太正浪漫堂 – Wikipedia

太正浪漫堂(たいしょうろまんどう)は、セガが営業していたアドベンチャーゲーム『サクラ大戦シリーズ』に関する商品の専門店。 セガ直営のアミューズメント施設(当時)「池袋GIGO」5Fに「池袋店」と「大阪心斎橋GIGO」4Fに「心斎橋店」にて営業。また、コミケの企業ブースでも、セガが「太正浪漫堂・有明出張所」を出展[1]。 主に『サクラ大戦』シリーズのキャラクターグッズを中心に取り扱っており、キャラクターの誕生日には、そのキャラクターにちなんだ限定グッズが販売され、店内のモニターで誕生会ライブを上映した。その他、『サクラ大戦』のゲームや、攻略本、関連コミックなども販売していた。 店内の奥には『サクラ大戦』仕様のプリクラ、ダーツ、UFOキャッチャーや、アーケード版『花組対戦コラムス』などのゲームも設置されていた。 店内の「Sakura Cafe(サクラカフェ)」ではキャラクターにちなんだ料理が楽しめた。キャラクターのコースターが付属するドリンクもあり、コースターの絵柄は、帝国華撃団、巴里華撃団、紐育華撃団のキャラクター、ドリンクはそのキャラクターをイメージした飲み物となっていた。 2003年9月28日に心斎橋店、2008年3月30日に池袋店がそれぞれ閉店し、約10年の歴史の幕を閉じた。その後、2019年9月14日より公式オンラインショップとして再開した。池袋店の閉店から数えて、11年ぶりの復活となる[2]。 1998年6月13日 太正浪漫堂 池袋店開店。開店当日、広井王子と陶山章央来店[3]。 1999年12月12日 太正浪漫堂 心斎橋店開店。 2003年7月18日 太正浪漫堂 池袋店が「Sakura Cafe」を併設してリニューアル開店[4]。 2003年9月28日 太正浪漫堂 心斎橋店閉店[5]。

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お祈り大明神 – Wikipedia

お祈り大明神(おいのりだいみょうじん)とはセガ(後のセガ・インタラクティブ)が開発した純和風をモチーフにしたマスメダルプッシャーゲーム。10ステーションで最大20人同時プレーが可能。 続編としては、お祈り大明神 祭がある。 このマシンの特徴は、中央に鎮座する巨大提灯である。巨大提灯はメダルを貯留できるようになっており、ジャックポット時に払い出されるメダルは、全てこの提灯の中に「現物で納められている」のが特筆すべき点と言える。 ジャックポット完成時の支払いは、この提灯を前に傾け、中のメダルを放出することによって行われるため、他のプッシャーマシンにおける、一度に200枚程度の払い出しを行うものとは大きくことなり、1000枚超のゲームメダルが滝のように降り注ぐ圧巻の演出を行うことが可能となっている。 また、放出経路の関係上、大量のメダルになると直接払い出し口にメダルが向かいやすく、他の機器にありがちな「払い出したメダルがサイドアウトへ吸われる」ことによる手取りの減少が少なく、実際に当時稼働していた他の機器と比較しても手元にやってくる「実入り」は多くなる傾向があった。 メダルを投入し、風車チャッカーにメダルが入るとスロットが回転し、抽選の結果によってさまざまなイベントが発生。 スロットの数字が一一一 二二二 四四四 五五五 六六六 八八八 九九九なら、当たりでメダル皿にメダル50枚払い出す。 三三三 七七七なら、大当たりでにメダル皿にプールされたメダルを払い出し、その直後にメダル皿にメダルを払い出す。 中央に「占」が出ると小当たりとなり、点取り占いを始め、出た点数(1~10)に応じて出た点数分点取りゲージが増えて点数分メダルを払い出す。50点以上に達すると点取りボーナスでメダル皿にプールされたメダルを払い出し、その直後にメダル皿にメダルを払い出す。(三三三、七七七が出たと同様) 保留は最大10までストックすることができる。10個目は必ず赤玉で点灯。赤玉は青玉より当たりやすい。10個点灯でさらにメダルを入れると☆が出ることがある。☆の抽選は必ず当たる。ニワトリが手前に走っていく演出では一一一~九九九の当たりも含め、「占」が出ることがあるが、ジャックポットリーチの可能性もある。風神雷神では点取り占いもジャックポットリーチも出ない。一一一~九九九の当たりのみ。全部赤玉にすると虹玉保留で必ずジャックポットリーチが発生する。[1] ジャックポットリーチ[編集] 左右に大明神シンボルが2つそろうとジャックポットリーチが発生。画面上側にジャックポット獲得枚数が表示される。チャレンジ前に大提灯にメダルが(3~250枚)蓄積され、イベント中に「いまだっ!!」の合図で鈴紐を左右に振り、 祈りが神様に届けばJACKPOTとなり、大量のメダルが払い出される。(最大2000枚以上) 蓄積された枚数が多いほどジャックポットの可能性がアップし、少ないほどジャックポットの当たり確率がかなり低くなる。 ごくまれに鈴紐を振らなくてもジャックポットを獲得することがある。 ジャックポットが払い出されると初期値の500枚に戻る。 ひもふりちゃんす[編集] ゲーム中に突然発生するボーナスゲームイベント。 合図が合ったら鈴紐をテンポよく振り、テンポよく振ればマトイがより高く上がる。

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アソボット戦記五九 – Wikipedia

『アソボット戦記五九』(アソボットせんきごくう)は、エイベックス主導で展開されたメディアミックス企画の名称である。 概要 当初の予定としては、エイベックスの総力を上げてアニメ・漫画にとどまらない大々的なコンテンツにする構想があったようで、最終的にはテーマパーク化までを視野に入れていた。2000年6月に『孫悟空の冒険(仮題)』として発表された[要出典]プレスリリースでは「2004年3月期には100億円規模の売上を目標」とある[1]。 しかし、肝心の人気が伴わず、テレビシリーズDVDの発売は全52話中20話までで中断している。アニメーションの出来に関してもあまり良い評価を受けているとは言えず、放送当時も作品の内容よりも設定破綻と作画崩壊やシュールな展開に注目する視聴者のほうが多かった。作品後半からは、声優によるアドリブと思しき遊び心の効いたセリフが非常に多く、その点もまた注目される要因となった[要出典]。 あらすじ 1000年のコールドスリープから目覚めた少年サンゾウが、あと一年で破滅のときを迎える未来世界を救うべく49個ある鍵を探しだし、第一世代アソボット五九たちと共に東の果てジパングへと旅をする。 世界観 本作品の舞台は、現代(21世紀)から1000年後の世界である。大洋の殆どが干上がり、砂漠の惑星となっている(序盤のトンゴーのセリフによると、過去の人類の過ちによるらしいが、詳細は不明)。砂漠の中に居住区が点々と存在しており、人間とアソボットが共存する。近未来であるため、ある程度のメカニカルな技術は存在するが、長い年月をかけて風化した列車が、ヤマタノオロチのような邪神に見立てられるなど、かつての文明の記憶は消え失せてしまった。 用語 アソボット ASSOCIATION ROBOT(アソシエーション ロボット)の略。人間と同様の感情を持ち、食事をし、成長もする機械生命体。平たく言えば意思を持ったロボットである。サンゾウの父キュウゾウが1000年前に開発した99体が祖先で「第一世代(1st)」。本編において第一世代はほぼ絶滅状態となっており、このほかに「第二世代(2nd)」と「第三世代(3rd)」へと続く。 アソボットの世代は体のどこかに描かれている文字と瞳の色で判断することが可能。漢数字・あるいは青い瞳が第一世代、アラビア数字・あるいは緑色の瞳が第二世代、ローマ数字・あるいは赤い瞳が第三世代である。第一世代は五九・魅音・紫苑、第二世代はトンゴー・ジョー、第三世代は全て敵役となっている。 破滅ウイルス アソボットを凶暴化させるウイルス。1000年前にプロフェッサー「D」が作り出し、この世を破滅に導こうとした。突然発症するものや任意で発症するもの、果てはプロフェッサー「D」によって意図的に直接摂取を受けたものもいる。 しかし破滅ウイルスに感染するのは第二世代以降であり、第一世代は感染しない。 この世の終わり 大破壊の後、1000年後に訪れる第2の破局。キュウゾウ博士の言う「この世の終わり」とは、全世界に破滅ウイルスが蔓延することで第一世代を除く全てのアソボットが凶暴化してしまう、いわば「世紀末」状態のことである。 ジパング

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鈴木美恵 – Wikipedia

この項目では、女優の鈴木美恵について説明しています。声優・講談師の鈴木みえ(三枝)については「一龍斎貞友」をご覧ください。 この存命人物の記事には、出典が全くありません。信頼できる情報源の提供に、ご協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。出典検索?: “鈴木美恵” – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年3月) 鈴木 美恵子(すずき みえこ、1974年2月6日 – )は、日本の女優。旧芸名は鈴木 美恵(すずき みえ)。現在はフリー。血液型O型。千葉県出身。 人物・経歴[編集] 『うちの子にかぎって…』『パパはニュースキャスター』に出演したことで西尾まりらと子役として大成(当時は若干ぽっちゃり気味な体型だった)。 その後は、OLやパートで働く女性、主婦や子供の母親といった幅広い(シリアスなものからコミカルなものまで)役を演じられる女優として、ドラマの脇役やCMに出演している。

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ディポログ – Wikipedia

ディポログ(Dipolog)は、フィリピン南部ミンダナオ島の北西部にある都市。サンボアンガ半島の北岸に位置し、サンボアンガ・デル・ノルテ州の州都である。2000年の国勢調査では人口は99,862人、世帯数は20,461世帯。バランガイ数は21。 面積は137平方km。南側は標高の高い山岳地帯であり、北はスールー海に面している。 ディポログは山岳部の野性の蘭と、沖合いの好漁場から獲れるいわしの缶詰産業で知られている。市のニックネームは「南部の蘭の街」である。市の北の海岸部には大通りができ、夜には若者や家族連れが集まる場となっている。 ディポログへはディポログ空港への国内各地からの空路、および近隣のダピタンに着く各地からのフェリー航路が便利である。 サンボアンガ半島北部一帯には、モロ人の海賊や南方諸国の襲撃を避けて、ボホール島からキリスト教徒や非キリスト教徒が多く逃れてきていた。彼らが作った町はダピタンやミサミス(現・オザミス)、イリガンなど多いが、ディポログの元になった町もそのひとつである。彼らは海岸から20km入った場所に町を作り、海賊行為がおさまると河口と平野を見下ろす丘の上に教会を作った。この一帯のスペイン植民地化は主に伝道師によって行われたが、彼らは丘を上り下りする不便を嫌い住民に川下に移るよう勧めた。この新しい町が現在のディポログである。 ディポログの町政府は1834年、ミサミスにあったフィリピン植民地政府の軍政府が作った。伝説では、この年にスペイン人の伝道師が元来トゥルワナン(Tulwanan)という名だったこの地に着いた。伝道師はスバノン族の現地人に「Donde esta el Capitan?(町長はどこか?)」と聞いたが、現地人は「町長」という語だけが分かったため、西を指して「川の向こう」の意味の「Di-pag」と言ったという。川を下って町に着いた伝道師は、そこに「ディ・パグ」と名づけたことがディポログの元となったといわれる。 アメリカ統治下の1912年、この一帯を治めるミンダナオ及びスールー州総督のジョン・パーシングはディポログを町にする決定を下し、町役場を建設した。ディポログは大きな権限を持つこととなり、発展の基礎が築かれた。1970年1月1日、ディポログは市となっている。 姉妹都市[編集] 外部リンク[編集]

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コックス・インガーソル・ロス・モデル – Wikipedia

コックス・インガーソル・ロス・モデル(英: Cox-Ingersoll-Ross model)あるいは CIR モデルは、数理ファイナンスにおいて利子率の時間的変動を記述する数理モデルの一つである。 短期利子率を扱う単因子モデルの一つであり、利子率の変動を市場リスクという単一の要因で説明する。 CIR モデルは、金利デリバティブの評価に使用することが可能である。 1985年に、ジョン C. コックス(John C. Cox)、ジョナサン E. インガーソル(Jonathan E. Ingersoll)、ステファン A. ロス(Stephen A.

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横浜金沢ハイテクセンター – Wikipedia

横浜金沢ハイテクセンター 横浜金沢ハイテクセンター(よこはまかなざわハイテクセンター)は、横浜市金沢区にある施設。21世紀におけるイノベーションの創造と発信、および新産業の集積をめざし、1994年2月にオープンした。 横浜のインキュベート支援施設は複数あるが、SOHO横浜インキュベーションセンター(中区)は新しく建設したものではなく、横浜開港百周年記念事業で建設されたシルクセンターにあった旧シルクホテルの跡地を使用している。当施設は横浜市金沢産業振興センター、金沢工業団地、金沢流通団地が隣接している。 財団法人横浜企業経営支援財団が運営するテクノコア(公共棟)、住友生命保険が運営するテクノタワー(一般棟)があり、両棟はアトリウムにより接続されている。 地上6階、地下1階建てのテクノコアは、創業期の企業活動支援や企業等の新分野進出支援や、大学との共同研究等の実施を目的とし、R&Dスタートアップラボラトリー、産学共同研究ラボラトリー、研究開発支援ラボラトリー、技術相談室、資料室、展示室、特別会議室、会議室、交流サロン等が設置されている。また横浜市工業技術支援センターがあり、技術相談や各種公的支援に対応している。 地上22階地下1階建てのテクノタワーには、住友生命保険の研修施設やその他企業のオフィス、R&D対応オフィス、横浜テクノタワーホテル、レストラン、コンビニエンスストア等が入居している。 延床面積 50,801,879m² テクノコア(公共棟) 12,700,469m² テクノタワー(一般棟) 38,101,410m² 標準賃貸面積 駐車場 227台(自走式107台、機械式120台) 1994年1月 竣工 1994年2月 オープン 〒236-0004 横浜市金沢区福浦一丁目1番地1

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グランビルタウン – Wikipedia

グランビルタウン(Granville Town)は西アフリカのシエラレオネの首都フリータウンに当たる地に16世紀に建設されたシエラレオネへ解放奴隷が入植した最初の街。 1787年奴隷貿易廃止主義者のグランビル・シャープを中心に「自由の土地」の建設をスローガンとしたシエラレオネ移住計画が始まった。5月14日にイギリスロンドンのスラム街に住むシエラレオネ入植移住希望の約400人の解放奴隷の黒人と60人の白人を乗せた船がイギリスからシエラレオネに出港し、5月10日にシエラレオネに到着した。5月11日にT・ボールドン・トンプソン船長が現地部族テムネ族のトム王から土地を譲り受け、5月15日にグランビル・シャープの名に因みグランビルタウンの入植地を建設した。 しかしこのシエラレオネ最初の入植の町は1790年トム王死後のテムネ族の王、ジミー王が土地の賃貸料をめぐる論争の末にグランビルタウンを攻撃した。グランビルタウンは完全に破壊され、住民はテムネ族に奴隷として捕られた。またヨーロッパの奴隷商人の攻撃にもあっていた。(食糧不足及び病気や現地部族の攻撃など酷い目に会っていたので入植地は成功しなかった。多くの入植者はなれない環境で死んだりして、生き残った者はわずか60人程度で、後にグランビルタウンは廃墟と化していた)。1791年に再びグランビルタウンは再建されるが、1792年カナダのノバスコシア(バーチタウン、1190人)とイギリス(119人)から来た新たな解放奴隷の入植者達はフリータウンと名付けて建設した。

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国際地理オリンピック – Wikipedia

国際地理オリンピック(こくさいちりオリンピック、英:International Geography Olympiad)とは、1~2年に1回行われるIGU(国際地理学連合)の大会で、参加資格は高校生。各国は、3~4名で選手団を編成し、試験は、知識・マルチメディア・フィールドワークの3種からなる。 なお、ナショナルジオグラフィック協会が1993年から開催している「National Geographic World Championship」も「地理オリンピック」と呼ばれることもあるが、こちらは中学生を対象とした世界大会である。 バルト三国の一つであるエストニアで、1965年に大学生有志が始めた「環バルト地理競技会」がルーツ。「国際地理オリンピック」を名乗るようになったのは、1994年に行われたIGU(国際地理学連合)の総会(プラハ:チェコ共和国)で、ポーランドとオランダの委員が提案してからである。第1回大会を1996年にオランダで開催した(参加国は5カ国)。以後、2年おきに行われるIGU総会に合わせて世界大会が開催されている。1998年に第2回(ポルトガル)、2000年第3回(韓国)、2002年第4回(南アフリカ)、2004年第5回(グダニスク:ポーランド)、第6回大会は、2006年、ブリズベン(オーストラリア)で行われた。第7回大会は、2008年、カルタゴ(チュニジア)で開催された。 世界大会は、2012年まで2年に1回行われ、国内選手権を毎年開催する国が増えてきたため、世界大会の合間の年にヨーロッパとアジア・太平洋地域でそれぞれ「地域地理オリンピック」が行われるようになった。アジア・太平洋地域は2007年に「第1回アジア・太平洋地理オリンピック」(APRGEO2007)が台湾で行われ、2009年8月2日~8月6日、筑波大学を会場に、「第2回アジア・太平洋国際地理オリンピック」(APRGEO2009)(参加国:日本・オーストラリア・メキシコ・台湾)が開催され、第3回大会は2011年にメキシコで開催された[1]。ヨーロッパでは、2003年より「中央ヨーロッパ地域大会」が開催され、2009年は9月15日~21日に「第4回中央ヨーロッパ国際地理オリンピック(CERIGEO2009)」がポーランドで開催された(参加国:9カ国)。 2008年の第7回世界大会(チュニジア:カルタゴ大会)の参加国は以下の通り オーストラリア, ベラルーシ, ベルギー,中華人民共和国,台湾,チェコ共和国, エストニア, フィンランド, ドイツ, ハンガリー, 日本, サウジアラビア, ラトビア,

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