中映プロダクション – Wikipedia

有限会社中映プロダクション(ちゅうえいプロダクション)は、かつて存在した日本の映画製作・配給会社である[1][2][3][4][5][6]。1963年(昭和38年)3月、祖父江羊己が東京都港区に設立した[1][2][3]。略称は中映プロ(ちゅうえいプロ)[5][6]

1963年(昭和38年)3月、祖父江羊己が東京都港区西新橋2丁目39番8号に設立した[1][2][3]。記録にみる設立第1作は、翌1964年(昭和39年)8月17日に公開された、新東宝出身の女優である扇町京子主演による『行為の果て』である[4][5][6][7][8]。同作の監督については、文化庁の日本映画情報システム、日本映画データベースのいずれにも辰巳敏輝[9]と記されているが[5][6]、同時代資料である『映画年鑑 1966』には、小林悟(1930年 – 2001年)と記されている[7]。小林悟は、同作のほかにも、同社で『肉体の妖精』(同年)、『肉体の賭け』(1965年)、『誘拐』(同年)の3作を手がけている[5][6][10]。主演の扇町京子は『肉体の妖精』にも続けて出演した[5][6][11]。同作の脚本を手がけた岩沢庸徳(1912年 – 1970年)[12]は、戦前の松竹大船撮影所出身の監督であり、新東宝で『肉体の魅惑』(1956年)を監督したこともあったが、成人映画に関わったのは本作が最初であり、劇場用映画に関わったのは本作の脚本が最後になった[13]

1965年(昭和40年)5月に公開された『鎖の女』および『妾ごろし』を監督した鶴巻次郎[14]は、大映東京撮影所出身の監督、西條文喜[15](1912年 – 1987年)の変名である、とかつての西條の助監督であった渡辺護が証言している[16]。『肉体の妖精』でチーフ助監督を務めた大野裕司(のちの堀越善明、1935年 – )は[4]、同年8月31日に公開された『火遊び』で監督を務めている[5][6]。同作の配給については、日本映画データベースには関東映配(代表・星光一郎)と記載されているが、同時代資料である『映画年鑑 1967』には明光セレクト(代表・津谷明治)であると書かれている[8]。同作を最後に、製作会社として同社のクレジットは見られなくなるが[4][5][6]、1966年(昭和41年)10月までの情報が掲載されている『映画年鑑 1967』には、同社の詳細が掲載されている[2]。「企画」としてクレジットされた『肉体の妖精』『鎖の女』の城神郎[17]、『火遊び』の伴照夫[18]は、同年8月に公開された小林悟監督の『甘い体臭』(製作アルスプロダクション、配給関東映配)では、城が企画、伴が脚本に名を連ねている[17][18]。同社代表であった祖父江についてのその後の動向等は、不明である。

同社が製作あるいは配給した作品のうち、東京国立近代美術館フィルムセンターには、『肉体の妖精』のみの上映用プリントが所蔵されている[4]

企業データ[編集]

おもなフィルモグラフィ[編集]

すべて「配給」あるいは「製作」であり、特筆しないものはすべて「製作」である[4][5][6][7][8][20]。東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)等の所蔵状況についても記す[4]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]