彰仁親王妃頼子 – Wikipedia
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彰仁親王妃頼子(あきひとしんのうひ よりこ、嘉永5年6月18日(1852年8月3日) – 大正3年(1914年)6月26日)は、日本の皇族。小松宮彰仁親王の妃。
旧久留米藩主・有馬頼咸の長女。初名は満喜(まき)。明治2年(1869年)に結婚して、彰仁親王妃となる。彰仁親王との間に子供は無かった。明治36年(1903年)に夫に先立たれ、大正3年(1914年)に心臓麻痺のため[1]62歳で死去した。
明治19年(1886年)に彰仁親王と共にヨーロッパに外遊した際、金に糸目を付けずに当地のブランド物を買いあさり、明治天皇に激怒されたという話が『明治天皇紀』に記載されている。これらの形で彼女が着用・収集した装束や洋服の多くは、その死後、夫の縁により仁和寺に奉納され、現在は京都国立博物館で不定期に公開されている。
- 外国勲章佩用允許
- ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)12頁
- ^ 『官報』第1605号「叙任及辞令」明治21年11月2日
- ^ 『官報』第1928号「宮廷錄事」「彙報 – 大日本帝国憲法発布記念章送付」明治22年11月30日
- ^ 『官報』第968号「叙任及辞令」1886年9月20日。
- ^ 『官報』第1784号「叙任及辞令」明治22年6月12日
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