藤原家頼 – Wikipedia

 

凡例

藤原家頼

時代 平安時代後期
生誕 不詳
死没 不詳
別名 基家、願蓮房
官位 従五位上、兵部権大輔
主君 鳥羽上皇
氏族 藤原北家中関白家
父母 父:藤原忠隆、母:藤原公子(藤原顕頼の娘)
兄弟 隆教、基成、信頼、家頼、信説、近衛基実室、俊成、信家、尋忠、藤原隆季室
テンプレートを表示

藤原 家頼(ふじわら の いえより)は、平安時代後期の貴族。藤原北家中関白家、従三位・藤原忠隆の五男。官位は兵部権大輔。『平治物語』には「基家」の名で登場する。

久安5年(1149年)に父が大蔵卿を辞任したのと引き換えに長門守に就任。代表的な院近臣家の出身ながら、摂関家の家司をも務めた。しかし、平治元年(1159年)同母兄・信頼が引き起こした平治の乱において、信頼に連座する形で解官。これによって出家し、願蓮房と称して大原に隠棲した。

後年九条兼実の帰依を受けて十善戒を授けたことが『玉葉』に記録されている。

  • 時期不詳:従五位下
  • 久安5年(1149年)10月19日:長門守(父忠隆辞大蔵卿申任)[1][2]
  • 久安6年(1150年)11月30日:復任長門守[2]
  1. ^ 『公卿補任』
  2. ^ a b 『本朝世紀』

参考文献[編集]

  • 宮崎康充編『国司補任 第五』続群書類従完成会、1990年