ヒオス島 – Wikipedia

ヒオス島(ヒオスとう、ギリシア語: Χίος / Khíos)は、エーゲ海東部に位置するギリシャ領の島。中心都市はヒオス。キオス島とも表記される[1]。トルコ語ではサクズ島Sakız Adası)と呼ばれる。

古くより交易の島として栄えた。11世紀に建設されたネア・モニ修道院は、他の2つの修道院とともにユネスコの世界遺産に登録されている。

ヒオス島の衛星写真

エーゲ海の東部に位置する。幅約7kmのヒオス海峡 (Chios Straitでトルコ領(アナトリア半島)と向かい合う。

南北の長さは約50km、東西の幅は最も広い地点で約29km。面積は842km2で、ギリシャでは5番目に大きな島である。

行政区画[編集]

自治体(ディモス)[編集]

ヒオス市Δήμος Χίου)は、北エーゲ地方ヒオス県に属する基礎自治体(ディモス)である。ヒオス島全体をその市域とする。

現在のヒオス市は、カリクラティス改革(2011年1月施行)にともない、旧ヒオス市をはじめとするヒオス島の自治体が合併して発足した。旧自治体は、新自治体を構成する行政区(ディモティキ・エノティタ)となっている。

下表の番号は、下に掲げた「旧自治体」地図の番号に相当する。下表の「旧自治体名」欄は、無印がディモス(市)、※印がキノティタ(村)の名を示す。

著名な出身者・居住者[編集]

古代[編集]

中世[編集]

  • クリストファー・コロンブス、1982年、ルート・G・ドゥルラハー・ヴォルパー(Ruth G Durlacher-Wolper)の著書(『クリストフォロス・コロンブスの人物像を明かす新理論:ギリシャ・ヒオス島出身のビザンツ王子』”A new theory clarifying the identity of Christophoros Columbus: A Byzantine prince from Chios, Greece”)で、コロンブスがヒオス島生まれとの仮説が出された。コロンブス自身はジェノヴァ共和国出身としていたが、当時のジェノヴァ共和国はヒオス島も領有していた。コロンブスのジェノヴァでの友人にはヒオス島出身者が多く、その著作でもヒオス島に言及し、ギリシャ語で記したメモ帳も残っている。「コロンブス」はヒオス島ではよく見られる姓である。ギリシャ語の綴りにはKouloumbis(Couloumbis、クルンビス)もある。

近現代[編集]

  • アンヴロシオス・スカラマガス(Amvrosios Skaramagas)、1790年–1864年、商人。
  • ジョージ・I・ゾロタス(George I. Zolotas)、1845年–1906年、ヒオス島史の研究者、ヒオスの高校の校長、5巻から成るヒオス島の歴史書(ギリシャ語)を残す。
  • フィリップ・パンデリ・アルゲンティ(Philip Pandely Argenti)、1891年–1974年、ヒオス島の古い貴族家系の出身、ヒオス島史の最大の歴史家、10以上のヒオス島の歴史書を残す。
  • アンソニー・J・アンゲリクーシス(Anthony J. Angelicoussis)、1918年–1989年、ギリシャの船主。
  • アンソニー・J・チャンドリス(Anthony J. Chandris)、1924年–1984年、ギリシャの船主。
  • ディモス・アヴデリオディス(Dimos Avdeliodis)、1952年-、作家、映画監督、劇場支配人。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]