藤倉一雅 – Wikipedia

藤倉 多祐(藤倉 一雅)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県足利市丸山町
生年月日 (1957-08-31) 1957年8月31日(64歳)
身長
体重
170 cm
68 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1979年 ドラフト外
初出場 1980年10月5日
最終出場 1987年5月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

選手歴

  • 足利学園高等学校
  • 青山学院大学
  • 阪神タイガース (1980 – 1983)
  • ロッテオリオンズ (1984 – 1988)

監督・コーチ歴

  • ロッテオリオンズ
    千葉ロッテマリーンズ (1989 – 1994, 1999 – 2001)
  • 白鷗大学

藤倉 一雅(ふじくら かずまさ、1957年8月31日 – )は、栃木県足利市丸山町出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。

1984年から1988年までの登録名は「藤倉 多祐」(読み同じ)。大学野球監督となった現在でも、藤倉多祐の登録名を用いている。父は、元西鉄の藤倉平三郎。

来歴・人物[編集]

足利学園高では投手としてプレーし、3年次の1975年には夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で鹿児島商業高に完封勝利するが、3回戦では習志野高のエース小川淳司に完封負けを喫した[1]。高校卒業後は1976年に青山学院大学に進学し、内野手に転向。東都大学リーグでは4年次の1979年に春季二部リーグで優勝し、入替戦で専大を降して5年ぶりの一部昇格を果たす。同年の秋季では1年下のエース吉田幸夫(プリンスホテル)を擁してリーグ3位に入る健闘を見せ、自身もベストナイン(遊撃手)に選出された。

同年オフにドラフト外で阪神タイガースへ入団。同期入団に岡田彰布・北村照文などがおり、強肩俊足の内野手と期待され、新人ながら背番号「3」を与えられる。2年目の1981年にはジュニアオールスターでMVPを獲得し、1983年には自己最多の55試合に出場するが、主に代打・代走としての起用にとどまる。同年オフに弘田澄男との交換トレードでロッテオリオンズへ移籍し、1986年と1987年には2年連続イースタン・リーグ首位打者を獲得するなど二軍では活躍するも、一軍ではその実力は発揮できなかった。1988年引退。

引退後はロッテで一軍打撃コーチ補佐(1989年)→二軍打撃コーチ補佐(1990年)→二軍守備・走塁コーチ(1991年)→一軍守備・走塁コーチ(1992年 – 1993年)→一軍内野守備・走塁コーチ(1994年)→スカウト(1995年 – 1998年)→二軍内野守備・走塁コーチ(1999年 – 2001年)を務め、ロッテ退団後の2005年より白鷗大学コーチに就任。その後は監督に昇格し、一時は総監督となるが、再度監督に復帰。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]















O
P
S
1980 阪神 2 3 3 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .333 .333 .333 .667
1981 15 10 8 1 1 1 0 0 2 0 0 2 2 0 0 0 0 1 0 .125 .125 .250 .375
1982 48 31 29 11 7 1 0 2 14 3 1 0 1 0 0 0 1 9 0 .241 .267 .483 .749
1983 55 40 32 13 2 1 0 0 3 0 3 0 3 0 5 0 0 4 0 .063 .189 .094 .283
1984 ロッテ 27 13 13 7 2 1 0 0 3 1 0 2 0 0 0 0 0 4 0 .154 .154 .231 .385
1985 17 12 11 2 3 1 1 0 6 0 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .273 .333 .545 .879
1986 15 24 23 3 8 0 0 1 11 2 3 1 0 0 1 0 0 6 0 .348 .375 .478 .853
1987 3 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
通算:8年 182 135 121 37 24 5 1 3 40 6 7 6 6 0 7 0 1 30 0 .198 .248 .331 .579

表彰[編集]

  • ジュニアオールスターゲームMVP:1回 (1981年)

記録[編集]

  • 初出場・初先発出場:1980年10月5日、対ヤクルトスワローズ26回戦(阪神甲子園球場)、8番・遊撃手として先発出場
  • 初打席・初安打:同上、3回裏に神部年男から
  • 初盗塁:1982年7月21日、対中日ドラゴンズ15回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に二盗(投手:牛島和彦、捕手:中尾孝義)
  • 初本塁打・初打点:1982年9月29日、対ヤクルトスワローズ25回戦(明治神宮野球場)、6回表に池内豊の代打として出場、梶間健一からソロ

背番号[編集]

  • 3 (1980年 – 1986年)
  • 32 (1987年 – 1988年)
  • 87 (1989年 – 1994年、1999年 – 2001年)

登録名[編集]

  • 藤倉 一雅 (ふじくら かずまさ、1980年 – 1983年)
  • 藤倉 多祐 (ふじくら かずまさ、1984年 – 1994年、1999年 – 2001年)
  1. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

関連項目[編集]

  • 栃木県出身の人物一覧
  • 青山学院大学の人物一覧
  • 阪神タイガースの選手一覧
  • 千葉ロッテマリーンズの選手一覧