小早川幸二 – Wikipedia

小早川 幸二
基本情報
国籍 日本
出身地 広島県呉市
生年月日 (1970-12-01) 1970年12月1日(51歳)
身長
体重
177 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1988年 ドラフト外
初出場 1993年4月14日
最終出場 1997年10月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
  • 広島県立西条農業高等学校
  • 福岡ダイエーホークス (1989 – 1990)
  • 中日ドラゴンズ (1991 – 1992)
  • 広島東洋カープ (1993 – 1998)
  • 台中金剛 (1999)
  • 広島鯉城クラブ

小早川 幸二(こばやかわ こうじ、1970年12月1日 – )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(投手)。

来歴・人物[編集]

西条農業高では、3年次に春の選抜に一塁手で出場[1]、夏は県大会準々決勝で先発したが全国制覇することになる広島商業高に敗れた。

1988年オフにドラフト外で福岡ダイエーホークスに入団。

しかし、一軍出場がないまま1990年オフに広橋公寿との交換トレードで中日ドラゴンズに移籍。

しかし、ここでも一軍出場がないまま1992年オフに松井隆昌との交換トレードで広島東洋カープに移籍。広島では、清川栄治の放出と石貫宏臣の故障により手薄となっていた左のリリーフとして活躍し、1996年には46試合に登板した。しかし、同年の終盤に起きたアキレス腱断裂がたたり、その後は成績が低迷。1998年は一軍出場が無く、同年オフに自由契約となり退団。

1999年、台湾に渡り台湾大聯盟の台中金剛に入団するも、1試合のみの登板で解雇され、同年限りで引退。

引退後は、広島県で会社員をする傍ら、社会人野球・クラブチームの広島鯉城クラブに在籍した。

現在は、通信・電気・建設・土木工事などを手がける会社の代表取締役社長を務めている[2]。社員には、元読売ジャイアンツや広島東洋カープに在籍していた大須賀允もいた(その後別会社に転職)。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]



























W
H
I
P
1993 広島 18 0 0 0 0 0 0 0 —- 66 13.0 15 0 9 0 3 6 0 0 14 10 6.92 1.85
1994 1 0 0 0 0 0 0 0 —- 1 0.0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 —- —-
1995 30 0 0 0 0 0 2 1 .000 59 13.0 12 1 9 0 0 10 1 1 12 10 6.92 1.62
1996 46 0 0 0 0 0 0 1 —- 126 31.0 22 1 14 1 5 25 0 0 14 13 3.77 1.16
1997 15 1 0 0 0 0 0 0 —- 44 9.0 10 3 8 0 1 4 0 0 11 11 11.00 2.00
通算:5年 110 1 0 0 0 0 2 2 .000 296 66.0 60 5 40 1 9 45 1 1 51 44 6.00 1.52

記録[編集]

  • 初登板:1993年4月14日、対横浜ベイスターズ2回戦(横浜スタジアム)、9回裏に3番手で救援登板、1/3回無失点
  • 初奪三振:同上、9回裏に鴻野淳基から
  • 初セーブ:1995年5月28日、対読売ジャイアンツ7回戦(広島市民球場)、9回表2死に4番手で救援登板・完了、1/3回無失点
  • 初先発:1997年6月1日、対横浜ベイスターズ9回戦(福山市民球場)、1回1/3を4失点
  • 通算最多登板未勝利:110 ※プロ野球記録

背番号[編集]

  • 64 (1989年)
  • 99 (1990年)
  • 65 (1991年 – 1992年)
  • 67 (1993年 – 1998年)
  • 16 (1999年)
  1. ^ 94スポニチプロ野球手帳
  2. ^ [1] 元同僚・小早川幸二氏が明かす「黒田快挙の原動力は反骨心」東京スポーツ 2016年7月25日

関連項目[編集]

  • 広島県出身の人物一覧
  • 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧
  • 中日ドラゴンズの選手一覧
  • 広島東洋カープの選手一覧

外部リンク[編集]