水府系纂 – Wikipedia
『水府系纂』(すいふけいさん)は、水戸藩の藩士の系譜を収録した史料である。収録の基準としては御目見以上(藩主と直接会える身分)とされている。
目録所載の序文によると延宝6年(1678年)に徳川光圀が山縣元䌫に命じて編纂させた『水城実録』をもとにして、元禄14年(1701年)に徳川綱條が佐野郷成に命じて編纂が開始され、享保2年(1717年)に60巻が成立した。その後も幕末まで書き継がれて行き、最終的に慶応3年(1867年)に正編92巻、目録2巻、附録4巻となった [1] 。このうち、第25、46、47、49、55、56、57、58、59巻は上下2冊、第60巻は上中下3冊で構成されている。なお、第58巻上と第61巻は欠本となっている。
内容は、水戸徳川家初代の頼房に最初に付された家臣である「慶長年中奉仕於伏見之輩」を冒頭(第1、2巻)に置き、以降、出仕した年号順に藩士各家の系図、歴代当主の履歴などが記載されている。
原本は徳川ミュージアムが所蔵し非公開である。茨城県立歴史館において複写版を閲覧することができるが、複写版は「嘉永年中奉仕之輩」を収める第88巻までの97冊と目録2巻、附録1巻である。
また、これらとは別に、徳川斉昭が郷士、手代、同心、中間、諸細工人、水主などについてまとめさせた『水府系纂附録』も存在するという[1]。
欠本掲載の諸家[編集]
欠本掲載の諸家
※ 『水府系纂総目録』によって各家の初代のみ記す。イロハ順。△は絶家。
第58巻上
- 荷見茂衛門守之
- △初山与左衛門収重
- △本多諤衛門武貞
- 別所左兵衛範治(分家有り)
- 茅根如水伴通
- △大岡三大夫信就
- 吉見軍次直久(分家有り)
- 高橋伝衛門友清
- 高橋文蔵輔従
- △高田徳左衛門重勝
- 津田権太左衛門長照(分家有り)
- 武藤喜左衛門正勝
- 山川源兵衛正方
- △小泉山出信勝
- 宮井道先俊昌(分家有り)
- 平野七五郎勝彜(分家有り)
- △介川伝衛門君道
第61巻
- △石川七郎衛門昌言
- △西野松衛門泰定
- △富岡次郎衛門正利
- △舎練平内正之
- △小野崎喜衛門武時
- △小澤金衛門正直
- △大森所衛門周重
- △渡邉右衛門八程香
- △河野勝次郎通経
- 柏喜大夫正武
- △勝山善十郎昌隆
- 吉見定之進正方
- 吉富慶雲安信
- 依田喜左衛門處安(分家有り)
- △田山清衛門秀貞
- △武山孫左衛門某
- 高岡与兵衛清重
- 瀧口吉介利重
- △曽根吉衛門習
- △間々田道達勝之
- 近藤清四郎胤景(分家有り)
- 近藤喜衛門忠貞
- 小田部小流守久(分家有り)
- 小松崎伝六重貞(分家有り)
- 佐久間立斎高方(分家有り)
- △北原平大夫安蕃
- △箕川左介通信
- △進藤平七行済
目録未掲載の諸家[編集]
第88巻所載の諸家
※ 掲載順
弘化年中奉仕之輩
- 間々田三衛門広胤
- 高橋友信宗寿
- 仁上久三郎純一
- 秋山利衛門昌長
- 猿田玄碩愛敬[a 1]
- 川又多一郎昌幹
- 富田太之衛門善師
- 西丸勇五郎義則[a 2]
- 菊池永三郎恒久
嘉永年中奉仕之輩
- 小澤昌次衛門有裕
- 大塚松見有信
- 相田盛阿弥度近
- 澤直衛門直温
- 疋田伝蔵政房
- 鈴木藤吉郎吉信
- 高野弥一郎順倫
- 磯野源四郎時和
- 大内鐡三郎義一
- 小田部津衛門祐順
- 山藤準三辰鎮
- 加納五左衛門正吉
- 生井秀三郎敏慎
附録所載の諸家
※ 茨城県立歴史館蔵複写版による。掲載順。
- 稲田新衛門定安
- 小野総衛門某
- 海老澤清左衛門某
- 山野才蔵某
- 佐藤権左衛門某
- 田口茂兵衛某
- 川野辺羽衛門晴忠
- 飯田佐衛門某
- 小泉治兵衛某
- 山崎弥五左衛門某
- 飯村武助宗儀
- 長谷川全六某
- 大関瀧衛門某
- 梶山秋衛門近邦
- 鈴木兵左衛門某
- 飯塚勝衛門直晴
- 大山与四郎某
- 大森小田衛門某
- 柏文大夫某
- 長瀬平内某
- 北條又衛門某
- 野村吉左衛門重正
- 高野藤衛門重則
- 稲田重三郎定広
- 矢島友衛門某
- 猪野八兵衛某
- 会澤仲衛門重則
- 大久保十助某
外部リンク[編集]
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