ジェレミー・ゴンザレス – Wikipedia

ヘレミス・セグンド・ゴンサレス・アコスタGeremis Segundo González Acosta, 1975年1月8日 – 2008年5月25日)は、ベネズエラ出身の元プロ野球選手(投手)。読売ジャイアンツ時代の登録名は「GG」。

速球はフォーシームとツーシームを投げ分け、時速140km後半に達する。チェンジアップとカーブも有し、セットポジションからの投球も得意(だが、巨人入団後、セットポジションからの投球に課題が残った)。

プロ入りとカブス時代[編集]

コレグロ・ラ・チニータ高校を卒業後、1991年にドラフト外のフリーエージェントとして、シカゴ・カブスと契約した。将来を嘱望されていたが、1997年にデビューを果たし1998年にも投げた後は、3つの手術を含む複数の怪我により、およそ5年のブランクを経験する。

レイズ時代[編集]

2003年、ゴンザレスは6勝11敗に終わるも、タンパベイ・デビルレイズでもっとも好調の投手だった。先発したうち17回で3失点以下に抑えたものの、アメリカンリーグ東地区の先発投手中、1試合平均3.91得点と最低の援護しかもらえなかった。防御率3.91、156投球回で97奪三振を記録する。

レッドソックス時代[編集]

2005年シーズン初頭には、ボストン・レッドソックスで3試合先発するも、1勝1敗、防御率6.65に終わる。5月下旬にはマイナーリーグのポータケット・レッドソックスに降格されたものの、7月上旬に中継ぎ要員として昇格した。

2006年シーズン、ゴンザレスはニューヨーク・メッツで3試合先発した。

ブルワーズ時代[編集]

2006年オフにマイク・アダムスとのトレードでミルウォーキー・ブルワーズへ移籍。

巨人時代[編集]

2007年5月9日、読売ジャイアンツと契約。背番号は94[1]。登録名は「GG」となり、ニックネームの登録は巨人にとって初めてのことになる[2]。当時巨人に同姓のルイス・ゴンザレス、ファーストネームの同じ[3]ジェレミー・パウエルがいたため、登録名が重ならないように球団側がニックネームで登録することを決めた事情があったからである。後付けで清武球団代表は「『グレートジャイアンツ』という意味でもある」と述べている。5月17日に入団会見を行い、「巨人は日本で一番人気のあるチーム。先発でも中継ぎでもアジャストしたい」と意気込みを語った。

6月14日のオリックス戦(スカイマークスタジアム)に初登板初先発。6回4失点自責点2という内容で打線の活躍もあり来日初勝利をあげた。しかしその後の登板試合では5回持たずにKOされるなど、先発・リリーフともに打ち込まれた。またこの頃にはパウエル・上原の穴を埋める投手が台頭、緊急補強の意義も薄まっていた。7月8日の二軍降格以降は一軍に上がることなくシーズン終了後に戦力外通告を受けた。

10月21日の帰国直前に「苦しんだ部分もあったけどいい経験ができたと思う。チャンスがあれば来年も日本でプレーしたいし、巨人相手に投げて力があることを証明してみたい」とコメント。「巨人に復讐を宣言し、横浜が興味を示した」といった報道もあったものの、結局どの球団も獲得には動かなかったため帰国となった。

巨人退団後[編集]

2008年5月25日、実家付近のベネズエラ西部スリア州マラカイボ湖で水上オートバイを操縦していたところ、落雷を受け死亡したと地元のスポーツ紙が伝え[4]、翌日にはゴンザレスのマネージメント会社がそれを認めた[5](なお、この時にはどの球団にも所属していなかった)。

エピソード[編集]

日本時代の登録名は「GG」であるが、ユニフォームの背ネームでは「G.GONZALEZ」である。

2004年3月31日のMLB開幕戦(デビルレイズ対ヤンキース)で東京ドームのマウンドを経験済みで、その時には松井秀喜に凱旋ホームランを打たれている。その記録は「松井秀喜ホームランカード」の日米通算349号(メジャー通算17号)のカードに収録されている。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]

記録[編集]

NPB

背番号[編集]

  • 54 (1997年、2003年 – 2004年)
  • 30 (1998年)
  • 32 (2006年)
  • 94 (2007年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]