ロバート・ギャンブル – Wikipedia

ロバート・ジャクソン・ギャンブル(英語: Robert Jackson Gamble, 1851年2月7日 – 1924年9月22日)は、アメリカ合衆国の政治家、共和党員。

サウスダコタ州の政治家として、連邦下院議員(2期)、連邦上院議員(2期)を務めた。兄のジョン・ギャンブルや息子のラルフ・ギャンブルも連邦下院議員となっている。

経歴・人物[編集]

1851年2月7日、ギャンブルはニューヨーク州ジェネシー郡アクロン近郊の農場で、父ロバート・ギャンブルと母ジェニー(旧姓:アバネシー)の息子として生まれた[1]。11歳の頃、両親とともにウィスコンシン州フォックス・レイクに移住[1]。同州アップルトンのローレンス大学に入学し、夏の間学校で教員として働いて学費を稼いだ[2]。学士号(理学)、修士号(理学)を取得して卒業後、ミルウォーキーの法律事務所で法律を学び、1875年に弁護士資格を取得した[2]。後にサウスダコタ州となるダコタ準州のヤンクトンに移住した[2]

ダコタ準州第2司法地区地方検事ヤンクトン市検事を歴任し、1885年には準州議会議員を務めた[2]。1894年選挙で連邦下院のサウスダコタ州全州選挙区シートBに選出され、第54議会に参加した[2]。1896年選挙には落選したが、1898年に再びシートBに選出され、第56議会に参加した[2]。第56議会では、下院公共建築物支出委員会の委員長に就任した[3]

1900年の選挙でギャンブルは連邦上院議員に選出された。1906年にも再選されたが、1912年選挙で落選した[2]。上院議員時代には、インディアンの略奪に関する委員会委員長(第57議会)、海岸線への輸送ルートに関する委員会委員長(第58議会、第59議会、第60議会)、インディアン問題委員会委員長(第62議会)、登録法案委員会委員長(第64議会)を務めた[3]

上院議員選挙落選後は政界を離れ、スーフォールズで弁護士としての活動を再開させた[3]。1924年にギャンブルはスーフォールズで死亡し、ヤンクトンのヤンクトン市立墓地に埋葬された[3]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • Coursey, Oscar William (1913). Who’s Who in South Dakota. I. Mitchell, SD: Educator School Supply Co.. https://archive.org/stream/whoswhoinsouthda01cour#page/64 
  • Lawrence College (1918). Lawrence College Alumni Record, 1857-1915. Appleton, WI: Post Publishing Company. https://archive.org/stream/alumnirecord185700lawrrich#page/206/ 
  • United States Congress (2005). Biographical Directory of the United States Congress, 1774-2005. Washington, DC: US Government Printing Office.

    ISBN 978-0-16-073176-1. https://books.google.com/books?id=v9MBIctdjjkC&pg=PA1098 

外部リンク[編集]