宝生新 – Wikipedia

宝生新(ほうしょう あらた/しん、1870年11月16日(明治3年10月23日) – 1944年(昭和19年)6月10日)はワキ方宝生流能楽師。ワキ方宝生流十世宗家。本名、宝生朝太郎。

九世宗家宝生金五郎の子として東京日本橋に生まれる。八世宝生新朔は伯父に当たる[1]。7歳で『猩々』のワキで初舞台。伯父新朔や父につき修業し16歳で一時廃業するが、27歳で復帰して新と名のり、1905年 10世家元となる。 1937年初世梅若万三郎とともに第1回帝国芸術院会員。

門下から松本謙三、宝生弥一、森茂好など。

芸風は新朔に近く、繊細な謡を得意とした。美声とととのった容姿で「隅田川」「道成寺」などのワキをつとめ、明治・大正・昭和期に活躍し、名人と謳われる。夏目漱石に謡を教えたことでも知られる。

子に宝生哲。女婿に森茂好、孫に森常好。次女の女婿に宝生弥一、孫に宝生閑。

  • 『宝生新自伝』能楽書林、1949年

犬が好きで飼育していた。子犬を一匹、弟子が風呂敷に包んで電車にて夏目家に運搬し、これを漱石が引き取った[2]。ただし後年そのことを忘れていたともとれる発言をしている。[3]

  1. ^ 宝生新 コトバンク
  2. ^ 夏目漱石『硝子戸の中』
  3. ^ 宝生新『謡曲の稽古』