ナダレ定石 – Wikipedia

ナダレ定石(なだれじょうせき)は囲碁の定石に付けられた俗称の一つで、小目への一間高ガカリに下ツケする形から発生する定石を指す。最初から接触戦となり、また変化型が多い難解定石の代表の一つ。石が接触しながら戦いになっていく様を「ナダレ」と形容された。命名者は三堀将[1]

定石として研究されたのは昭和になってからと新しく、現代でも多くの変化が生まれ続けている。また大型定石となる形も多く、周囲に石がある場合にはツブレ(勝負が終わりになるほどの酷い結果)となる可能性もあるため、周辺の配石に注意して着手を選ぶ必要がある点でも難しい手法と言える。

基本型と歴史[編集]

基本形は、小目に対する一間高ガカリに黒1と下ツケした場合に、白2 – 白4とする形。プロ棋士はかつてはこの形を白の悪形と考えて打たなかったが、アマチュアの間ではかなり打たれていたと思われる。

昭和になって、雑誌『棋道』の投稿欄でアマチュアからこの形について質問を受けた長谷川章名誉八段が、調べてみると意外に難しいことに気付き、研究して、対木谷実戦で実戦で用いて定石化された[2]。なお、長谷川以前に、方円社の巌崎健造が実戦では用いなかったが、研究していたともいわれる[3]

黒からは簡明に分かれる形も選択できるが、戦いになる形には小ナダレ定石、大ナダレ定石がある。

この形からの黒の応手はa – eがあり、黒cなら小ナダレ定石、黒dならば大ナダレ定石に進行する可能性がある。

ナダレの命名者は、呉清源とも、囲碁ライターの三堀将[4]とも言われている。

代表的な図[編集]

簡明な形[編集]

黒1 (a) とツゲば、白2とノビるくらいで、黒3, 白4などとなれば、簡明な分かれとなる。白は黒3まででの手抜きもある。

黒1 (b) の二段バネはある形で、白2 – 白6までと黒1を捨て石にして穏やかな分かれを得る。

小ナダレ[編集]

黒1 (c) と打てば、白2 – 黒5となり、小ナダレ定石と言われる形となる。この後、シチョウ関係や周囲の状況に応じて、険しい接触戦となる。

前図以下、代表的な定石。白9は手を抜き、逃げ出しを許して打つこともある。

人工知能の登場以降、小ナダレに対しては黒1とサガり、あっさりと地を確保する例が増えた。黒3では、aとハッて上辺を地化することもある。

大ナダレ[編集]

黒1 (d) と一本ノビ、白2を待って黒3とハネれば、以下白4 – 白6となり、大ナダレ定石と言われる形となる。この後、黒aの内マガリ形、黒bの外マガリ形の2種類の選択肢があるが、どちらも難解な長手順の定石となる。初期は外マガリが打たれていたが、呉清源により内マガリが打ちだされた。また黒1の時点で白が手を抜くこともある。

上図白2に、下図黒1と辛抱すれば、これ以上白から隅への追求は無い。白はここまでの形を利かしと見て満足してこれ以上は打たないか、白2 – 白4と打つ手などが考えられる。

大ナダレ形には現在も続々と新手・新定石が生まれており、最新研究を知らないとプロでもハマることが珍しくない。2005年に韓国では、下図の黒1という、驚くような手も研究されて打たれている。

難解な変化を避けて白1, 黒2とし、白3またはここで手を抜いてaなど辺へ展開する手も古くからあり、2006年ごろからまた多く打たれるようになっている。

大ナダレへの異手順[編集]

黒の下ツケに対して白1とヒク手も時々見られる。これに黒2とさらに這えば、白3 – 白5と大ナダレに進む。

小目に対して白が二間高ガカリし、黒1とカドに打った時に白2, 黒3と運べば、以下白4 – 白6と、これも大ナダレに進む。

初期外マガリ定石[編集]

第4期本因坊戦挑戦手合五番勝負第3局 1947年11月25-27日 本因坊薫和-木谷實(先番)

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当時は大ナダレに白1(16手目)の外マガリ形しか無かった。黒18ではその左下に打つのが当時の定型だったが、先番木谷は黒18, 20と激しい戦いを挑んだ。しばらく後には白7で16にハネ上げる安永一創案と言われる手が多く打たれる。碁は右上の戦いで黒有利に進むが、中盤から白が追い上げて、209手完、白2目半勝ち。途中木谷が貧血で倒れるというアクシデントもあった。岩本は最終第5局も勝って本因坊2連覇。

新手内マガリ[編集]

第1期日本最強決定戦 1957年2月21-22日 本因坊秀格-呉清源(先番)

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左上の大ナダレでの黒1(37手目)が初めて打たれた内マガリ形で、それまではこの手で3に打つ外マガリが定石だった。その後、白2では白4, 黒5を先に打つのが手順、白10は保留するなど改良されて定石型となっている。本局の配石では黒有利だが、先番の呉が難しい局面を逃げ切って151手まで中押し勝ち。呉はリーグ戦8勝2敗で第1期最強位に就いた。

世界戦でハメる[編集]

第10期世界囲碁選手権富士通杯2回戦 1997年4月14日 王立誠-劉小光(先番)

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黒1(23手目)はこの頃研究されていた外マガリ形の新形。黒15が緩手で、白16とカケられて黒3子が動けないのではハマリ形。282手完、白17目半勝ち。ナダレ定石の指折りの研究家でもあった王はこの大会で準優勝。

  1. ^ 三堀将『楽しい囲碁心理学』(日本棋院)P.41
  2. ^ 藤沢秀行『ナダレ定石』(日本棋院)P.6
  3. ^ 藤沢秀行『ナダレ定石』(日本棋院)P.11
  4. ^ 1939年に加藤信の著書のために、当時読売新聞囲碁欄担当記者だった三堀が「かりにこれを雪崩型と云わうか」と記した(三堀将『黒白縦横』東京書籍 1979年)

参考文献[編集]

  • 結城聡『決定版 大斜・村正・大ナダレ 』誠実文堂新光社 2009年