ジャヤーヴァルマン8世 – Wikipedia

ジャヤーヴァルマン8世(クメール語: ជ័យវរ្ម័នទី៨, ラテン文字転写: Jayavarman VIII, 生年不詳 – 1295年[1])は、クメール王朝の第23代[2]君主(在位:1243年 – 1295年[3])。その治世は52年間におよび、歴代クメール王の中でも最長を記録している。

先代の王インドラヴァルマン2世の子ともされているが、実際の関係は不明確な部分があると言われる。ただ、王族であったことは間違いないと見られる。

シヴァ派のヒンドゥー教を篤く信奉しており、既存の仏教勢力と対立したと見られる。即位した後、先々代の王ジャヤーヴァルマン7世がアンコール・ワット周辺に大量に建立したバンテアイ・クデイやタ・プローム、プリヤ・カーンといった仏教寺院から仏像を大量に撤去・破壊させて[4]ハリハラを祀った[5]ヒンドゥー寺院に改造し[2]、ガルダやナーガといったヒンドゥー教の神々の像や浮彫を数多く造成した[6]。この事実は2001年になって大量の廃仏が発見されたことから判明した。

このことなどから、[要出典]ジャヤーヴァルマン8世の治世は従来の学説とは異なり衰退期ではなく[7]ジャヤーヴァルマン7世の寺院建立による財政難を克服した[要出典]それなりの繁栄期であったと考えられるようになった[7]

1283年[8]ソゲタイ中国語版配下のスレイマン率いる元軍がアンコール・トムに侵攻[3]。1285年[8]と1292年に元に朝貢し、和を結んだ[3]

治世の晩年はスコータイ王朝との抗争で国土が荒廃した[1]。また、バンテアイ・サムレを拡張し、マンガラールタ英語版を新たに建立している[5]。1295年、長女シュリンドラブッペーシュヴァラチューダクメール語版の夫[1]であった仏教徒のインドラヴァルマン3世英語版[9]によって暗殺された。

没後の1296年[1]に元の周達観らがインドラヴァルマン3世治下のクメールを訪問しており[2][10]、周達観はその時の見聞を『真臘風土記』として著した[11]

参考資料[編集]

  • George Cœdès (May 1, 1968). Walter F. Vella. ed. The Indianized States of South-East Asia. Susan Brown Cowing. trans. University of Hawaii Press.

    ISBN 978-0824803681 

  • レイ・タン・コイドイツ語版『東南アジア史』石澤良昭訳、白水社〈文庫クセジュ〉、2000年4月30日、増補新版。ISBN 978-4560058268。
  • 石澤良昭『アンコール・王たちの物語 碑文・発掘成果から読み解く』NHK出版〈NHKブックス〉、2005年7月30日。ISBN 978-4140910344。
  • 迫田龍 「カンボジア文化講座」、大橋圭子編 『るるぶアンコールワット』 JTBパブリッシング、2015年9月30日。ISBN 978-4533106668。 

外部リンク[編集]