島根 (足立区) – Wikipedia

島根(しまね)は、東京都足立区の町名。現行行政地名は島根一丁目から島根四丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は121-0815[2]

足立区を東西に横断する東京都道318号環状七号線(環七通り)の北側、国道4号の西に面している。地理的にほぼ足立区の中央部にあり、区役所所在地の中央本町からもほど近い。北で六月、東で国道4号を挟んで平野、南で東京都道318号環状七号線(環七通り)を挟んで梅島、西で栗原と隣接する。

地価[編集]

住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、島根3-16-16の地点で24万3000円/m2となっている[4]

古道として大道通・御成道・七曲道・旧奥州街道が通っていた。旧島根村(足立区成立以後の島根町)のうち、国道4号線以東は後に東島根町とされたが、住居表示の実施によって平野・中央本町・青井などに編入されて地名としての東島根町は消滅し、足立区立東島根中学校や東島根町歩道橋などにその名が残されているのみとなっている。島根町として残った地域のうち、住居表示の実施によって環七通り以南は梅島一~三丁目とされ、環七通り以北の地域が島根一丁目~四丁目となった。

地名の由来[編集]

現在の「島根」の町名は江戸時代における村名を源とし、明治から昭和初期に掛けては南足立郡梅島町の大字であったものを引き継いでいる。そもそもの由来として『新編武蔵風土記稿』には、江戸時代にこの島根地区が低地にあたる足立区の中で目立つ微高地に位置し、一般に「嶋畑」と呼ばれる水田の中に島のように盛り上がった陸田があったことから「嶋畑村」と呼ばれ、後に転じて「嶋根村」となったものであるとの記述がなされている[5]。しかし『新編武蔵風土記稿』の編纂者は、室町時代の史料には既に「嶋根村」が登場しており、嶋畑が嶋根となった説は確証が無いとしている[5]。なお島根の表記には時代や文献によって「嶋根」や「嶌根」といった表記を見ることができる。

沿革[編集]

  • 1889年5月1日 – 東京府南足立郡島根村が周辺の村と合併し、梅島村が誕生。梅島村大字島根となる。
  • 1932年10月1日 – 南足立郡が東京市足立区となる。島根は島根町とされる。
  • 1934年4月1日 – 島根町の国道4号以東の地域が東島根町とされる。
  • 1965年1月1日 – 島根町の一部に住居表示が実施され、梅田七丁目に編入される。
  • 1966年4月1日 – 島根町の環七通り以南の地域に住居表示が実施され、梅島一~三丁目が設置される。
  • 1967年5月1日 – 島根町の大部分と東島根町・小右衛門町・栗原町・東栗原町の一部に住居表示が実施され、島根一~四丁目が設置される。同日、島根町の一部に住居表示が実施され、六月一・二丁目に編入される。
  • 1971年8月1日 – 栗原町の一部に住居表示が実施され、島根四丁目に編入される。現在の町域が成立。

史跡[編集]

  • 荒神様 – 島根三丁目の馬場家に残されている。
  • 庚申塔

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
島根一丁目 1,003世帯 1,878人
島根二丁目 2,140世帯 4,822人
島根三丁目 1,359世帯 2,522人
島根四丁目 1,502世帯 3,171人
6,004世帯 12,393人

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。なお、足立区では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能。ただし、小学校に関しては、2018年(平成30年)度から学区域または学区域に隣接する学校のみの選択になった。[7]

道路[編集]

関連項目[編集]

  1. ^ a b 足立区の町丁別の世帯と人口”. 足立区 (2017年12月4日). 2017年12月7日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月7日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月7日閲覧。
  4. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  5. ^ a b 「淵江領 島根村」『新編武蔵風土記稿』巻ノ137足立郡ノ3、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763997/50
  6. ^ 区立小・中学校の通学区域表・通学区域図”. 足立区 (2019年4月9日). 2019年10月2日閲覧。
  7. ^ 小学校の「学校選択制度の改正」について(平成30年度から)”. 足立区 (2019年5月22日). 2019年10月2日閲覧。

外部リンク[編集]