萩原健一 – Wikipedia

萩原 健一はぎわら けんいち1950年〈昭和25年〉7月26日 – 2019年〈平成31年〉3月26日)は、日本の俳優・歌手。ニックネームは「ショーケン」。このニックネームは、10代のころの仲間にダイケン、チューケンがおり、自身がショーケン(小ケン)と呼ばれていたことに由来する。元ザ・テンプターズPYGのリード・ボーカル (PYGは沢田研二とのツイン・ボーカル)。血液型はO型。所属事務所はKR株式会社(2016年8月よりオスカープロモーションと業務提携[1])。埼玉県北足立郡与野町(現:さいたま市中央区)出身。

1950年(昭和25年)、鮮魚店に非嫡出子として生まれる。本名は萩原敬三(はぎわら・けいぞう)。東京都荒川区の聖橋中学校・高等学校(現在は廃校)在学中、埼玉県大宮市でスカウトされ、ザ・スパイダースの弟分バンド、ザ・テンプターズのヴォーカリストとして、16歳だった1967年「忘れ得ぬ君」でデビュー[2]。高校は2年生の時に中退している[3]。翌1968年には「エメラルドの伝説」、「神様お願い!」、「おかあさん」(コーラス・ハーモニカ担当)など、次々と大ヒット曲を飛ばして人気を得た[2]。テンプターズはショーケン自身が述懐しているところによれば、デビュー前はブルース・バンドだった。中川三郎ディスコティークの出演バンドだったこともある。「今日を生きよう」は、グラス・ルーツがイタリアのミュージシャンの曲をカバーし、さらにその曲をテンプターズがカバーしたものである。また、テンプターズはローリング・ストーンズの影響を受けていた。「神様お願い」はメンバーの松崎由治作詞・作曲[4] のオリジナル曲であり、ストーンズから受けた影響が出ている。この時期、女優の江波杏子と交際した。

1970年に解散後は井上堯之、大野克夫、沢田研二、岸部一徳、大口広司らでPYG(ピッグ)を結成する。各種ロックフェスティバルやテレビ出演などもこなしたが、音楽活動よりも映画監督を志すようになる[5]

1972年に製作された松竹映画『約束』(斎藤耕一監督)の製作現場に、サード助監督として参加した。だが、主演俳優・中山仁が降板したため、代役に抜擢される[6]。何人もの女優に出演を断られたが、最終的に岸惠子が共演を承諾した。この演技で高い評価を得て、俳優へと本格的に転身[6]。同年のテレビドラマ『太陽にほえろ!』の初代新人刑事=マカロニ役でその人気を決定付ける[5]

1972年12月をもって音楽活動を停止(これによりPYGは事実上解散)。1974年には神代辰巳 とのコンビによる映画『青春の蹉跌』でキネマ旬報の最優秀主演男優賞を受賞。続いて日本テレビ系のテレビドラマ『傷だらけの天使』(1974-75年)、倉本聰脚本の『前略おふくろ様』(1975-76年)と連続してドラマ作品に主演し、後者は続編も制作された。

1975年には初のソロアルバム『惚れた』をリリース。ソロアルバムの発表を契機として音楽活動を再開し、「お前に惚れた」、「大阪で生まれた女」(1979年)、柳ジョージ&レイニーウッドがバックを担当したライヴ盤『熱狂雷舞』を発表。また同年モデルの小泉一十三と結婚し女児をもうけたが3年で離婚している。

俳優としても脚本家・橋本忍の指名を受けての松竹映画『八つ墓村』(1977年)や黒澤明の『影武者』(1980年)などに出演。誘拐犯を演じた『誘拐報道』(1982年/モントリオール世界映画祭審査員賞)『もどり川』(1983年カンヌ国際映画祭受賞作品)、作家・連城三紀彦が萩原をモデルにしたという直木賞作品を自身で演じた『恋文』(1985年/日本アカデミー賞優秀男優賞)などに出演した。

1980年にいしだあゆみと結婚[5]、1984年に離婚発表。1983年には映画「竜二」の主題歌「ララバイ」を歌った[7]。1983年1月インドはカルカッタでチャリティコンサートを行う。同年4月20日、大麻不法所持にて逮捕され、懲役1年・執行猶予3年の有罪判決となり、1年間に渡って全ての活動停止を余儀なくされた[5]。復帰後も俳優業と平行して音楽活動を行い「愚か者よ」(1987年)のヒット曲を出した。

1984年、飲酒運転で人身事故を起こし、業務上過失傷害罪で逮捕された[5]。1985年11月には、女優・倍賞美津子との2ショット写真を週刊誌に撮られて激昂。カメラマンと編集者に暴行し、書類送検された[5]。この時期、バイオリニスト・前橋汀子と交際した。

1985年に1度ラスト・ライブをおこなったが、1990年にもコンサートを開き、俳優業と歌手を併行して活動をしていた。1993年に四国八十八箇所をお遍路し、1400-1600キロメートルを37日という驚異的な早さで踏破した。1990年代のドラマ、映画では東芝日曜劇場『課長サンの厄年』、山口智子、室井滋と共演した『居酒屋ゆうれい』(1994年/報知映画賞・高崎映画祭主演男優賞)、ドラマ『外科医柊又三郎』(1995年)などに出演した。

2004年10月、再び交通事故を起こし業務上過失致傷罪で現行犯逮捕された[5]。また、監督・スタッフ・共演者への暴言・暴行を繰り返したため途中降板となった主演映画『透光の樹』の前払いの出演料半額分(750万円)の返還をプロデューサーから求められた際に、「一方的に降板させられた」として拒否[5]。さらにプロデューサーに電話をかけ、国税庁・警視庁・実在する暴力団の名を挙げて「必ずやっつけますから」と脅迫する言葉を留守電に残し、出演料全額分(1500万円)の支払いを要求したことで、同年11月に製作側から恐喝未遂容疑で告訴され、翌年の2月に再び逮捕された[5]。当初脅迫電話をしたことは否定していたが、証拠として録音された音声が出されると、これを認めた[8][9][10]

この恐喝事件で2005年6月に東京地裁で懲役1年6か月・執行猶予3年の有罪判決を受け、しばらく活動休止[5][11]。しかし2005年7月にテレビ番組内で、「大麻解禁にしましょうか」と発言し、その後、厚生労働省から注意されたため、「ジョークのつもりだった」と釈明した[5]

1996年にはヘアメイク・アーティスト、由紀と3度目の結婚をしたが、10年後の2006年に離婚している。萩原によればこの結婚には、親族から猛反対があったという。2008年に自叙伝『ショーケン』、ボーカリストとしてゲスト参加した宇川直宏による音楽ユニット・UKAWANIMATIONのデビューシングル「惑星のポートレイト 5億万画素」(作曲・プロデュース:石野卓球)で本格復帰を果たす。5年ぶりの映画出演となった『TAJOMARU』(2009年/小栗旬主演)の将軍足利義政役で日本映画批評家大賞の審査員特別男優賞を受賞。2010年には東京・大阪で7年ぶりのライヴ(トーク&ミニライヴ)ツアーを行なった。

2011年2月7日に、モデルの冨田リカと結婚。「ジェットコースターのような人生だったけども、今後は2人でメリーゴーラウンドのようなゆっくりした人生を歩みたい」と語った。晩年は芸能活動の傍ら、東洋思想や仏教研究に取り組んだ。

2018年、自身のレコードレーベル『Shoken Records』を設立。同年5月9日に22年ぶりとなるシングル「Time Flies」をリリースした[12]

2019年3月26日午前10時30分、都内の病院にてGIST(消化管間質腫瘍)のため死去[13][14]。68歳だった。2011年から闘病していたが、本人の強い希望で病名の公表を控えていた[14]。葬儀は27日に家族のみで営まれ、本人が以前住んでいた神奈川県の鶴見近辺の斎場で荼毘に付された[15]。共演の多かった女優、高橋恵子、桃井かおりは萩原健一の死後、追悼コメントを出している。

高橋是清役で出演したNHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』が没後に放送されているが、『いだてん』に於ける萩原の主な出演場面は生前にほぼ収録を終えており、予定されていた残りの出演場面については放送に支障が生じないように対応がとられた[16]

評価・影響[編集]

松田優作[17] ら当時の若手俳優や次世代の俳優たちに多大な影響を与えた。また、アドリブを駆使した演技は前田吟[18] のような年上の共演者にも影響を与えた。さらに、 小堺一機[19]・とんねるず[17]・ダウンタウン[20] などのコメディアンやサンボマスターの山口隆[19] などのミュージシャンにも影響を与えた。

松本人志は「昭和の大スターで、その時代で一番かっこよかった。」と語っている。

エピソード[編集]

福澤幸雄との関連性

福澤幸雄さんとは、東京・飯倉片町のイタリア料理店『キャンティ」で知り合った。かまやつひろしさんに紹介されたんだ。オレは16歳、ザ・テンプターズのヴォーカルとしてデビューしたばかりだった。幸雄さんは7歳上だったから、彼が23歳頃から亡くなる25歳まで、2年ばかりの付き合いだったことになる。『キャンティ』か、近くの『ムスタッシュ」というフランス料理店で、いつもご馳走になったよ。幸雄さんが運転するトヨタのコロナに乗って、恋人だったモデルの松田和子さんと3人で食事に行ったり、彼女の住んでいた麻布の家に一緒に遊びに行ったりした。幸雄さんから受けた影響は、計り知れない。とにかく、センスがすごかった。車、ファッション、音楽、食べ物。図抜けたセンスを持ってたよ。 — 萩原健一、「贅沢な人生。」セオリーvol.1、講談社、2009年1月、122頁

オレたちテンプターズの衣装についても、幸雄さんは、いろいろ言ってたね。テンプターズは、田辺さんが作った事務所に所属していたんだけど、他のグループサウンズ (GS) と違って、それぞれがバラバラな衣装を着ていることで、人気だったんだ。でも田辺さんは「やっぱり同じ衣装を着た方がかわいい」と言って、オレたちにも揃いの衣装を着せるようになった。それを見て、幸雄さんは「お前ら、ユニフォームなんか着るんじゃないよ。なんだ、アップリケみたいなの付けて」って、オレに言うんだ。 — 萩原健一、「贅沢な人生。」セオリーvol.1、講談社、2009年1月、123頁

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

アルバム[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

発売日 規格 規格品番 アルバム
ワーナーパイオニア / エレクトラレコード
1975年8月 LP L-10009E 惚れた
ミノルフォンレコード
1977年3月 LP KC-9007 Nadja〜愛の世界
1978年6月 LP KC-9501 Nadja2〜男と女
バーボンレコード
1979年6月 LP BMC-4009 Nadja3〜エンジェル・ゲイト
1980年7月 LP BMC-4019 Don Juan
1982年3月1日 LP BMD-1015 D’erlanger
1984年3月 LP BMD-1026 Thank You My Dear Friends
MOON Records
1987年2月 LP MOON-28040 Straight Light
1988年5月 LP MOON-28055 Shining With You
Shoken Records
2010年 CD ANGEL or DEVIL〜2010 LIVE記念盤

※ ライヴ会場限定5曲入りミニ・アルバム

2010年10月6日 CD DLCR-10092 ANGEL or DEVIL

ライブ・アルバム[編集]

発売日 規格 規格品番 アルバム
バーボンレコード
1979年10月 LP BMC-7006-07 熱狂雷舞
1980年12月 LP BMC-7010-11 Don Juan Live
1983年 LP BMC-7015-16 Shanti Shanti Live
1985年 LP 20BLC-3005-06 Andree Marlou Live
1987年12月21日 CD 25BTC-173-180 スーパーライブ大全集
1989年8月25日 CD 30BTC-261 Thank You My Dear Friends Live
2019年7月26日 CD+DVD KHSR-0726 Kenichi Hagiwara Final Live ~ Forever Shoken Train~ @Motion Blue yokohama

ベストアルバム[編集]

発売日 レーベル 規格 規格品番 アルバム
1981年6月 バーボンレコード LP BMD-1009 White & Blue
1987年10月25日 徳間ジャパンコミュニケーションズ CD 30BTC-165 萩原健一 THE BEST10
1988年7月25日 徳間ジャパンコミュニケーションズ CD 28BCP-2047 ダイヤモンド・コレクション
1990年12月21日 徳間ジャパンコミュニケーションズ CD TKCA-30197 BEST SELECTION
1995年12月21日 徳間ジャパンコミュニケーションズ CD TKCA-70787 GREATEST HITS 20
1996年5月20日 イーストウエスト・ジャパン CD AMCM-4249 愚か者よ
2003年10月22日 徳間ジャパンコミュニケーションズ CD TKCA-72560 Enter the Panther
2003年10月29日 ワーナーミュージック・ジャパン CD WPCL-10046 Enter the Panther
2004年12月22日 徳間ジャパンコミュニケーションズ CD TKCA-72792 萩原健一 ゴールデン☆ベスト
2010年2月3日 徳間ジャパンコミュニケーションズ CD TKCA-10002 萩原健一 ベストセレクション
2011年5月11日 徳間ジャパンコミュニケーションズ CD TKCA-73657 萩原健一 ゴールデン☆ベストII
2017年10月25日 IVY Records CD XQKZ-1032 Last Dance
2020年7月26日 ブリッジ CD BRIDGE-297 AS IF MARTIN BRANDEAUX-ワーナーミュージック・ジャパン・イヤーズ-
2020年11月25日 徳間ジャパンコミュニケーションズ CD TKCA-10551 BEST SELECTION

作詞・作曲[編集]

作詞

  • 雨よ降らないで:テンプターズ
  • 「愛の小径」(作曲:かまやつひろし):テンプターズ
  • 「何もない部屋」(作曲:沢田研二):PYG
  • かまやつひろし「豚ごろしの歌」作詞:萩原、作曲:かまやつひろし(1970年)アルバム「ムッシュー/かまやつひろしの世界」に収録。同和問題を扱った内容により放送禁止となる。2000年再発CDは未収録だったが、2016年盤に再収録された[23]
  • 根津甚八「泣き笑い」作詞:萩原、作曲:速水清司(1986年)アルバム「PLAY IT AGAIN」に収録。

作曲

萩原のソロ作品では作詞多数。作曲は2018年発表のシングル「Time Flies」収録の3曲[24]

※「 – 」は役名

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

バラエティ番組・ドキュメンタリー番組・音楽番組[編集]

  • ワンカップ大関 (1979年):神代辰巳が監督。神代は原田美枝子主演の映画「地獄」の撮影で悪戦苦闘しており、「東映って地獄のイメージがひどい」と萩原に愚痴をこぼしていた。
  • マンダム「ギャツビー」:萩原、松田優作がCMに出演した。
  • FLASH (光文社):講談社FRIDAYともめた後に、講談社系列の光文社の新雑誌のCM、広告に登場し、「私はこの手の雑誌にはキチンとしてほしい」と語った。
  • サントリー「モルツ」:「うまいんだなあ、これが」のセリフが話題になった。
  • YAMAHA「ジョグ」(1991年)[28]
  • マツダ「カペラ」(1994年)
  • 日新製鋼(1995年)

自著[編集]

萩原健一について書かれている本[編集]

新聞連載[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]