別海駅 – Wikipedia

1977年の別海駅と周囲約500m範囲。上が中標津方面。駅舎が改築されたばかりの頃の写真。両方向に車両が見え、別海駅で行き違いが行われている状況が見て取れる。駅裏のストックヤードは殆んど使われていない。駅横の貨物積卸場付近から本線横の小道を2ブロック北上し、90°西へ曲がって道道243号上を中西別へ向かっていた殖民軌道西別線の痕跡は跡形も無い。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

別海駅(べっかいえき)は、かつて北海道野付郡別海町(べつかいちょう)別海旭町に設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)標津線の駅である。電報略号はヘカ。標津線の廃線に伴い、1989年(平成元年)4月30日に廃駅となった。

駅名の由来[編集]

町名より。本来は同町海岸沿いの本別海地区のアイヌ語名である[3]

旧称である西別は旧地区名であり、現在の西別川のアイヌ語名「ヌウㇱペッ(nu-us-pet)」(豊漁の・川)に由来する[4][5][6]

なお、駅名は「べかい」であるが、町名の公的な読みは「べかい」である。

貨物及び荷物取り扱い廃止までは、駅舎に接する単式ホームと島式ホームからなる国鉄型配線の2面3線を有する列車行き違い可能駅であった。このうち島式ホームの外側の線は副本線として主に貨物の留置き、あるいは構内東側からの貨物の積降用に使用された。駅舎は構内の西側(中標津方面に向かって左側)にあり、駅舎横の中標津側には貨物積降場が設けられ、中標津側から駅舎横まで貨物積降線が1本引き込まれていた。このため駅舎前のホームは厚床寄り、島式ホームは中標津寄りにずれて置かれ、駅舎側ホームの駅舎正面から島式ホームの厚床側端へ線路を横切る形で連絡通路があった。

貨物及び荷物取り扱い廃止後は副本線と貨物積降線が撤去され、廃駅となるまで相対式(※単式と島式の片面使用)ホーム2面2線を有する列車行き違い可能駅であった。

駅の近くには、この線が完成する以前の1929年(昭和4年)から1956年(昭和31年)まで、最盛期の1939年(昭和14年)から1949年(昭和24年)には別海町上春別の春日停車場を経て同線本線の西春別駅前(新西春別停車場)まで繋がる、殖民軌道西別線の停車場が置かれていた。

  • 駅跡地には多目的交流館「ぷらと」が建っており、バス乗り場となっている。
  • バス待合室、別海町商工会、レストラン「ていしゃ場」
  • キヨスクも旧駅舎に引き続き入居していたが、2015年中に閉店となった。
北海道旅客鉄道
標津線(支線)
平糸駅 – 別海駅 – 奥行臼駅

関連項目[編集]