カタリーナ・フォン・エスターライヒ (1533-1572) – Wikipedia

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カタリーナ・フォン・エスターライヒ
Katharina von Österreich
ポーランド王妃
Cranach the Younger Catherine of Austria.jpg

在位 1553年7月30日 – 1572年2月28日
戴冠 1553年7月30日 ヴァヴェル大聖堂
別称号 マントヴァ公妃(1549年 – 1550年)

出生 1533年9月15日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、レーゲンスブルク
死去 (1572-02-28) 1572年2月28日(38歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、リンツ
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ザンクト・フローリアン修道院
結婚 1549年10月22日 マントヴァ
1553年7月30日 クラクフ
配偶者 マントヴァ公フランチェスコ3世・ゴンザーガ
  ポーランド王ジグムント2世
家名 ハプスブルク家
父親 神聖ローマ皇帝フェルディナント1世
母親 アンナ・ヤギエロ
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カタリーナ・フォン・エスターライヒ(Katharina von Österreich, 1533年9月15日 – 1572年2月28日)は、神聖ローマ皇帝フェルディナント1世と皇后アンナの五女。

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1549年10月、マントヴァ公フランチェスコ3世・ゴンザーガと結婚するが、夫はわずか4ヶ月後に早世した。

1553年7月30日、ポーランド王ジグムント2世の3度目の妃となった。ジグムント2世の最初の妃エリーザベトはカタリーナの姉であった。

1572年、夫ジグムントより先立って死去した。いずれの結婚でも子供は生まれなかった。


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