を病んでいたプロイセン公アルブレヒト・フリードリヒの摂政を務めた。ヨアヒム・フリードリヒは1608年に死去するが、1618年にアルブレヒト・フリードリヒが死去した後は息子ヨハン・ジギスムントがプロイセン公国も相続することになる。

1570年にブランデンブルク=キュストリン辺境伯ヨハンの娘で父の従妹にあたるカタリーナと結婚し、11人の子をもうけた。

  • ヨハン・ジギスムント(1572年 – 1620年) – ブランデンブルク選帝侯
  • アンナ・カタリーナ(1575年 – 1612年) – デンマーク王クリスチャン4世に嫁ぐ
  • 女(1576年)
  • ヨハン・ゲオルク(de, 1577年 – 1624年) – イェーゲルンドルフ(クルノフ)公
  • アウグスト(de, 1580年 – 1601年)
  • アルベルト・フリードリヒ(de, 1582年 – 1600年)
  • ヨアヒム(de, 1583年 – 1600年)
  • エルンスト(1583年 – 1613年)
  • バルバラ・ゾフィア(de, 1584年 – 1636年) – ヴュルテンベルク公ヨハン・フリードリヒに嫁ぐ
  • 女(1585年 – 1586年)
  • クリスティアン・ヴィルヘルム(de, 1587年 – 1665年) – マクデブルク大司教

1603年にプロイセン公アルブレヒト・フリードリヒの娘で、息子ヨハン・ジギスムントの妻アンナと弟クリスティアンの妻マリーの妹であるエレオノーレと結婚し、1女をもうけた。

  • マリー・エレオノーレ(1607年 – 1675年) – プファルツ=ジンメルン公ルートヴィヒ・フィリップに嫁ぐ
  1. ^ ヨアヒム・フリードリヒ – Find a Grave(英語)
先代:
ヨハン・ゲオルク
ブランデンブルク選帝侯
1598年 – 1608年
次代:
ヨハン・ジギスムント
先代:
ゲオルク・フリードリヒ
クルノフ(イェーゲルンドルフ)公
1603年 – 1606年
次代:
ヨハン・ゲオルク