トナリエ宇都宮(トナリエうつのみや、tonarie utsunomiya)は、栃木県宇都宮市駅前通り一丁目にある複合商業施設。都市規模に対して脆弱だった[10]駅前の商業環境を充実させるべく[11]1990年(平成2年)に開業したロビンソン百貨店宇都宮店を前身とし[2][12]、ララスクエア宇都宮を経て現称となった[1][2]。建物は鉄骨鉄筋コンクリート構造・鉄骨構造の陸屋根で、地上11階地下1階建てである[3]。 テナント[編集] 日本エスコンが経営する「トナリエ」は、「まちに寄り添いながら、まちとともに発展していく。いつもあなたの暮らしのとなりへ。」をコンセプトとする店舗ブランドであり[2]、地域住民の日常的な利用を意図した店舗構成をしている[3]。核店舗のヨドバシカメラをはじめとして、衣料品店・書店・クッキングスタジオ(料理教室)など約70店が出店する[3]。これらのテナントは、前身のララスクエア宇都宮からそのまま引き継いだものであり、特にヨドバシカメラ、GAP、ABCクッキングスタジオなどはララスクエア開店時から引き続き出店している[2]。 9階と10階は日本エスコンが管理運営していない階であり[注 1]、それぞれ宇都宮市保健センター[15]、セントラルフィットネスクラブ宇都宮がある[16]。屋上11階にはレンタルスペース「ララ・ステージ」がある[17]。ステージは西口ビル管理株式会社が管理しており[17]、ララスクエア時代からの「ララ」という名を継承している[2]。 日本エスコンは、開業から2年後をめどにテナントを充実させ、長期的には建て替えも検討している[4]。 再開発準備期(1982-1990)[編集] 宇都宮市は中心市街地と中心駅が離れた都市構造をしており[10]、宇都宮駅で降り立った人々は駅前を素通りし、中心市街地へ流れてしまうという課題があった[11]。駅前に核となる商業施設を建設し、人をとどまらせることは長年の懸案であったが、東北新幹線乗り入れ(1982年〔昭和57年〕)に合わせて発足した「宇都宮駅西口地区街づくり研究会」では1年間の議論を経て再開発が現実味を帯びていった[11]。ここで立案された計画は、地上8階地下1階建ての百貨店ビルと同じく地上8階地下1階建ての量販店・専門店ビルの2棟を建設し、それぞれに9階建ての立体駐車場を併設するというものであった[18]。1985年(昭和60年)には「宇都宮駅西口地区再開発基本計画」がまとまり、宇都宮市では過去最大となる再開発区域6.6 ha、総事業費500億円以上の事業が動き出した[19]。そのうち百貨店を建設する北ブロック(2.3 ha)を先行開発することになり、宇都宮駅西口第一地区再開発準備組合が1986年(昭和61年)3月28日に発足した[20]。この時点では誘致する百貨店はまだ交渉中で、売場面積35,000 m2を組合側は要求していたが、中心市街地側からの反発が大きく、面積の削減は必至の状態であった[20]。 1987年(昭和62年)10月には誘致する百貨店がイトーヨーカ堂系列のロビンソン百貨店[注 2]に決まり[22]、売場面積が25,850 m2になると発表すると、駅ビルを運営する宇都宮ステーション開発はラミア(現・パセオ)を9,800 m2に拡張すると公表し、駅前商戦の激化が予想された[23]。1988年(昭和63年)5月6日に開かれた出店計画説明会では地上7階から地下1階までをロビンソン百貨店、8階を飲食・カルチャー施設、9階を宇都宮市保健センター、10階をスポーツ施設とすることが発表された[24]。 1988年(昭和63年)9月12日、当初予定から3か月遅れて再開発予定地の建物の取り壊し工事が始まり[25]、11月10日に起工式を挙行して新ビルの建設に着手した[8]。施工は公開入札で落札した清水建設・フジタ工業・東鉄工業・三井建設・中村建設JVが担当した[8]。1989年(平成元年)6月27日、宇都宮商工会議所商業活動調整協議会(商調協)は、商業床を20,850 m2(うちロビンソン百貨店が20,000 m2、残る850 m2は地元地権者)とする答申を出し[注
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