ヴォルィーニ – Wikipedia

ヴォルィーニ

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ヴォルィーニの紋章

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  ヴォルィーニの地図(20世紀)

Lutsk castle tower.jpg

ルーツィク城

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ポチャーイヴ大修道院

ヴォルィーニ(ウクライナ語:Волинь)は、西ウクライナウクライナ語版にある歴史的地名である。東のプリピャチ川と西のブーフ川の間に位置し、北のポリーシャと南のガリツィア・ポジーリャに接している。

現在ウクライナのヴォルィーニ州とリウネ州と全地域、ジトーミル州の西部、テルノーピリ州とフメリニツキー州の北部を占めている。たまに、ベラルーシのブレスト州の南部とルブリン県の西部が含まれることもある。ラテン語風にロドメリアともよばれる。

  • 2世紀-3世紀:ゴート族の支配下に置かれる。
  • 5世紀:スラヴ人が登場する。
  • 7世紀‐9世紀:東スラヴ人に属するヴォルィニャーヌィ族、ドゥリーブィ族、グジャーヌィ族の居住地となる。ヴォルィニャーヌィ族の中央都市ヴォルィーニが創立される。
  • 10世紀:キエフ・ルーシの領土となる。政治的中心はヴォロディームィル城に移される。
  • 11世紀末:キエフ・ルーシの分国としてヴォルィーニ公国が成立する。
  • 1170年:ロマン・ムスティスラーヴィチがヴォルィーニ公国の君主となる。
  • 1199年:ロマン・ムスティスラーヴィチがハールィチ公国を併合させ、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国を創立する。
  • 1241年:ハールィチ・ヴォルィーニ大公国がモンゴル軍によって略奪され、ジョーチ・ウルスの属国となる。
  • 13世紀:ヴォルィーニの中心はルーツィクに移される。
  • 1349年:ハールィチ・ヴォルィーニ大公国で大公朝が絶えたため、ハールィチ・ヴォルィーニ戦争が起き、隣国の間で分割される。ヴォルィーニはリトアニア大公国の領土となる。
  • 14世紀‐15世紀:リトアニア大公国内でのヴォルィーニはルーシ人の政治的・文化的中心となる。
  • 16世紀:オストロージクィイ家やヴィシュネヴェーツィクィイ家などのルーシの貴族の活躍によりヴォルィーニはリトアニア大公国の最も豊かな地域となる。
  • 1569年:ルブリン合同によりポーランド・リトアニア共和国が成立し、ヴォルィーニはポーランド王冠領となり、ヴォルィーニ県[要曖昧さ回避]が設置される。県庁はルーツィクに置かれる。
  • 1648年‐1657年:フメリニツキーの乱によりヴォルィーニは度々ウクライナ・コサック、ポーランド軍、モスクワ大公国軍によって略奪される。
  • 17世紀後半‐18世紀:ヴォルィーニは次第に衰退していく。
  • 1793年:ポーランド・リトアニア連合の分割により、ヴォルィーニはロシア帝国の領土となる。ヴォルィーニ県はイジャスラヴ代官府に改名される。
  • 1795年:イジャスラヴ代官府はヴォルィーニ代官府に改名される。ノヴォフラード=ヴォルィーニシクィイは代官府の中央都市となる。
  • 1797年:ヴォルィーニ代官府はヴォルィーニ県に改名され、県庁所在地はジトーミルに置かれる。
  • 19世紀:ロシア帝国支配下のヴォルィーニはヨーロッパの未発展の地域の一つとなる。
  • 1917年:ヴォルィーニはウクライナ人民共和国の領土となる。ヴォルィーニ州が設立される。州庁所在地はルーツィクに置かれる。
  • 1920年:ウクライナ人民共和国はソビエト政権に滅ぼされ、ポーランド・ソビエト平和条約によってヴォルィーニは両国に分割される。ポーランド側の西部はヴォルィーニ県となり、ソビエト側の東部はジトーミル州の一部となった。
  • 1939年:独ソ不可侵条約によりソビエトは東ポーランドに攻め入り、ヴォルィーニを復帰させる。12月4日にジトーミル州の西部と新しく併合した領土にヴォルィーニ州とリウネ州が設置される。両州はウクライナ・ソビエト社会主義共和国に入る。
  • 1941年‐1943年:ヴォルィーニはドイツの占領下におかれ、ウクライナ帝国委員部の一部となる。
  • 1991年:ウクライナは独立し、ヴォルィーニ州とリウネ州が設立される。

外部リンク[編集]