マリヤ・ルイザ・ブルボン=パルムスカ – Wikipedia

マリヤ・ルイザ・ブルボン=パルムスカ(ブルガリア語: Мария-Луиза Бурбон-Пармска, 1870年1月17日 – 1899年1月31日)は、ブルガリア王フェルディナントの最初の妃。彼女は夫が王位に就く前に没したため、ブルガリア公妃にはなったが、王妃ではない。イタリア語名マリア・ルイーザ・ディ・ボルボーネ=パルマMaria Luisa Pia Teresa Anna Ferdinanda Francesuca Antonietta Margherita Giuseppina Carolina Bianca Lucia Appollonia di Borbone-Parma)、ドイツ語名マリー・ルイーゼ・フォン・ブルボン=パルマ(Marie Louise von Bourbon-Parma)。

パルマ公ロベルト1世とその最初の妃で両シチリア王フェルディナンド2世の娘であるマリーア・ピアの長女として、ローマで生まれた。彼女の両親は、マリーア・ピアが1882年に出産時に死亡するまで11人の子供の親となった。その後ロベルトは再婚し、さらに12人の子供をもうけた。最初の11人の兄弟姉妹の中には、両親の近親婚のせいで、精神障害を持つ者も多かった。

婚約が整ってからマリア・ルイーザは初めてフェルディナントと会い、1893年4月20日にルッカで結婚した。2人の間には4子が生まれた。マリヤ・ルイザはソフィアで亡くなり、カトリックとしてプロヴディフの聖ルイ王大聖堂に葬られた。