乾龍介 – Wikipedia
乾 龍介(いぬい りゅうすけ、1947年4月1日 – )は元朝日放送[注 1](ABC)の社員・役員。アナウンス部長、役員室長などを歴任。定年退職後は同社顧問、フリーアナウンサー。
略歴・人物[編集]
京都府八幡市生まれ。大阪府立旭高等学校、大阪教育大学卒業後、1969年朝日放送入社。中学校・高等学校数学の教員免許を所有。大学時代は放送研究会に所属[1]。特技は映画鑑賞、試写室でたとえ寝てもいびきをかかないこと。好きな言葉は「上善は水の如し」[2]。
20代はアナウンサーとして主にラジオ番組で活躍。深夜放送「ABCヤングリクエスト」などを担当[3]。また1972年(昭和47年)のラジオ送信所増力の際には「1010カーくりげ」と称して、新たに朝日放送ラジオのサービスエリアに入った北陸地方などを自動車で回り、各地から取材レポートを入れる企画を一週間にわたって担当した。その後、夕方のワイド番組「おしゃべり横丁ABC〜花と龍介60分〜」などを担当した[4]。
1979年4月から1986年3月まで、朝日放送テレビ「おはよう朝日です」の初代司会を務め[5]、朝日放送の名物アナウンサーの座を獲得した。その後、ラジオ「トヨタ・ウィークエンドパトロール」などに出演。1986年10月から1年間、ラジオで夜の情報ワイド番組「乾龍介のホットポイント」を担当した[6]。
1989年10月からは夕方のローカルニュース番組「600ステーションABC」、続く「ABC News Report」のキャスターを務める。その後アナウンス部長を経て経営企画室に異動するが、1999年には再び制作現場に復帰、1月からラジオ「毛利千代子・旅のハーモニー」のパートナーを務め、同年4月からはラジオの午前ワイド「東西南北 龍介がゆく」を2003年9月まで担当した[6]。番組終了後、編成局コメンテーターを経て[3]、2005年4月にコンプライアンス室に異動、2008年4月に定年を迎え、コンプライアンス室顧問に就任した[6]。
朝日新聞主催の映画選考委員を務めるほか、2008年3月まで奈良県奈良市のコミュニティ放送局「ならどっとFM」で月1回「乾龍介の映画試写室」のパーソナリティーを務めた[6]。
しかしながら乾の特筆性は、朝日放送の一時代を築いた名物アナウンサーとしてではない。
戦後日本の放送は学校教育の一翼を担うものとされた。そして乾はそもそも学校教育番組担当、特にテレビ放送初期の教育放送要員の一人として朝日放送に選ばれ、教育者としての専門性をベースに、各放送事業者に課せられている(放送しなければならないとされている)[7]、教育、教養、報道の各放送番組において、その多彩な能力を発揮、日本の民間総合放送におけるこの分野のパイオニアになったことである[6]。
乾は受け取った原稿を何でもそのままに読む、あるいは目前の事象をそのままに伝える、いわゆる「専業アナウンサー」ではなく、当初から当時まだ珍しかった報道に所属する「意思、主張を持つ」アナウンサーであり[注 2]、さらに専門の教育から逸脱することなく異分野であるアナウンサーとして多面的に成功した。このことから今日では、それまでは専門性が強い、すなわち他の学部のように教職は専門を生かして免許を得て就くのではなく、はじめから専門として必修、免許を得るがために「卒業したら当然、学校の先生」などと言われていた日本の教育学部出身者が次々と全国各地の民間放送局や一般企業に採用されていくようになった、すなわち乾の成功により日本社会の教育学部に対する認識が変わった(それまでの教員養成専門学部という認識から教養学部などと同じような認識に変わった)とみる向きなどもある。またこのことから[1] 乾は2016年現在、中学校、高等学校に招聘されての授業も担当[8][9] している[注 3]
過去の代表的な担当番組[編集]
テレビ[編集]
ABC時代[編集]
ラジオ[編集]
ABC時代[編集]
定年退職後[編集]
注釈[編集]
- ^ アナウンサーとして在籍当時は、認定放送持株会社移行前の旧・朝日放送株式会社。
- ^ 当時、本格的に日本で報道番組として確立していたのはJNNニュースコープだけであり、同時期の同様のアナウンサーとしては入江徳郎、近江正俊、古谷綱正くらいであった。
- ^ 乾は「講演」などではなく、成績評価対象となる正課学校科目の「授業」に招聘されている。2017年現在の教員免許更新制度の規定上、乾は昭和30年4月2日以前の出生であり、例外規定に該当しないことから、終生有効の中学校、高等学校教諭免状所有者である。また乾の時代、大阪教育大学を含む国立教育大学の卒業条件には各課程所定教員免許の取得が定められていたため、その修業年数(大学在籍期間)から乾は、2017年現在の1種免状所有者であることがわかる[10]。このことから乾は学校長の要請があれば正規(生徒の成績評価などの一切を含む)に直ちに数学の授業を担当することができる。また、別教科(例えば国語)についても、例えば臨時に助教諭免許状の発給を受け、正規に授業を担当することもできる。
出典[編集]
- ^ a b 大阪教育大学同窓会 第2回大阪教育大学ホームカミングデー記念講演 乾龍介「私が変わると周りも変る。ピンチこそチャンス」 2016年11月3日。
- ^ ならどっとFM 78.4MHz ホームページ 2017年10月閲覧。
- ^ a b 中川企画建設株式会社ホームページ 中川オーナーズクラブ過去の講師紹介 2017年10月閲覧。
- ^ 東大阪大学短期大学部キャリア教育講演 2016年11月8日。
- ^ 一般社団法人 日本秘書協会 関西支部 2017年11月定例会案内 「アナウンサー生活半世紀~人生はよく出来た問題集~」2017年11月10日講演講師プロフィール。
- ^ a b c d e 東大阪大学短期大学部キャリア教育講演 2016年11月8日。
- ^ 放送法第5条。
- ^ 奈良県立畝傍高等学校ホームページ2016年3月24日 2017年10月21日閲覧。
- ^ 東大阪市立縄手南中学校 平成28年度アドバイザリースタッフ 東大阪市立縄手南中学校ホームページ 2017年10月21日閲覧。
- ^ 教育職員免許法 別表第一(第五条、第五条の二関係)
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